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私はとりあえず、パスポートを申請してみることにした。


自分を変えたいのなら、新しい人生を送りたいのなら、人は誰しも、海外に行く。みたいな価値観が一般的になっている世の中だと思う。SNSや書籍にも20代でやっておくべきことに「海外へ行く」みたいなことが、書かれていないことの方が珍しくて、なかばそれは国民の納税につぐ義務なのではないかと錯覚に陥ることさえある。

そんな私の目の前には、旅行、留学、スタディツアー、ワーホリなどなど、例を挙げれば数えきれないほどの海外に行くための選択肢が溢れかえっている。

それなりに、学生時代はよく、海外に行ってた。というか、海外に行くためだけに生きていたといっても過言ではない。大学の専攻は国際関係だったし、サークルは海外のボランティア活動みたいなところに所属していて、とにかく海外に行くためだけに、尋常じゃないくらいの時間使ってアルバイトして、貯まったなけなしのお金使って、アジアの途上国中心に仲間たちと行ってた。

けどね、社会人になったら、そんなの夢物語で、ほんとに空想の中で旅してただけなんじゃないかって思うくらいに、学生時代はあんなに身近だった世界との距離が遠くなっていった。そう、目の前に広がる現実を目の当たりにして。

シンプルに、社会人になってから、海外に行くみたいな選択肢をなんの抵抗もなくできる人は雲の上の存在だった。野球界でいうとこの大谷翔平みたいな。

普通に考えて、社会人として生きてたら、海外に行きたくても、行手を阻む「お金」「時間」みたいな問題が、言わずもがな大きな壁のように立ちはだかる。

「金銭的にこの貯金の状況で、私は今海外に行って、そのあと生活は大丈夫なのだろうか。」

とか

「GWの連休あるけど、このスケジュールでちゃんと進行して、翌日の会議に間に合うように帰国できるだろうか。予備日を作った方がよいのではないか。有休を念のため追加しとくか?いや会議だから無理だ。」

とか、最終的に一番怖かったのは

「あの、異国の、まるで現実とは別世界のあの、刺激的で、楽しくて、自分自身の持っていた価値観を揺るがすほどの空気感を、今、自分が得てしまったらきっと、きっと、もとの現実には戻れないかもしれない。」

学生時代に、異国に行っていたからこそ現れる不安感に苛まれて、それに、社会人になってから数年後にコロナ渦にも巻き込まれて、結局、もう約5年も前に、私のパスポートの有効期限なるものは切れていた。
それに、そのパスポートをどこにしまっていたのかさえも、あやうく忘れそうになっていた頃だった。

けれど、そんなとき、とりあえず今だ。
そんなことを思って、まだ、はっきりと予定が決まったわけでもないのに、私は昨日、パスポートの更新に出かけた。
とっくに有効期限を切らしているので、新規発行になるのだけれど。


なぜ今なのかは、正直、自分でも笑ってしまう。
だって、あと約2ヶ月後に私は、職を失おうとしているのだから。

正直、お金はほんとに微々たるものしかない。
けれど、あの不安感に苛まれていたときの、「時間」「揺らぐ価値観」の問題に関しては、自分の中で解消されたと思ったから。

だって、「時間」に関しては、海外に行ったとして、帰国のあとの会議のことを考えて予備日を作る必要なんてない。何なら帰国日をわざわざ設定して、往復の航空券を取る必要だってない。

なぜなら、無職だから。

だって、「揺らぐ価値観」に関しては、異国に行って、刺激的な新しい出会いに、私の価値観が変わったとして、仕事行きたくないみたいなかんじで、戻らないといけないやっかいな現実はない。


なぜなら、無職だから。

まぁ、無職という新たな形の別の現実には向き合わないといけないのだろうけれど。

だから、とりあえず、今しかない。
そんなことを思って、それに、とりあえずどんなに海外に行きたいと思っていたとして、まずは、誰だって、パスポートを手に入れなければ、海外には行けないわけで。
その第一歩さえも、自分が踏み出さなかったらまた、海外に行くことが、雲の上の存在のまま、現実に戻ってしまいそうで、だから私はパスポートの申請に出かけた。

幸運なことに、私が住んでいる街のパスポート申請場所は、私が先日訪れたばかりのハローワークの隣に位置していたから、道に迷うことはなかった。

それに気づいて、私とは順番が逆の人もいるのだろうと思った。無職になったとして、ハローワークよりも先にパスポートを申請に訪れる人もきっといるのだと思う。
私はそんな強者ではないけど、私だって負けたくはない。そんなことを思っていざ、パスポート申請窓口を訪れた。

必要書類を記入して、処理をしてもらう間に、窓口の横に設置された場所で、パスポート用の写真を撮ってもらう。その写真を窓口に提出して、あっという間に申請の処理が終わった。1時間もかからなかった。

日本とは改めてすごい国だと思う。もちろん、実際にパスポートが発行されるまでの間に、いろいろと調査はあるのだろうけれど、とりあえず手ぶらで行った窓口の先で、必要書類を書いて提出するだけで、手軽にほぼ全世界を飛び回れる魔法の手帳を手に入れることができる。

「無事、問題なく処理されれば、6月2日以降に受け取りが可能です。その際は収入印紙を購入してからこの用紙をお持ちください。」

窓口の女性の丁寧な説明を受けて、その用紙を大切にバッグの中にしまう。

「あと、期限切れのパスポートについてですが、もし必要なければ、こちらでお預かり、もしくは、持ち帰られる場合は、無効化の処理をしますが、いかがなさいますか?」

窓口の女性の手元に、私の期限切れのパスポートが置かれている。

「あの、無効化してもらって、持ち帰ってもいいですか?お手数をおかけしてすみません。」

考える間もなく、私は彼女にそう告げた。

「全然問題ないですよ。無効化しますので少々お待ちください。」

自分でも驚いた。私はどちらかというと想い出の品なるものに、無頓着な方だったから。

「過去を振り返るなんてカッコ悪い。前だけ向いて生きてたい。」

そうやって逆にカッコつけて、ある程度時間が経ったら、申し訳ないけれど、いろんな想い出の品たちを捨ててきた。

それなのに、このパスポートだけは捨てない気がして持ち帰ることをあっという間に決めていた。

不思議な気持ちだった。
シンプルに「自分の原点を捨てれない。」
そう思った。
それまで生きてきた無難な人生を変えてくれたのは間違いなく、約10年前、はじめて申請したパスポートを持って訪れた、異国での経験だったから。

「お待たせしました。こちらお持ち帰りいただいて大丈夫ですよ。」

そうやって手渡された青色のパスポートを受け取って、中をパラパラとめくる。

そこには、学生時代に訪れた数々の国の入出国スタンプが色とりどりに記されていた。

「ありがとうございました。大変助かりました。」

そう彼女に告げて、私はその場をあとにした。

きっと、お守りになるのだろう。
そう思った。


そこには、もう忘れかけていたけれど、あのとき、あの学生時代、大したお金もなかったのに、後先もろくに考えず、希望に満ちた異国の地に、たくさんの不安とたくさんの期待を胸に、飛行機に飛び乗った私の足跡が刻まれている。


あのときのような、軽々としたフットワークは今の私にはない。それに、考えはじめれば渦のように、大きすぎる不安に飲み込まれそうになる。もしかしたら、その不安に飲み込まれて、新しい無職という現実の壁に押しつぶされて、結局あきらめてしまって、もはや、申請したパスポートを受け取りにさえも行かないのではないかとも思ってしまう。

だからこそ、このパスポートをお守りにして、力をもらおう。そんなことを思って今、その無効化されたパスポートを枕元に飾っている。
せっかくだから、巾着袋をこのサイズで作って、もっとお守りらしくしようかなとも思う。

何はともあれ、行きたい国、行きたい期間はある程度頭に描いている。
これから、一歩一歩それを実現できるように動いていこうと思う。

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