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【ショートショート】空気の神様

「ねぇ、ちょっとこのシステムさ、試験的に使ってみてくれない?」

1週間ほど前に、社内エンジニアの森さんが営業部の私に提案してくれた、顧客情報管理システムは、素晴らしい発明だ。そんなことを思った。

田舎にある小さな中小企業のわが社では、この時代に珍しいくらいにすべてが紙で管理されていた。

取引先情報が明記されているのは、データではなく、紙。創業50年にもなるわが社の取引先情報を記した紙の数は、溢れに溢れ、オフィスの周りをぐるっと取り囲んだそれらの紙を綴じたファイルたちは、もう新しい居場所なんてほかになさそうなくらいにいっぱいいっぱいだった。

それらの中から、取引がある度に、棚をめぐってファイルを取り出して、新しい情報を書き出した紙を、追加して、また、棚に戻す。

その1つの作業だけでもかなりの所要時間がかかる。そんな無駄な作業が、たった1つの検索で、情報にアクセスでき、追記事項があれば、紙になんて印刷せず、システムに書き込むだけでよい。そんな画期的な発明が、今、ここに形になろうとしていることに、感動の嵐でしかなかった。

「あの、森さん、この間提案していただいた顧客情報管理システムの件でお話があって、今お時間いいですか?」

森さんは、大学を卒業後、東京でIT企業に数年勤務した後、実家の母親の体調を考慮して、地元に戻ってきたところを、社長が、わが社にもITの風をと重い腰を上げて採用した社内唯一のエンジニアだった。

「全然大丈夫ですよ。もしかして、この間提案したもの使ってくれたんですか?」

「あ、はい。もう、感動しちゃって、、。これで私の毎日の残業なくなるし、私だけじゃなくて、営業部のみんなも早く帰れるし、、、。もう、すごいなって思っちゃって、早く導入進めてほしくて、思わずそう伝えにきちゃいました!」

「うわぁ、そう言ってくれるとうれしいな。中村さんだったら、若いし、仕事も早いからさ、わかってくれるかなって、思って頼んだんだけど、伝わってとにかくうれしいよ」

「いえいえ、そんなそんな。むしろありがとうございます」

「使ってみて、違和感とかなかった?」

「ほとんど感じなかったです。ちょっと最初は複雑に感じる部分も、森さんが作ってくださったマニュアル読めば、全部解決しましたし!慣れれば問題なしでした。ただ1つ懸念と言えば、取引先情報の追記欄なんですけど、ここは書き込み方にルールがなかったので、誰かが不用意に消しちゃったり、いつ書き込んだかわからなくならないよう、必ず日付を書いてから情報を書き込んで、前に書かれた情報は消さない!ってルールをマニュアルに明記するとさらによくなるかな、、と思いました。すみません、偉そうに」

「いやいや、僕あんまり営業の内部事情とかわからないからさ、そういう声はむしろありがたいよ。なるほどね。たしかに、フリー要素高めだとカオスになりがちだからな。マニュアルにその旨追記と、この追記欄に関しては、編集履歴を随時保存できる機能が追加できないか検討してみるよ。ありがとう」

「いえいえ、こちらこそありがとうございます。あの、このシステムっていつから導入予定なんですか?」

「うーん、できれば早めに導入したいからさ、今中村さん以外の営業メンバーにもトライアルで使ってみてもらってるし、社長にももちろん見てもらって、ぜひすぐにでも進めてほしいってOKもらってるんだけど、、、」

「だけど、、?」

「問題は、営業部長だね」

「あぁ」

私は思わずため息をついてしまった。

「すみません、ため息なんてついちゃって、、」

「いやいや、いいのいいの。僕も何度もついてるから」

森さんが、社内をぐるっと確認する。今日は金曜日ということもあり、みな、すでに退社していた。

「もう、みんな帰ってるね。まぁ、ここだけの話さ、社長のOKもらえたとしても、結局あの営業部長がうんと言わない限りは、このシステム導入は厳しいだろうね。社長も、営業に関することは彼に一任しているし」

「そんなぁ。ものすごく画期的だし、これでみんなの残業も減るし、営業成績だって上がる可能性があがるのに、、、。」

「そう言ってくれてうれしいよ。実際、中村さん以外のメンバーにも使ってもらったら、すごくいいって評価してくれててさ、、。みんなやっぱりここぞとばかりの社内の紙管理にはうんざりしてたみたい」

「そうですよね。今の時代に私も信じられませんもん」

「ははは。だよな。僕もそれは心から同意するよ」

「私、営業部長に直談判してみます!」

「中村さんは勇ましいね。他の営業メンバーも中村さんにはエネルギーもらってるんじゃないかな」

「いやいや、そんなことないですけど、ほんとに!これを導入しないなんて意味わからないです!」

「ありがとうね。そう言ってくれるのは中村さんだけだよ」

「そうですか?みんな心の底では同じこと思ってると思いますけどね?」

「心の底ではね。でも、みんな口揃えて言うんだ。たしかにこのシステム導入はありがたいけど、この空気の中では、難しいと思うって」

「空気?」

「そう、空気。営業部長がさ、うちの営業部を牛耳ってるでしょ?あの人、まぁ、ここだけの話だけど、驚くほどパソコン使えないじゃない?ちょっとわからないことあったら、調べもせずに、すぐ僕のこと呼び出すし。そしたら、パソコンなんてすぐ壊れるもん信用ならん!!てキレだすし、、」

「なるほど。そのIT音痴の営業部長の配下では、誰も水差すようなこと言えないですもんね」

「そう、そのIT嫌いの部長の空気のもとにいると、どうしてもね。ほら、みんな家庭あるし。できる限りやっかいな事項は避けたいというか、、」

「それは、わかります。私も独身だから直談判しようなんて言えるけど、そうじゃなかったら、その空気に流されてるかもです、、」

「僕はさ、別に自分の経歴を自慢しようとかそういうことじゃないんだけど、別の会社で働いた経験上ね、やっぱり、これだけ世の中が変化している時代に生きているとさ、特に個人じゃなくて会社とかの単位になると、今までの常識を少しでも疑って、新しい考え方を取り入れてみて、みんなで意見出し合ってさ、失敗しながらもトライアンドエラーしていくことが、別に誰がえらいとかそういうこと関係なしに大切だと思って生きてきたのよ。会社の存続のためにもね?」

「めちゃわかります。私も。風通し悪いですもんこの会社」

「そうだよね。さっき言ってくれてた『水を差す』っていう行為もさ、わりかし僕は大切だと思ってて、だってどう考えてもこの紙管理を維持し続けることって難しいじゃない?紙だって劣化するし、そもそも何がどこに書いてあるかなんてもはや資料が膨大過ぎて読めなくて、営業メンバーの子だって、ファイル探すより先輩に聞くことしかしてないでしょ?じゃあその先輩いなくなったらどうするの?って話で、現実的に考えてやばいわけよ。その現実を理解するためにも、その現実といういわば『水』をさ、あえて差していくのは僕は大切だと思ってる」

「なるほど。たしかに。おっしゃる通りですね。やっぱり、私営業部長に話してみます。そんなすぐすぐ喧嘩売るみたいなかんじじゃなくて、あくまで提案というか、営業メンバーの課題感含めて、みんなにも意見聞いた上で、まとめて話してみます」

「うれしい。僕も応援する、というか一緒に頑張る!小さなところからでも動いていこう!」

そう言って、私たちは一致団結して、営業部長への提案の策を練っていくことになったのだった。

*******

一週間後、私たち2人は、営業部長に直談判することになった。

もちろん、その上で他の営業メンバーにも意見を聞いたけれど、あくまで2人の意見ということで、部長が午後の少し余裕がある時間帯を見計らって私たちは、彼のデスクの前へと向かった。

なんだか不安そうな顔を浮かべている他のメンバーの視線を感じる。
けれど、ここまで来たらもうやるしかない。私たちは意を決して、彼に話しかけた。

「あの、部長、今お時間少しよろしいですか?」

「うん」

「先日、おそらく森さんの方からも提案があったと思うんですけど、営業部の顧客情報管理システムの導入の件です」

「あー、あの、うさんくさいシステムの話か」

相変わらず、「デリカシー」という言葉は彼の辞書には載っていないらしい。

「部長も使っていただけたんですか?」

「あぁ、少しな。けどやっぱり僕は紙がいいと思う」

「どういう理由でそう思われるんですか?」

「だって、どう考えても怖いじゃないか。パソコンなんてすぐ動かなくなるし、そしたら急にデータが吹っ飛ぶなんてこともあるだろう?そうなったら困る」

「データ自体は、システム上に一度保存をすれば、クラウド上で管理されるので、パソコン自体に不具合が出たとしても、急に吹っ飛ぶなんてことは考えにくいです」

森さんがすかさずフォローを入れてくれる。

「でも可能性はゼロじゃないんだろ?そのクラウドってやつが壊れるかもしれんのだろ?」

「でも、実際、このシステム自体は、さまざまな業界で利用されているものなので、安全性は担保されています」

「安全性っていったってね。今の時代、国家の情報システムがハッキングされる時代だよ?そんないつ情報が洩れるかわからん怪しいものに頼ってたら、いざ何かあったときに、責任とれるんかね?どう考えても紙が一番だよ」

「紙だって、いつ情報漏洩するかわからないじゃないですか?」

「ちょっと、中村さん、、。」

イライラが限界に達してつい、口調が厳しくなってしまう。

「ここにはたくさんの紙で情報が管理されていて、多すぎるからロッカーに鍵とかかけれるレベルの話じゃないし、実際、部長だって、デスクに個人情報置きっぱなしのままで帰宅されたりしてることあるじゃないですか。いつ、強盗に入られたりして情報盗まれるかなんてわからないじゃないですか」

「強盗って、毎日ちゃんと施錠してるわけだし、防犯カメラだってある。そんな早々に情報が漏れることなんてありゃしないね」

「でも安全性が担保されたシステムを利用するのも変わらないですよね?
強盗に入られる可能性だって、システムが壊れる可能性だって、ゼロじゃない」

「そりゃあ可能性はゼロじゃないよ。でもどっちを選ぶかって言われたら、僕はやっぱり紙を選ぶ」

「紙、紙、紙って、、、紙に神様でも宿ってるっていうんですか?」

「あぁ、宿ってるよ。営業の神様がね。ここにある資料たちには、先代の営業マンたちの汗と涙の結晶がつまってる。みんな、必死で営業して、未来へつなげようと、一字一字こうやって歴史を、自分の手で、自分の書く文字で紡いできたんだ。それを時代がちょっとだけ変化したからって、変えるわけにはいかない。そのシステムを導入したら、それらだって、全部破棄するわけだろう?」

「すぐすぐ全部破棄するまではいかないです。ただ、私たちが話しているのは、たしかに、そうやって歴史を紡いできた資料たちがあるのは理解できますけど、残念ながら、その資料を全部読み込んで、活用して、営業をしている人物が今現状いないじゃないですか?すべて口頭で、先輩からの口伝えでしか、新しいメンバーが取引先について理解できない。そういう属人的な部分を放置したままにしていたら、それこそ先代が努力してきた汗と涙の結晶がパーになってしまう可能性だって高くなります。だから少しずつ、小さなことからはじめていこうという提案です」

「全部破棄しない、今は口頭で伝えるやり方で会社自体は回っている。別にそれで困っていない。なら問題ないじゃないか。なにを新しく未来に備える必要がある?なぁ、みんな、そうだろう?」

そう言って部長は、オフィスにいる営業メンバーに語りかけるように話した。他のメンバーたちは、困った表情を浮かべながら、うんうん、とその部長の発言にただただ頷くことしかできなかった。

そこには揺るがない空気があって、その空気に誰も、水なんて差せないようだった。

「そういうわけだ。だから、この件は却下。ほら、仕事に戻った戻った」

「お時間をありがとうございました」

何も言えない私を制して、森さんがそう部長に頭を下げたので、私も渋々頭を下げて、自分のデスクに戻ることになった。

どうしようもなかった。
どんなにあがいても、部長と話の論点がすり合わないと思った。

紙を神様だとそう呼ぶ部長が作り出した空気は圧倒的なオーラを放っていた。部長が、紙の神様、そう言い張る空気の神様のように見えた。
到底、私にはかなわない。そう思った。

私は、その空気の神様が作り出した空気の中を、ただただ、さまようことしかできなかった。

参照:空気の研究/山本七平著

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