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【小説】たぶん、きっとそれは愛。(第3話)


「ねぇ、明日近くに行くんだけど、夜会えない?」

最後に会ってから、約3か月が経とうとしていた頃、涼からメッセージがきた。

「あぁ、あれ以来か。」

私は昼休憩中の職場の周りの人に聞かれないように、ボソッと呟いて、携帯の画面をくるりと裏に向けてデスクに置いた。


あの生理が来なかったときのことを思い出して私は身震いした。
結局、あの後、病院からもらったピルを飲んではみたものの、全くと言っていいほど私の身体はピルという薬を受け入れてくれなかった。
擬似妊娠という言葉で例えられるその症状たちは、私の身体を蝕んだ。
いつもより重い下腹部、イライラ、ムカムカ、吐き気、辛すぎて私は飲むことをすぐに諦めてしまった。

それ以来、怖くて、そして加奈先輩に会わせる顔がなくて、私は連絡をとっていた何人かの男性たちと会うことを拒んでいて、今に至る。

今の私の生活は比較的落ち着いていた。
忙しかった仕事も、欠員が補充されたことによりだいぶ残業も減っているし、何より来ない生理に心を振り回されることもない。
やはり、忙しさに悲鳴をあげていた身体と不安定な心が生理周期に影響していたのだろう。あの1件以来、私の生理はほぼ周期通りにきている。
今の私の心は穏やかで、静かだ。この今の状況をくずしたくはない。

明日は土曜日。
定期的に会っている大学時代の友人、由奈と会う予定が入っている。
由奈に会うのは半年ぶりだ。
お互いに仕事も忙しくて会えなかったので、とても楽しみにしている予定である。
早めのランチから合流予定なので、涼が文面上で差している夜には解散していて会えなくもない。

「いやいや、ないない。」

もうあんな思いしたくないし、リスクが大きすぎるし、今の生活に荒波を立てるようなことはしたくない。それに由奈には久しぶりに会うのだし、積もる話が尽きなくてきっと、夜の居酒屋コースまで長引くだろう。

そんなことを考えながら、デスクに置いた携帯を手に取って、由奈からきたLINEを確認する。

「久しぶりに会えるの楽しみ♡そうそう、美奈子に報告したいこともあって、、また明日たくさん話そうね!」

嫌な予感がした気がして、通知をプッシュした手を離して、メッセージに既読をつけることをためらった。

こういうときの嫌な予感は、その嫌な匂いがプンプンと強ければ強いほど当たる。

由奈は誕生日が8月なので29歳、私もこの12月で29歳になった。
この年齢の、この手の久しぶりに会う友人の報告という類の名前のついた言葉は、同棲、結婚、出産など、パートナーとのライフステージの変化の意味を差していることがほとんどである。

あぁ、また1人、また1人と私の目の前からいなくなっていく。
あぁ、私は平静を保っていられるだろうか。

そう考えると不安になってきて、涼と夜に会うという選択肢をなくしておくことが怖くなった。自信がない。

由奈のLINEの通知から、涼からきたメッセージの通知欄に移動して、既読をつける。

「明日友だちと久しぶりに会う予定あって、その後夜遅くなるかもだけどいい?」

そう文面に入力して返信した。
そして由奈のLINEにも既読をつける。

「報告もだし、会えるの楽しみにしてるね!また明日着いたら連絡する!」

そう文面に入力して由奈に返信したと同時にまた、通知がなった。
涼からの返信だ。

「了解!俺もどうせ仕事だから遅くなるし全然大丈夫!また終わったら連絡して!俺も仕事終わり次第連絡するよ。」

少しだけ気持ちが和らいだ。
大丈夫。大丈夫。

29歳、世の女性たちの人生は慌ただしい。
転職、婚活、同棲、結婚、妊活、出産、人それぞれ、さまざまな方向に、周りの友人たちが新しいスタートを切りはじめている。
私はいつも、その彼女たちの後ろ姿を頼もしく、けれど、どこか悲しい気持ちになって見つめている。

学生時代、友人たちと、四六時中おしゃべりして、おいしいものをたべて、朝から夜が明けるまで一緒にいることがあたりまえだった。もはや会うことに飽きがきてしまうくらいに、毎日のように会っていた。それが社会人になって、会う頻度は日を追うごとに少なくなっていく。月に1回になり、半年に1回になり、1年に1回になり、、、そして、、、。


「ごめん。旦那の仕事忙しくてさ、家事しないといけないからしばらくは夜電話できないんだ!」

「ごめん。平日お互いに仕事で、一緒にいれないことが多いから、週末は旦那さんと一緒にいることにしてて、だからしばらく会えなさそうだ、、。」

「ごめん。子ども産まれててんやわんやで、、。旅行はしばらく無理そうだ。」

彼女たちが提示した、誰もいない「しばらく」という終点の駅で、彼女たちが電車に乗って到着するのをたった1人で待っていたこともある。
季節は冬に移り変わり、ぴゅーぴゅーと駅のホームを駆け抜ける冷たい北風は、ベンチに座った私の体温をみるみるうちに奪っていく。
きっときてくれるはず。その淡い期待まで持っていかれそうな寒さだった。
どんなに夜遅くまで、寒さを我慢して待っていたところで、彼女たちが電車に乗ってその駅に現れたことは、今までに一度もない。

彼女たちが悪いわけではない。それに彼女たちを責めたいわけでもない。そもそもその駅に彼女たちがくることなんてない。そんなこと言われたときからわかっている。わかりきった上で、私はそこでずっと待っていた。
他に行くあてなんてなかったから。
けれど、どう考えてもそこにいる意味がないことを急に悟ったとき、私は駅の改札を出て、真っ暗な夜道を歩きはじめた。

目的地ははっきりしている。
凍えそうな冬の夜、キムチだ、トマトだ、とんこつ醤油だ、豆乳だと、もめにもめた結果、最終的に結局、シンプルな白だしに決まった鍋のまわりを取り囲んで、いろんな方向から、突き刺さった足たちが、暖かい布団の下で喧嘩し合って、肉だ、豆腐だ、白菜だと鍋をつつきあって、鍋が空になったあとには、おいしいみかんを食べて、そしておしゃべりして、気づいたらこたつの中でうとうとして、みんなでいつのまにか眠りに落ちていたあの瞬間の、幸せのあたたかさで心が満ち足りていたあの場所を私はいつも探してしまう。

なぜ自分がそこに惹かれるのかなんてわからない。
それに、手にしていたはずの幸せのあたたかさを私がどこに忘れてきたのかのかだってわからない。
けれど、寒空の下で、私はそれをずっと探して、歩いている。

あの瞬間と同じように
社会人になってから、一人暮らしの家にこたつを買ってみた。
そこに1人で足を入れて暖をとって、とんこつ醤油味の鍋を作って食べてみた。

全然違った。

誰かを介さない形でその幸せを手に入れたくて、料理教室にも通ってみたし、山にも登ってみた、毛糸を買って手芸にも挑戦してみた、ミニトマトを植えて家庭菜園にだってチャレンジしてみたこともある。

全然違った。

どんなに探しても、あの瞬間のあの幸せのあたたかさを同じように見つけることはできなかった。
寂しくて、悲しくて、寂しくて、悲しくて。
また、あてもなく私は寒空の下を歩き出す。

また、行くあてがなくなっている。
そう気づいた瞬間には、いつのまにか私は、誰もいない「しばらく」という駅に戻ってしまっていた。
行くあてもないのでまた、私はその駅のベンチに腰掛ける。
また、戻ってきてしまった。
私は、寒さに耐えながら、もう一度、きっと来ない彼女たちの到着を待つことにした。

そんなどうしようもない私の前に、電車に乗って現れたのが涼だった。

「うん、私も友だちとの予定終わったら連絡するね!仕事お疲れ様!」

そう涼に返信して、目の前にあった缶コーヒーをぐっと飲み干して私は仕事に戻った。

*******

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