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【小説】たぶん、きっとそれは愛。最終話(第6話)

ポンと鳴って沸いたポットの合図を聞いて、ポンポンと私の頭を撫でていた涼の手が、私の頭から離れる。
気を遣っているのか、涼は、泣いている私の方向を見ないように背を向けて、ポットの方へと移動してくれた。

その背中を見ながら私は思った。

「たぶん、きっと私は涼のことが好きだ。」と。

涼がポットのそばに置いてあった茶葉を取り出して、あたたかいお茶を淹れようとしてくれている。

*******

世の中にはたくさんの愛がある。
親への愛、子どもへの愛、恋人への愛、妻への愛、旦那への愛、友人への愛。
数え切れないほどの愛に囲まれて私たちは生きている。

そこで言う愛の形や定義は人によってさまざまで、100人いれば100人違った愛への解釈がある。

私の場合、愛の定義は、「相手を支配すること」と同義の意味を指していて、そうやって生きてきていたのだと思う。

そうやって生きるに至った要因について、深く思考したことはなかったのだけれど、よくよく考えてみると要因は幼少期にあった。

私は幼い頃から、比較的裕福な家庭で育ち、小さな身体と心で受け止めるにしては、大き過ぎて、容量を超えてしまうほどに、十分すぎる愛を受けて育った。

両親には、確実に、「美奈子にはこうなってほしい。苦労させたくない。」という確固たる理想像があって、私はその理想を崩してしまわないように一生懸命に生きてきた。

「美奈子ちゃんは勉強ができて本当に優秀だね。」

「うちの子も美奈子ちゃんみたいに、大人でまじめに育ってくれればいいのに。」

そう周りの大人が褒めるたびに、両親は誇らしげに笑みを浮かべていて、その笑顔に応えようと私はさらに邁進して、「いい子の美奈子」になっていった。

その頃の私の生き様は、完全に、両親の愛に支配されていた。その愛から逃れようとすることは、両親の愛を裏切る行為であったから、そんなこと、私には絶対にできなかった。

大人になるにつれて、そんなにいい子じゃない、本当の自分はもっと違う姿形をしていると気づいたときにはもう手遅れだったのだと思う。

そうやって支配される愛に縛られて生きてきた私は、他の人からの愛を素直に受け止めることができなくなっていた。

「好きだから付き合ってほしい。ずっと一緒にいたい。」

そうやって、少なくはあるけれど、何度か愛の告白をしてもらったことだってある。
けれどいつだって思い浮かんでしまうのは、その愛を受け入れたとして、一緒に時間を過ごしているうちに、束縛されたり、依存されたり、また逆もしかりで、自分自身がその人がいないと生きていけなくなってしまう、自分が自分じゃなくなってしまうという過去の記憶が蘇って、怖くて、私はそれらの愛を受け止めることが、ほとんどと言っていいほどできなかった。

愛の気配を感じるたびに、支配の手が伸びてきて自分の身動きがとれなくなることを想像して、それが怖くて、私はいつも逃げていた。

そういう私が恋に落ちるのは、いつだって、愛のない人だった。

彼らは、私を「他の男に会うな。」と束縛したりすることはない。
週末を一緒に毎回デートで過ごしたりして、自分の時間がなくなってしまうこともない。
「美奈子のこと好きだよ。ずっと一緒にいよう。」だなんて重すぎる言葉をかけられることなんてない。

それくらいが私にはちょうどいい。

そう思っていた。
けれど、私は甘かった。
自分の中にどっぷりと染みついた、支配の愛が沸々と、わきあがって、溢れ出てくるなんて思いもしなかった。

愛のない彼らは、私が会いたいと思ったときに会える確率は低くて、いつだって、彼らが会いたいと思ったときのタイミングでしか会うことができなくて、そして、そのタイミングはいつも突然で、いつも日が暮れていた。

私はいつだって、その来るかわからないタイミングに合わようと、金曜日の夜と週末の夜には、できる限り夜までの予定は入れずに、連絡がきたらいつでも駆けつけることができるように家で待機していた。
電話やLINEの受信音は音量をMAXに設定して、トイレに行く時だって、お風呂に入るときだって、スマホを肌身離さずに持っていた。
口が臭くなるのが嫌で、大好きなニンニク料理だって食べずに、運転ができなくなるので、大好きなお酒だって飲まずに我慢して待っていた。

それでも連絡がくることなんてざらだったから、来たときにはうれしくて仕方がなくて、それが、どんなに深夜であろうと、光のような早さで準備して彼のもとへと向かっていた。

無意識のうちに、私に染みついた何かが溢れ出てきて、彼らを支配しようとしていたのだと思う。

彼らからの連絡がないときには、彼らが住んでいる家や、よく行っている居酒屋、彼らがインスタに挙げていた場所やお店など、彼らの出没スポットにわざわざ偶然を装っては赴いて、彼らの姿を探し、いなければ、「今偶然近くにきているんだけど。」といった電話やメッセージを執拗に、何度も毎日のように連絡した。

会うときはできる限り彼の家に行くようにして、散らかっているときには、必ずきれいに掃除をして、彼らの好きなメニューの料理をつくって、その合間合間で、彼の家の中の女の気配をくまなくチェックして、彼の趣味や好きなものをチェックして、どうやって、彼を私がいないと生きていけないように仕向けていくのかの計画を頭の中でぐるぐると考えていた。

そうやって、日に日に重くなっていく、支配しようとしてくる私から、愛のない彼らが去っていくスピードは早かった。

支配する愛が怖くて、受け止めることができずに逃げているくせに、自分自身は相手を愛で支配しようとして逃げられる私は、いつだって最終的に傷ついて、いつだって最終的に1人だった。

「支配」という名の愛の定義は、私を縛りつけて、全然離れてはくれなかった。そんな私は、いつも寂しくて、悲しくて、そして孤独だった。

結果的に傷つくのなら、結果的に1人で孤独になるのなら、愛なんて自分の人生にない方がいい。そんなことを思って、私は、同時に、複数人の男性たちと、短期間の関係をいくつか持つことを日常に取り入れた。
彼らと夜を重ねることで、息詰まっている毎日から、一時的にでも解放されるその感覚が心地よかった。複数人に分散することで、私の支配したがる愛があふれ出てくることも格段に減った。
でもそれは結局一時的でしかなくて、結局私は1人で孤独だったのだけれど。それでもいいと思っていた。

涼と出会ったのは、そんな毎日を送っていたちょうど1年前の冬のことだったと思う。

その年の冬は、いつもくるその季節と変わらず、いつも通りに寒かった。
いつも通りに澄み切った空には、いつもと変わらずオリオン座の星たちが、配列を崩すことなく、秩序を保つように綺麗に並んで、空を照らしていた。
そして、私自身もいつも通り変わらず1人で、ただでさえ冷え切っている気温の中で、孤独の寒さにいつも通りに耐えていた。
その寒さを少しでもやわらげようと、いつも通りにマッチングアプリで連絡を取って、いつも通りに夜に会う約束をして、いつも通りの場所で私は涼に会った。
他の男性と会うときと何ら変わりもなく、そのまま2人で居酒屋に行って、焼き鳥を食べて、お酒を呑んだ。そしていつも通りホテルに行って、一夜をともにした。

別に何ら変哲もない、いつも通りの出会いだった。

ただ1つ、いつもと違う要素を挙げるとするならば、想像以上に2人の共通点が多くて、居酒屋で話が盛り上がってしまって、そしてそれによって沸いてしまった親近感が要因で、涼に抱かれた腕の中で、いつもより、異様にあたたかさを感じてしまったことだったと思う。

「あぁ、これは深入りしてはいけないやつだ。」


そのあたたかさに私はまた、「支配」という愛の気配を感じてしまって、距離を置かなければととっさに思った。けれど、なんだかそれが切なくて、悲しくて、涼の体温を感じながら、私は涙してしまった。

「涼と会うのはしばらく辞めておこう。」

そう思って、その夜のあとしばらくは彼に連絡しなかった。
察していたのか定かではないけれど、彼も私に連絡をしてくることはなかった。

1か月くらいが経った頃だったと思う。

ちょうどそろそろ涼に連絡を取ろうかと思っていたタイミングで、涼から連絡がきた。

「今偶然近くにいるんだけど、今日の夜会えない?」と。

そのとき私は思った。

「もしかすると涼は、私と同じなのかもしれない。」と。

それから何度か涼と会っているうちに、涼の愛の定義が私と似通っているという事実を認識することに時間はかからなかった。

人は基本的に、他者のことになると、いろいろと注意深く観察することで、その人の性格や考えていること、行動などを理解できるのに、とりわけ自分のこととなると、主体であることが要因なのか、うまく観察できずに、自分自身を正確に理解することを見誤ってしまうことが多々あると思う。
けれど、自分と似たような性格や、同じ似たような行動をとっている他者を目の前にしたとき、その他者を観察することを通して、自分をはじめて、俯瞰してみることができるようになって、自分自身の正確な理解が進むことがあるとも思う。

涼はまさにそのパターンに当てはまった。

どういう理由かはわからないけれど、涼の愛の定義は私と驚くほどに似通っていて、それに基づく彼の行動パターンも私と一緒だった。

彼が私に連絡するときは、なぜかいつも私のいる場所や、家の近くで、タイミングがよくて、私が連絡するときはほぼ100%の確率で、彼は私に会ってくれた。そして、いつも彼は驚くほどに、私の感情を理解してくれて、優しくて、彼の腕の中はいつもあたたかかった。

*******

いつのまにか、ベッドの横にあるテーブルの上に、あたたかいお茶が用意されている。
気を遣ってくれているのか、「ここに置いとくね。」そう言って、また、私の顔を見ないように下を向いて、私の後ろの方からベッドに戻って背を向けた。

お互いに背中を向けたまま、湯気が溢れているあたたかいお茶を2人でゆっくりとすする。


そういえば、「あぁ、私はこのまま支配されるかもしれない。」そんな予感がして、嫌になって逃げ出そうと思ったこともある。
けれど、涼はそんな私を執拗に追ってくることはなかった。

私がかつて、愛のない彼らを執拗に追いかけ回したときのように、毎日のように連絡をとってくることはなかったし、自分の生活の中に食い込んでくるような気配も見せなかった。束縛するような言葉を私に言って、縛り付けることもなかった。


涼といる時間は、いつも心地よくて、彼の提供してくれる愛が私にとってちょうどよかったのだと思う。

ときに、「そこに愛なんてないくせに。」そう吐き捨てて思わずにはいられないほどに、その愛の提供頻度は、まばらで、忘れた頃に、急に突然目覚めたかのようにやってくる。


私の錯覚なのかもしれないけれど、涼は、「支配」という愛の定義から抜け出そうと試行錯誤していたのではないかとそんなことを思う。

よくよく考えてみたら、彼はいつだって、私が執拗だと感じないようにするためか、連絡頻度を最低でも最後に会ってから1~2週間はあけてくれていた。
変に関係性を変えないように、けれど淡泊にならないように、いつだって会う予定になるのは夜だったけれど、彼は先に晩御飯を食べていることなんてことは一度もなかった。いつだって私の夕食に合わせてくれていて、私が食べていないときは一緒に食べて、私が食べ終わっているときはそれに合わせて夕食をどこかで食べてきてから会ってくれていた。
きっと、誕生日だって、知ってはいたのだろうけれど、その当日に連絡がくるなんてことはなくて、わざわざちょうど誕生日があったことなんて忘れてしまう頃に、シュークリームを買ってくれて、きっと、渡すかどうか何度も迷っていたのだろう。バッグの中でくしゃくしゃになったことがそれを物語っていた。

きっと彼は、新しい愛の定義を見つけようと、必死にもがいているように私には見えた。

私なんて、とうの昔にそんなことあきらめて、蓋をして、見ないことにしてしまっていたのに。

そんな私の横で、彼は不器用ながらに試行錯誤していたのかもしれない。

こんな考えもただの妄想で、ただの錯覚なのかもしれない。

けれど、もはやそれでいいと思う。

先にお茶を飲み終わった涼が、私に背を向けてベッドに横になる。
その気配を感じ取って、私は手にまだあたたかいお茶が残ったコップを持ったまま、彼の背中を見つめる。

「たぶん、それはきっと愛だよね。」

そう心の中でつぶやく。

私を束縛するわけでもなく、私を支配するわけでもない涼の愛は、いつも不器用だけれど、いつだって、あたたかくて、そこには私への配慮と思いやりがあった。

多すぎない連絡頻度も
夕食の予定を必ず確認してくれることも
私の感情を確認しながら、やさしく抱いてくれることも
くしゃくしゃになったシュークリームも

「たぶん、きっとそれは愛なのだ。」と思う。

別にそこに名前なんかいらない。
彼氏とか彼女みたいな
旦那とか妻みたいな
どこか支配が存在してしまうような名前は別になくていい。

「私への愛って絶対だよね?」
「本当に私のこと愛してくれているの?」

そう確認しなくてもいいし、確固たる形になんてならなくてもいい。

「たぶん、きっと、それってたぶん、きっとそれって愛だよね。」

そうやって、頑張って探さないと気づかないような小さな愛を、空っぽの心の引き出しの中に1つ1つ丁寧に集めて、並べていく。

その引き出しは、大きな愛みたいに簡単にいっぱいにはならないかもしれないけれど、その1つ1つを忘れることなく、ときに引き出しを開けて、並べられた小さな愛たちを振り返ってみて、心をあたためることができるならば、それでいい。


「たぶん、それはきっと愛。」

涼が淹れてくれたお茶を、最後まで飲みきって、その瞬間をまた、私は引き出しにしまう。

「たぶん、それはきっと愛。」

そのくらいの愛が一番、今の私にはちょうどいい。

お茶のコップを置いて、涼の背中に手を伸ばして、私は彼の後ろから両腕を回した。
その私の両手を手に取って、握りしめた涼の体温はまだ、とてもあたたかい。


たくさんの小さな愛に囲まれているとわかったとき、私は少しだけ前に進める気がして、気づいたらそのまま、心地よい眠りについていた。


完 

*******

<第1話>


<第2話>

<第3話>

<第4話>

<第5話>




























































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