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書き続ける私を、好きでいたい。

本日の記事内には”虐待”に関する記述があります。生々しい表現は避けてありますが、読まれるかどうかのご判断は各自でお願いいたします。


自分という人間が嫌いだった。過去も現在も含めて、自分の存在を肯定することができなかった。

私は、両親から虐待を受けて育った。母も父も、それなりに重い暴力と暴言を私に与えた。父親に至っては、性的虐待も加えてきた。それによる痛みと憎しみは、私という人間の深部をことごとく踏み荒らした。


当時、「お前は悪くない」と言い続けてくれた幼馴染がいた。でも、彼とはあるときを境に連絡を取らなくなった。理由は様々だが、平たい言い方をしてしまえば、互いの重さに耐えきれなくてその手を離した。それだけの荷物を、私たちは抱えていた。痛かったのも苦しかったのも、決して私だけではなかった。彼もまた、相当なものを抱えて一人、立っていた。


彼と離れた私は、完全に孤独になった。私の過去を知る者はなく、それは自由と引き換えに、誰にも痛みを分かってもらえない日々の始まりでもあった。

自己紹介で「私は虐待サバイバーです」と書けるのは、おそらくSNSの世界だけだ。合コンで言えばドン引きされる。履歴書に書けば落とされる。そういう類のものだ。どちらも当然、試したことはない。しかし、おそらくこの見解は間違っていないと思う。

過去を隠す。それが私にとっての日常だった。あったものをなかったことにする。痛いものを痛くないと思い込む。そんなアンバランスな毎日は、容易く私の精神を蝕んでいった。

記憶に残る感触、声、臭い、痛み。それらがあらゆる場面で勝手に自動再生される。世間一般で言うところのフラッシュバックというやつだ。そのたびに息は乱れ、空はみるみる揺らいだ。視界がぼやけ、意識が遠のく。このまま二度と目覚めなければいい。幾度となくそう思った。

そんな時期の私が常に手元から離さなかったのは、物語と呼ばれる類の書籍だった。それらに混じえて、ノンフィクション作家の作品も片っ端から読んでいた。主に、虐待体験を綴ったものを選んだ。本人が書いたもの、セラピストが書いたもの。どの角度から書いたものかは問わず、とにかく読み漁った。自身が抉られるような痛み。読むことにより引き戻される記憶。どろどろした感覚は、決して心地良いと言えるものではなかった。でも、当時の私には必要な時間だった。

私は、自身のなかにある怒りや憎しみと向き合う術を、探しあぐねていた。体験を綴った書籍のなかには、「許せない」という剥き出しの感情が詳細に記されていた。一見綺麗にまとめられているように見えても、細部にその欠片が散らばっている。私はそれを拾い集めるようにして、夢中で読み進めた。

「憎んでいいんだよ」

そう言ってくれた幼馴染の言葉。思い出し、書いて、染み込ませる。その繰り返しのなかで得られた平穏が自身に完全に溶け込むまでの間、脆い心は度々揺らいだ。気圧の変化だったり、ホルモンバランスの乱れだったり、ブラック企業による過重労働の軋轢だったり。些細なストレスが引き金となり、過去の自分が牙を剥く。そういうとき、分かりやすく自分を肯定してくれる文章が手元にほしかった。私の味方でも何でもないはずの他人。圧倒的な第三者。その人が、「憎んでいい」と言っている。それこそが、真実だと思いたかった。

「憎くて当たり前だ」
「殺意は未だにある」

そんな表現を読むたびに、安堵できた。私だけじゃない。親を許せないのは、私だけじゃなかった。日本でも、海外でも、多種多様な人々が同じような理由で苦しんでいる。「許せない自分」を責めて、のたうち回っている。それを読むことで、知ることで、私は深く息が吸えた。


最低だ、と思うだろうか。同じような痛みを持つ人の手記を読んで安堵する。こういう書き方をすると、随分酷い人間のように思える。でも事実、私はそうして生き延びた。もちろん専門医のカウンセリングも受けた。セルフカウンセリングも学んだ。その一貫でひたすら書き続けてきた。色々な積み重ねで、こうして生きている。ただ、痛みを伴う文章を読むことは、私にとって”許し”を得ることと同義だった。

それは何も、ノンフィクションに限った話ではなかった。物語でも映画でも、私は、心臓がぎりぎりと音を立てるような作品を好む傾向にある。例えそれで記憶が噴き出したとしても、それもふまえて観たいし、読みたいのだ。

それは一体何故なのか。私は、確かめたかったのだと思う。

痛みを与えられている場面で、登場人物たちは苦痛の表情を見せる。ときに泣き叫び、命ごいをし、すすり泣く。もしくは憎しみを露にして、対象に刃を向ける。怒り、悲しみ、憎しみ、痛み。私がとうの昔に忘却の彼方に置き忘れてきたものたち。自由になった途端に手元に戻ってきて、持て余した感情の大波。

あぁ、こんなにも、苦しんでいる。
叫んで良かったんだ。苦しんで良かったんだ。痛がって良かったんだ。泣いて良かったんだ。

泣きながら「タスケテ」と言っている。
そうだ。私は、助けてほしかった。「助けて」と、そう叫んで良かったんだ。


作品を味わいながら、私は私を許していた。出さずに必死に押し殺してきた感情を、そっと撫でていた。押しつぶされて変形したそれらは、一様に怒りの声を上げた。

”ずっとずっと、押し込めやがって。ずっと、苦しかったのに。こんなふうに、ずっと叫びたかったのに”

そんな声が聞こえる。ごめんね、と小さく呟く。見ないふりを続けてきた私のなかの”わたし”に、ただ、頭を下げ続けた。


カルチャーは、いわば娯楽だ。でも私にとって、カルチャーは命綱でもあった。今でもそういうところがある。そしてそれを悪いことだとは思っていない。どんなモチベーションでどんなものを味わうのか。それを決める権利は、私にある。


文章も、言ってしまえば娯楽の一つだ。消費する、という概念が個人的にはあまり好きではない。私にとって文章とは、もっとじっくり味わうものだ。読み解き、ゆっくりと咀嚼して血肉にする。好きな人の文章ほどその傾向は強まる。読む速度は、おそらくわりと早い。でも、速読はしない。しっかり最初から最後まで読みたい。文章にも強弱があり、見せ場がある。しかし、物語にしろエッセイにしろ、見せ場に自分の求めている一文があるとは限らない。

作者が強調したい部分はこうして太字で書かれている。しかし、読み手の心に残るのが必ずしもそれと一致するとは限らないのだ。だから私は、読み飛ばしをしない。読み飛ばした部分に自分の求めている宝ものがそっと横たわっていたら、それほど寂しいことはないと思うから。これは何も速読が悪いと言っているのではなく、あくまで私個人の趣味趣向の話だ。


見える場所で書いていくと決めたとき、自身の原体験を軸にして書く指針を定めた。どこまで痛みを出すか。どこまで事実を書くのか。生々しい表現が続き過ぎれば、読み手も私も疲弊する。自分がそういうものを好む傾向にあるからといって、必ずしも万人がそうなわけではない。それでも、必要な痛みは残そうと決めた。それは、私自身がそういう文章に救われてきたからだった。

痛かった。苦しかった。許せなかった。今も、許せずにいる。

唯一それらを肯定してくれた幼馴染の言葉を借りて、負の感情を許したい想いを言葉にした。少しずつ少しずつ、読んでくれる人が増えた。言葉を返してくれる人が増えた。想いを手渡してくれる人が増えた。

「あなたは、悪くない」
「許さなくていい」

そう言ってくれる人が増えた。私にかけてくれる誰かのその言葉を、昔の自分のような人が外側から見て、少しでも安心してくれることを願った。


もちろん同じような経験をされてきた方で、自分の両親(もしくはどちらか)を許している方もいるだろう。大変な道のりを歩んでそこに辿り着いたであろうことは、想像に難くない。そこを否定する気なんて、さらさらない。

しかし、だからといって私も許さなければ、とは思わない。同じ経験をしてきた。それはときに、互いの関係を大きく歪める要因にもなり得る。
「同じ経験をしてきた」だけで、私とあなたは「同じ人間」ではない。
あなたは許した。私は許していない。たったそれだけのことだ。どちらが正しいかなんて、誰にも決められない。その決定権は、それぞれの心のなかだけにある。

私の文章を読んで、「あなたは、お父様を許してもいないでしょう?」と仰る方もなかにはいる。お答えできるとしたら、この一言だ。

「はい。許していません」

そして、今後も許すつもりはない。


父は、私という人間を壊した。親だろうが何だろうが、それを私は憎んでいいはずだ。理不尽な犯罪行為を毎日強いられた。そんな相手を許さねばならないのがこの国の法律なら、私は今すぐにこの国を出る。

先日のエッセイでも書いたが、「前世の因果が…」としたり顔で言ってくる人もいる。申し訳ないが、言わせてもらう。

前世なんて、知るか。

私は前世なんて覚えていない。女だったか、男だったか、そもそも人だったかすら覚えていない。そんな記憶にもないあるかないかも不確かなもののせいにされて、「だから仕方ないのよ」なんて、そんな暴力的な説明に納得して差し上げる道理はない。それを納得したい人はもちろんすればいい。そこを否定なんてしない。でも、私にそれを強要するのはやめてほしい。

私には、虐待された経験がある。でも、他人の経験までは背負えない。それは各々が自身の手でどう付き合っていくのかを決めるしかない。

私が書いたものが正しい。私の救われてきた道が正しい。そんなふうに書いた覚えなど、一度もない。私は私だ。こうやって生きてきた。その軌跡を、ここで書いているに過ぎない。

違う部分があって当たり前だろう。親子でさえ全く違う人間だ。似たような痛みを背負ってきたからといって、相手のすべてなんて分かりようもない。


ずっと、自分が嫌いだった。でも今は、自分のことを少しずつ好きになりかけている。

想いを綴る。日常を綴るときもあれば、こうして過去に基づいた重い記憶を孕むものを綴るときもある。それが私だ。どちらも紛れもなく私であり、同じ棚にその記事が並ぶことに何の違和感も感じていない。マガジンは分けている。しかしその違いでアカウントまで分けようなどとは思わない。

虐待されていた過去は、私の汚点ではない。誇れるものではないかもしれないが、少なくとも私は一ミリも悪くない。

そんな私が、母親になった。だから育児エッセイも書く。日常も書く。感情の解像度を上げて想いを綴ったりもする。同じ人間が書いているものだ。同じアカウントでそれを書くことに、何の問題もないはずだ。


多面的でない人間なんていない。画一的に生きられる人なんていない。私には、様々な顔がある。他の人たちもそうであるみたいに。

笑顔の裏で泣いている人もいる。泣いている裏で笑っている人もいる。丁寧な言葉の裏にくっきりとした攻撃の色が見えることもあれば、軽やかな言葉の裏に溢れんばかりの優しさが満ちていることもある。もちろん、その逆も。


私が書いていく理由は、一つじゃない。伝えたい相手も、記事の内容によって全く違う。読み手への配慮は忘れない。しかし、それは伝えたい痛みをすべて削ぎ落してしまうことではない。

見せる痛み。隠す痛み。静寂と叫び声。その配分を決めるのは、あくまでも私だ。何故なら、私は誰かに書かされているわけではなく、私が書きたいという意志の元で書いているのだから。

誰のことも傷付けない文章なんてない。そのことを踏まえた上で、私は私の文章を書く。そうでなければ、書き続ける意味なんてない。


生き抜いてきた。そのことを、いい加減誇りに思いたい。
書き続けてきた。そんな自分を、少しでもいい、好きになりたい。

そう思うことは、おそらく悪いことじゃないはずだ。


生まれてきたこと。自分の命。その存在を肯定する。それは簡単なようで、案外難しい。でも、不可能じゃない。


たった一人でもいい。手放しで信じてくれる人がいれば、私たちは何とかこの世界を歩いていける。仮に今現在そんな人がいなくとも、そういう相手に巡り会えるかどうかは、実際死ぬまで分からない。巡り会える保証はない。しかしそれと同じくらい、巡り会えない保証もない。

それは何も異性のパートナーに限った話ではない。同性のパートナー。家族関係。友人。はたまたネットの世界で出会った誰かの可能性だってある。私自身、何人かそういう相手がいる。心から信頼できると思える人。そういう相手に、私は此処で出会えた。

「大丈夫だよ」
根拠もなく、そう言い切ってくれる人がいる。

「書き続けて欲しい」
真剣に、そう言ってくれる人がいる。

そんな今の自分を、好きになりたい。存在を、肯定したい。誰かに認められたから、という理由じゃなくて、私そのものを。

”生まれてきて良かった”と、そう思える自分でいたい。


上手く息ができないとき、結局私はこうして文章を書いている。表に出すか出さないかは、書き上がるまで決められない。それでも、とにかく書いている。

書くことが生きることなのだから、もう、どうしようもない。

エゴの塊のような自分も、いつの日か丸ごと愛せる日がくるのだろうか。
そうだといい。時間がかかってでも、そうできる日がくるといい。


想いが全くない相手なら、きっとその人の文章を読むことはない。
読んでくれる人が一人でもいるうちは、書きたいことが尽きてしまわないうちは、私は此処で書き続ける。


悩んでも悩んでも、「書かない」という選択肢は出てこなかった。例え、私の文章を読んで傷付いてしまった人がいたとしても。

これが、私が出した答えだ。


私は、私の文章を書く。それ以上でも以下でもない。
そんな自分を愛したい。少なくとも、今の私はそう思っている。



心配して声をかけてくださった皆様、本当にありがとうございます。
今回何があったのか、お相手の方がTwitterでご自身が私に宛てたⅮⅯを公開したことにより、大勢の方が目にしていると聞いています。

私はそのⅮⅯを受け取り、しばらく悩んだ結果、返信することなくその方をブロックしました。理由は単純で、その文面を読んで深く傷ついたからです。
「あの内容でブロックするのか」と思う方もいれば、「あれはブロックして当たり前だ」と思う方もいるでしょう。「関わりたくない」と思う方もいるでしょう。受け取りかたは人様々です。本文にも書きましたが、そこに正否があると私は思いません。

何を受け取るか。何に傷付くのか。それは自分の心で決めて良いことだと、私は思っています。

私にできることを、必死に考えました。しかし思い付いたのは、せめて今後は虐待の詳細を書く際には冒頭に但し書きを付けることくらいです。
但し書きを付けると、その記事で伝えたい想いが他のところにあったとしても、フィルターがかかってしまいます。特に創作小説などは、物語そのものの色を但し書きにより決めつけられてしまうような気がして、なかなか書く気になれませんでした。実際、私が手にした書籍の数々にはそういう描写が容赦なく含まれていますが、但し書きが冒頭にあったものなど一つとしてありません。

個人を攻撃する内容でなければ、創作は自由。そう認識していました。でもその考えは、noteの世界に於いては甘かったのだと思います。
今後はエッセイにしろ小説にしろ、暴力的な描写を含むものは、冒頭でお知らせする形を取らせて頂きます。ただし、定期購読マガジンに於いてはその限りではありません。その理由は、敢えて此処で書かずとも、マガジンを読んでくださっている方々なら分かってくださると思います。


私にできることは、他には正直、特にないと思っています。あちらが公開しているのはあくまでもご本人の発言であり、それを公開されたところで私には何を言う権利もありません。

私からあちらに何かを言うつもりもないし、この件に関して書くのはもうこれでおしまいにしたいと個人的には思っています。

人と人の間に何かしらがあったとき、人は誰しも、自分の感情に添って話をします。それはもちろん、私自身も含めて、です。実際に何があったのかを確かめようもないとき、私はいつもある方法を取ります。

食い違っている双方の主張の、間を取る。

もちろん犯罪に絡むものや仕事場でのトラブルなどはまた別の話ですが、個人間の諍いならばそのスタンスで話を聞くようにしています。なので、私の書いたものだけを読んで判断してほしくないとも思うし、あちらにはあちらの心情があるのだと思います。


一つだけ、知っておいてほしいことがあります。

私は、「自分と同じような虐待体験をしてきた人となら、すべてを分かり合える」とは思っていません。むしろ逆です。
痛みの強い体験は、自身のなかの価値観を大きく揺るがすものです。そこにどう立ち向かってきたのか、どうやって生き抜いてきたのか、それは人により様々です。その違いを分かった上で、一定の距離を取る。そうしなければ、お互いに苦しくなります。これは、今までの経験上学んできたことでもあります。

「分かってくれると思っていたのに」

今まで何度言われたか分かりません。でも、ごめんなさい。すべてを分かることも、すべてを共感することも、私にはできません。

”違う”ということを受け入れる。

私が望むのは、たったそれだけです。






最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます。 頂いたサポートは、今後の作品作りの為に使わせて頂きます。 私の作品が少しでもあなたの心に痕を残してくれたなら、こんなにも嬉しいことはありません。