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決して手放さず、武器にせず、静かに力にするもの。

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早いもので霜月に入り、寒さがぐっと増してきた今日この頃。昨日に引き続きの雨で、足元から冷たい空気がひんやりと立ち上っています。


8月、9月(2ヵ月ぶん)の定期購読マガジンの収益の半額を、いつものように児童虐待防止運動に携わっている「オレンジリボン」団体に寄付させて頂きました。

収入金額は単純に、寄付金×2と思ってもらえればと思います。寄付は1000円単位からとなっているので、端数が500円以上の場合はそこに自身のお金を上乗せして寄付に、500円以下の場合は私自身の活動費、創作費に宛てさせて頂きます。

当然ながら、寄付金の額を公表することでマガジンの購入を煽る意図は一切ありません。感謝の気持をお伝えしたいという想い、当初宣言した通りの収益の利用方法を実行している証明のためだけに載せています。

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2ヵ月ぶんを合わせて、18,000円の寄付を贈ることができました。定期購読マガジンを購入してくださっている皆さま、単体記事を購入してくださった皆さま、いつも本当にありがとうございます。


先日、和菓子屋さんで美味しそうな栗大福を見つけました。秋は美味しいものがたくさんで、あちらこちらに目移りしてしまいます。
心が疲れたとき、好きなものをゆっくり味わう時間は安らぎを与えてくれます。食べるものは身体を作り、身体と心は同時に整うもの。同時に崩れやすいからこそ、どちらのケアも疎かにしないよう気をつけています。


ここ最近、自身の体験を書いていくなかで様々なことがありました。そのなかで感じた感情は一言で言い表せるものではなく、喜怒哀楽が入り混じった混沌とした色がぐるぐると渦巻いていました。「書く」という行為の重さ、言葉の扱いかたを改めて考えさせられました。

原体験に基づいた文章を書くとき、どんなに気を付けていても感情が走ってしまう癖があります。走り出した感情は強い色を乗せて、ときに思いがけない鋭さで読み手の心に突き刺さります。
伝わってほしい、という想いはかけがえのないものです。でも、その想いがあれば何を言ってもいいわけじゃない。日本語は語彙がとても豊富です。世界一豊かだと言われているその言葉は、選び取って丁寧に扱いたい。伝えるのと押し付けるのは違うのだと、いつも自身に言い聞かせながら、書き上げた文章の推敲をしています。


やさしい体験を伝えるのなら、感情が走っても構わないと思っています。ただ、私はどうしても苦しかった体験を書く割合が人よりも多いので、そういうときは事実と感情の配分を繰り返し思案します。これは何もそういう書き方が正しいと言っているわけではなく、あくまでも私個人の拘りの話です。

辛かった体験も、楽しかった体験も、私にとっての「過去」であることに変わりはありません。この両者が複雑に絡み合う記憶が多数存在していて、人対人の間に起きるあれこれは、一概に正否、正負で分けられるものではないのだなぁ、といつも思います。

両親に虐待されていた記憶は、捨て去りたいものばかりです。しかし、同時期にしっかりと心を添わせて私を守ろうとしてくれた幼馴染がいました。彼との思い出は、決して捨てたくないものです。その人の言葉が在ったから、今の私があります。
現在別居中の旦那からは、不定期でDV、モラハラを受けていました。しかし、彼と付き合っていた5年間、また、その後の結婚生活においても、決してすべてが不幸だったわけではありません。幸せだったときも、愛し合えていると感じられた瞬間もちゃんとありました。 

相反する感情を併せ持つ記憶の扱いかたは、とても難しいです。体験のどの側面を伝えたいかで、書きかたも大きく異なります。


以前、「鬼の棲む森」という物語を書きました。

勝手なもんなんだ、ヒトっていう生き物は。いつだって、自分の見たい角度からしか物を見ない。そして、見たくないものは見ない。目を瞑れば、なかったことになる。そのほうがきっと楽だろう。

人は多面体で、それはすべての物事において言える部分です。どちらから見るかで見えかたは大きく変わる。そのことを、忘れずにいたいです。


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簡単にはリセットできないほど大きな衝撃があったとき、私はいつも海に行きます。潮の香りを吸い込んで、ゆっくりと呼吸をします。どんなに寒い時期でも、靴下を脱いで裸足になります。足裏が海水に浸かるたびに、身体のなかがまっさらに浄化されたような気持ちになります。
すべての悲しみが溶けるわけではないけれど、波の音を聞いているうち、”まぁ、いいか”と思えてきます。過去が追いかけてきて足首を掴まれる夜も多々あるけれど、未来がやさしく手を伸ばしてくれる朝もあります。


変えられない過去、望む未来、叶えたい想い。淡々と書く技術を身に着けたい一方で、感情を削ぎ落し過ぎないよう気を付けたいとも思います。そして何より、精神世界だけに籠らず、しっかりと外の空気を肌で感じる時間をつくりたいです。そういう時間を持つことで、私の世界は広がります。
牢獄のなかはとても狭く、偏った価値観を長期に渡り押し付けられて育ちました。今、少しずつ世界は広いのだと知り始めています。その感覚は、正直とても怖いです。今までの価値観が音を立てて崩れていきそうで、まるで自分が自分じゃないみたいな、足元がおぼつかない、妙な気持ちです。

怖くなり、何度もしゃがみ込みました。でも、”怖い”以外の感覚がたしかに私のなかにあり、それに支えられて今日までどうにか歩み続けています。これからも、生き続ける限り歩みを止めたくない。そう思いながら、どんな夜もどんな朝も、空を睨みながらでも生き抜いていこうと決めています。


栗大福を食べた日の幸福感。海に足を浸して気持ちを整えた夕暮れの空の色。息子たちと他愛ない話をして笑った日の夕飯の風景。そういうものを携えて、やさしい心持ちで過ごしたい。たったそれだけを願っていて、それはきっと、みんなそうなんだろうと思います。
特別な何かではなく、”当たり前”と言われる何か。それがあるから、心はほどける。ほどけた心は横に広がり、温かな和をつくります。

温かな和が広がれば、世界の色はやさしくなります。そんな未来を望む気持ちを捨てたくない。諦めたくない。

とある少年漫画の主人公は、腹のなかに一本の槍を持っています。私にとっての槍は、この想いです。

文章で人を救えるかなんてわからない。そんなの無理だと大勢の人が言います。でも、少なくとも私は文章に救われて生きてきました。だから、槍をしっかりと抱えて、これからも書きます。その槍は、人に向けるものではありません。私のなかに、ただ在るもの。決して手放さず、武器にせず、静かに力にするもの。それが私の、言葉の選びかたの根底にあるものです。


明日も明後日も、少しでも世界がやさしく在るように。
雨が上がって微かに覗く月明かりを見上げながら、今夜もそっと祈ります。



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