見出し画像

“伝えない”選択

この世界は広いのに、自身の知る世界がこの世のすべてだと思い込んでしまうときがある。生育環境やその後の人生のなかで通ってきた道のり。それらから大きく逸脱した世界を、人は簡単には受け入れることができない。
日本では当然のようにシャワーをひねればお湯が出る。しかしちょっと国外に出れば、飲み水の衛生すら確保できない国がたくさんある。「信じられない」と思う。でもそれは、揺るがない事実である。


「知らない」ものを「信じない」人たちが一定数いる。個人的には「信じない」ことそのものを悪いとは思わない。何を信じ、何を疑うかは本人の自由だ。しかし、それを本人に”伝える”人たちも、一定数いる。

ここ最近、とある事情からそういう情報に触れる機会があった。「信じない」人たちは、揺るがない自信の元に「嘘でしょ」と言い切っていた。言われた本人が言い返している場合もあれば、無視が一番、と相手にしていない場合もあった。
言い返さない人が傷ついていないわけではない。その無言の空白のなかには、間違いなく傷ついた心が存在している。しかしそれは、目に見えない。だから言う側は平気でエスカレートする。芋づる式に加担する人たちも増える。

自身の「信じられない」という主観だけを根拠に、驚くべき勢いで会ったこともない他者を批判する。本来なら主観は根拠にはなり得ないのに、断定した言い方をするのは何故だろう。その人たちは、見も知らぬ相手に「嘘でしょ」と伝えることで何を得たいのだろう。

人は信じたいものを信じ、見たいものを見る。それは自己防衛本能にも通じるものだから、否定するつもりはない。しかし、「私はあなたを信用しません」と明言することに、何のメリットがあるのだろう。それをすることで、誰か一人でも幸せになれるだろうか。海の砂が取り切れない足裏のような不快感が、ざらりと神経を撫でる。言われた側の痛みは、当人にしかわからない。


「嘘ではない」ことを証明するのが難しい物事はたくさんある。それと同じくらい、「嘘である」ことを証明するのも簡単ではないはずだ。当事者でなければわからないことがほとんどなのに、主観だけでそれがさも事実であるかのように公の場で本人に告げる。もしくは本人が目にすることを前提の場所で記す。その行為は、間違いなく自身に返ってくる。

もしもあなたが「こう思う」というだけで書いた見解が「間違って」いたら?
「嘘」だと言い切った物事が「事実」だとしたら?

「ごめんなさい」と言って、相手が許してくれる場合もあるかもしれない。でも、一つだけ覚えていてほしい。

人は、”許したふり”ができる生き物だ。
「いいよ」と言ってくれた人が、本心からそう思えているとは限らない。相手との関係が遠ければ遠いほどに、その選択をする人は多い。「許さない」と伝えることで新たな火種を作るくらいなら、許せなくても笑って「いいよ」と言う。小さな子どもみたいに「やだ!絶対許さない!」なんて言える大人は、おそらくほとんどいない。それを言えない人が悪いだなんて、私には思えない。許せないなら許さなきゃいいのに、と言う人もいる。言うは易し、行うは難しだ。


“伝える”ために言葉がある。しかし、何でもかんでも伝えればいいってもんじゃない。“伝えない”選択をする。それも大人としての分別だと思う。


あなたには信じたいものを信じる権利がある。物事を自由に判断し、自身の主観を元に好き嫌いを分け、思いたいように思う権利がある。それは誰にも侵害できないし、否定されるものでもない。

それと同じように、相手だってそうなのだ。相手には相手の信じる世界がある。生きてきた世界があり、歩いてきた道のりがある。あなたが知らないだけで、世の中には「嘘でしょ」と言いたくなる現実なんて腐るほど転がっている。


私にも、好きな人と嫌いな人がいる。信じたいものと信じたくないものがある。でもそれは私だけの主観だ。私が嫌いな人にも、その人を大切に想う人がいる。私が信じたくないものを、信じている人がいる。そのことを忘れたくない。


世界は広い。人が一生の間に体感できる世界は、そのうちのほんの一部だ。「知らない」ものを「嘘」だと言い切る暇があるなら、その世界を知る努力をしたい。そして、その世界がもしもやさしくないものなら、それを「知らない」で生きてこれた自分の境遇に心から感謝したい。

信じることは勇気がいる。疑う以上に。顔も知らない他人を否定する以上に。私は、信じる勇気のある人間になりたい。そのほうがきっと、世界が広がる。黒く塗りつぶすより、真っ白なキャンバスを用意できる人で在りたい。そこに描かれた色とりどりの世界を、先入観なしの心で眺められる人で在りたい。


誰もが思い思いの絵を描けるように。
誰もが自身の世界を否定せずに生きられるように。


信じてもらえた人間は、強くなれる。


「伝える」ことで相手が強くなれるものは、惜しまず伝えたい。逆のものは、自身が無関係であるならば伝えない。そんなシンプルなルールを、私はずっと守り続けていきたい。





最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます。 頂いたサポートは、今後の作品作りの為に使わせて頂きます。 私の作品が少しでもあなたの心に痕を残してくれたなら、こんなにも嬉しいことはありません。