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今日も明日も明後日も、この生活は続いていく。そういう温もりのなかで、子どもは夜、眠りにつきたいのです。

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最後まで読んで頂けると、とても嬉しいです。

真っ青な空に浮かぶ入道雲が、風に乗ってぐんぐんと目の前に迫ってきます。そんな風景を眺めながら、まだまだ夏真っ盛りの灼熱の太陽に焼かれる日々。それでも夜になると、秋の虫の鳴き声がします。リンリンと鳴くその声がひっそりと秋の匂いを連れてきてくれて、それだけで僅かながらに涼やかな気持ちになります。

今月は、少し辛いことの多い1か月でした。そんな中でも定期購読マガジンを続けることができたのは、たくさんの仲間が支えてくれたおかげです。

マガジンを始めることを決めたとき、書いて伝えることを柱に、そこから得た収益を昔の自分のような子どもたちのために使うことを決めました。
子ども一人の命を助けるには、どうしたってその命が生きていくためのお金が必要です。食べて、適切な治療を受けて、本人が望むなら学ぶための費用もかかる。虐待を受けた子どもを親元から救い出して終わりじゃない。そこから、ようやく始まるのです。


先月(7月)の定期購読マガジンの収益の半額を、いつものように児童虐待防止運動に携わっている「オレンジリボン」団体に寄付させて頂きました。
今回は10000円の寄付を行うことができました。毎月少しずつではありますが、寄付できる金額が増えてきています。マガジンの記事をいつも読んでくださる方々のおかげです。本当にありがとうございます。

収入金額は単純に、寄付金×2と思ってもらえればと思います。寄付は1000円単位からとなっているので、端数が500円以上の場合はそこに自身のお金を上乗せして寄付に、500円以下の場合は私自身の活動費、創作費に宛てさせて頂きます。
当然ながら、寄付金の額を公表することでマガジンの購入を煽る意図は一切ありません。感謝の気持をお伝えしたいという想い、当初宣言した通りの収益の利用方法を実行している証明のためだけに載せています。

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今日は二度目の通院日でした。病院はやはり、何度行っても慣れません。
病院の帰り、海に行きました。漁に出ていた船が何艘も行き来し、その度に波間に船の通り道ができていました。すぐに消えてしまうその道を眺めながら、ぼんやりと様々なことを考えました。子どものこと、自分のこと、旦那とのこれからのこと、書くこと、仕事、治療、生きていくこと。あちらこちらに漂う悩みが、浮かんでは消え、消えては浮かび。波間に漂う白い泡のような悩み事が、ぷかぷかと脳内を泳いでいます。海にいる間も、これを書いている今現在も。

時間を不定期で失う私を、雇ってくれる企業はあるのか。いつくるかわからないフラッシュバックに怯えながら、どんな仕事ならできるのか。私はいつになったら、本当の意味で自立して旦那と籍を抜くことができるのか。全部自分のことなのに、これらすべてを自身で背負わねばならない現実を理不尽に感じてしまう私がいます。

人並みに愛されて育つ。そんな当たり前のことが叶わなかった。適切なケアや支援を受けることもできなかった。それは私の責任ではないはずなのに、そこからきている後遺症にこの年になっても尚苦しめられています。

怒りを向けたい相手は、もうすでに都合の悪い記憶を手放してしまいました。
私の体内に宿る記憶。
昔語り合った幼馴染の記憶。
この二つが矛盾することなく合致しているという事実がなければ、自身の記憶さえも疑いたくなるほどです。

両親は今、私を「愛していた」過去を抱きしめて生きています。それは幻想に過ぎないのに、彼らにとってはそれが真実なのです。

記憶を手放しても人間性そのものが大きく変わるわけではなく、両親は常に高圧的な物言いをします。
母親の口癖は、「お母さんの言うことを聞いていれば、間違いはないんだから」
父親の口癖は、「俺の名前を出せば、何でも話が通る」
この年になると鼻で笑ってしまいたくなるほど、しょうもない台詞です。でも子どもの頃の私は、これらの口癖が恐怖でしかありませんでした。

子どもにとっての親は、世界のすべてと言っても過言ではありません。子どもの年齢が幼ければ幼いほどにその世界は狭く、親という存在が自身のアイデンティティと深く繋がっています。成長するに従い、子どもは親から離れて自立への道を歩みます。しかしその道のりは、愛されている安心感があってこそのものです。


愛されることを諦め、暴力に怯え、必死の思いで逃げ出しました。逃げられたらようやく自由になれると思っていたはずなのに、心には大きな穴が空きました。今でもその穴は塞がっていません。きっと生涯、塞がることはないでしょう。昔はそれを他の誰かの愛で代用しようとしたこともありました。しかしその行為は依存関係を形成するだけで互いのためにならず、むしろ傷つけあう形でしか繋がることができませんでした。

親の愛は代用不可なのだと、20代前半にしてようやく学びました。現在はもうすぐ40代になろうとしています。さすがに今は、穴を穴のままで生きていく覚悟が身に付きました。しかしそれは、寂しさを感じないという意味ではありません。圧倒的な寂しさや孤独は、未だに毎日襲ってきます。ただそれを無理に何かで代用したり、人に押し付ける愚かさを知ったというだけの話です。


もっと安心して生きられる毎日を、悪夢に追いかけられないで済む毎日を、これから先の未来を生きる子どもたちには過ごしてほしい。そういう日々を当たり前のように手に入れてほしい。

毎日の生活に感謝するのは素晴らしいことです。しかし、目の前の平穏がいつ崩れるかと怯えながら生きることを幼い命に強要することには、何の意味もメリットもありません。むしろデメリットだらけです。

安心して生きたいのです。今日も明日も明後日も、この生活は続いていく。そういう温もりのなかで、子どもは夜、眠りにつきたいのです。

眠る前、我が子の額をそっと一撫でしながら「大好きだよ」と囁く。それだけで、子どもの心は驚くほど満たされます。私が昔ほしかったのは、シルバニアファミリーの赤い屋根の大きなお家でも、リカちゃん人形でも、ファミコンでもありませんでした。たったそれだけが、どうしてもほしかったのです。


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叶わなかった願いを追い求めるのをやめて、今は自分にできることを探しながら生きています。息子たちを愛することで、昔の自分が救われている部分も大いにあります。抱きしめるとにっこりするちびの温もり。頭を撫でると「やめろよ」と言いながらも口元が緩む長男。彼らの寝顔を撫で、手のひらをそっと繋ぐ。「おやすみ」に込めた想いと「大好きだよ」の一言を、彼らは余すことなくしっかりと食べてくれています。

私は母親としてあまりにもポンコツだけれど、それでも彼らは私に「大好き」を返してくれます。全身全霊の信頼を持って。私はせめて、それに応えたいと強く思います。


明日も明後日もその次も、10年経った先でも、私は彼らを愛したい。
一緒に暮らせなくてもいい。彼らが健やかに生きていてさえくれれば、それだけで。

子どもは親の所有物じゃない。子どもには子どもの人生があります。親はあくまでもサポーターであり、支配者じゃない。伴走するより、少し後ろをゆっくり付いていくくらいで丁度いいのかもしれません。


私が書き続けることで伝えられること、できることはあまりにも僅かです。でも、決してゼロじゃない。だから、来月も書きます。その次も、そのまた次も。

守りたいものがある。それを守りきる力がほしい。
そのためなら、どんな過去があっても人は強くなれるのかもしれません。


穴は塞がりません。でも、代わりに大きな山ができました。その山には、此処で出会った仲間たちがくれたたくさんの言葉が、やさしく降り積もっています。

”ありがとう”

いつもその想いを抱きながら、パソコンのキーボードを心のままにタッチしています。


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