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短編小説 調香師の娘

 ストックにあったこちらを今週末は投稿します。結構お気に入りです。

 ココ•シャネルが調香師と出会いあのシャネルNo.5を生み出したことで運命を変えたエピソードが好きです。

 いつか群像劇を書いてみたいなぁ。
では本編どうぞ。
   
 

 ある王国に、宮廷お抱えの調香師がいた。

 世界中の美しい花を集めた温室で彼女が調合する香水はまるで魔法のように人々を魅了していた。
 薔薇、金木犀、鈴蘭、ミモザ。彼女がその魔法の腕を振るえば、手の中のガラスの小瓶に一瞬にして香水が満ちる。王や王妃だけでなく、社交界にも、さらには隣国にも彼女の名声は轟いていた。

そんな彼女には一人の娘がいた。

彼女も幼いながら母の魔力を受け継ぎ、自分で様々な香水を作り出していた。しかし、彼女が求めたのは、母の作るような香水ではなかった。
 例えば、宮廷の庭に庭師が水を撒いた後の地面の香りや、メイドたちが忙しなく夕食の準備をしている台所からもれてくるビーフシチューの香り。王様が趣味の狩りをして帰ってきた時の微かに香る森と獣の臭い。そんな香り、というよりむしろにおい、と呼ぶに相応しいものばかり小瓶に閉じ込めていた。しかし、薄目はそんな何気ない瞬間を香水瓶に閉じ込めて、そっと楽しむことが好きだった。

母は、そんな誰にも求められない魅力のない香水ばかり作る娘を疎ましく思っていた。

娘が香水を作って見せるたびに「なんだってお前はそんなものしか作らないんだ。私の娘だってのに、変な臭いの香水ばかり作って。全く、恥ずかしくてお前を娘だって言いたかないよ」そう吐き捨てると彼女は自分の調合した薔薇の香りを振り撒いて娘を置き去りにして温室に籠ってしまうのだ。
 娘はまだ10歳で、何を人が求めるのか、どうすれば母が自分を認めてくれるのか分からなかった。
 宮廷の人間も母の才能を受け継ぎながら無駄にしている、と娘を蔑んでいた。そのことが余計に、調香師を娘から遠ざけた。
 娘は、周囲の人間の目に込められた意味などわからなかった。ただ自分の好きな香水を、大好きな母に認めて、いい香りだと言って欲しかったのだ。
 

しかし、幼すぎる彼女には母の望みなどわからない。なす術はなく、寂しさだけがただ残った。


 その日も、彼女は母に見せた、朝露と草むらの香りの香水の瓶を投げ捨てられて、泣きながら王宮を歩いていた。
 広い石造の城を顔もあげずにどんどん歩き、気がつけば北の塔のてっぺんへと繋がる階段を登っていた。
「ここはお母さんとメイド長に来てはいけないと言われた場所だわ。戻らなくては」
 娘は顔をあげ、薄暗い廊下の突き当たりに大きな木のドアがあるのを見つけた。そのドアにはちょうど娘の頭より少し上に小さな小窓が付いている。
 誰の部屋のドアかしら。恐る恐る近づくと、小窓から
「あら。なんだかいい香りがするわ」と楽しそうな女の声が聞こえてきた。

聞き覚えのない、知らない若い女の人の声だ。


「ねぇ貴方もしかして調香師さん?宮廷にとってもいい腕前の方がいると聞いたわ」
「調香師は私のお母さん。私も香水は作るけど、全然上手に作れないの。だから私の香水をお母さんは捨てちゃうの」 
 娘は小窓を覗いて中の人の顔が見たいが、まだ身長が足りない。ドアには鍵がついていないが、太い閂がしてある。
 するとドアの向こうで誰かが扉に近づく気配がした。石造の床を何かがするような音もする。ドレスのような上等な布が擦れる音だ。
「まぁ、貴方はこんなにいい香りなのに?お母さんは認めてくれないのね。今つけている香水、ちょっとそこの小窓から振りかけてくださらない?」娘は初めて自分の香水をいい香りと言われ、なんだかお腹の中がぽかぽかするような気持ちになった。
 「うん、わかった」
 

娘はポケットから今朝調合したばかりの『雨あがりの庭』の香りの香水を小窓に向かって振った。


 すると、ドアの向こうから息を吸い込むスーッという音と、香りを楽しむようなため息が漏れるのが聞こえた。
「とても不思議な香りね。どのお花の匂いとも違う、素敵な香り。これは?」「今朝の雨があがったお庭の香り!」娘は嬉しそうに答えた。
「まぁ、そうなの。私、このお部屋から外に出たことがないから、お庭の香りって初めてよ。面白い香水、もっと嗅がせてちょうだいな」
 女はふふ、と笑った。
 娘は香水を楽しんでもらえたことが嬉しくて、もっとこの声の主に褒めてもらいたくなった。ポケットに入っていたありったけの小瓶を取り出し、蓋を開けていく。
 洗い立てのシーツの香り、ティーポットにお気に入りのお茶を入れた時の香り、久しぶりに衣装棚から引っ張り出したドレスの匂い。
 女は扉の向こうで香水を吸い込み、香水の名を聞くと外の世界はこんなに素敵な香りで満ちているのね。と、娘を称賛した。
 

 小瓶をすっかり振り切ると、娘はとても温かい気持ちになっていた。

 いつの間にか、母に小瓶を捨てられて泣いていたことなんか、すっかり忘れてしまった。
「ねぇ、こんなに素敵な香水を作った可愛い貴方のお顔が見てみたいわ。このドアの閂、開けてくれないかしら」
 女はねだるような声を出した。
 娘はすぐにでも女の顔が見てみたいと思ったが、誂えられている閂の太さが目に入る。何かをまるで閉じ込めているようだ。出てきてはいけない何かを封じ込めてるような。
 「で、でも閂が重そうだし、あ、メイド長に頼んで開けてもらうわ!」娘は扉から一歩後ずさった。胸が少しザワザワした。ここがきてはいけないと言われた、北の塔のてっぺんということを思い出したのだ。
「大丈夫よ。この閂、見た目よりもずっと軽いしすぐ抜けるわ。ただ私は触れないの」 
 女は優しい声で言った。
 「貴方の香りを、直接この胸に吸い込みたいの。ぜひ、可愛い貴方を抱きしめさせて。さぁ貴方の香りを嗅がせて?」
 娘はそっと手を伸ばした。怖かったが、どうしてもこの女性に会ってみたかった。抗いがたい何かが自分の中で自分を動かすのを、娘は受け入れた。
 閂は本当に簡単に外れた。軽く力を入れただけでからん、と音を立てて抜けて石畳に落ちた。
 がちゃり。
 ドアが開いた。娘は足元に転がっていた空になったガラス瓶をふみ潰して、ふらふらと中に入った。ガラス瓶は粉々に砕け散り、ドアは再び閉ざされた。
 
 

「どうしてここの北塔には普段近づいてはいけないんです?」

 つまみ食いの罰に北の塔の掃除を言いつけられたメイドは、箒で床の埃を掃きながら、年上のおさげのメイドに尋ねた。
 おさげのメイドは窓の格子を雑巾で磨きながら、顔を顰めた。
「あんた、そんなことも知らないでここで働いているのかい。

ここにはね、化け物が封じられてるんだよ。

人間の心、特に寂しいとか、愛してほしいって気持ちに敏感な恐ろしい化け物だよ」
 つまみ食いメイドは恐る恐る、例のドアの前を掃く。「そ、その化け物に捕まると、どうなるんですか?ど、どんな恐ろしい姿をしてるんですか?」
 窓の格子から差し込むオレンジ色の西陽が床に散らばったガラスの破片をきらきらと輝かせる。見覚えのある瓶の残骸を見つけたつまみ食いメイドは、指を切らないようにそっと拾い上げる。
「捕まった奴が一人も戻ってこないんだから、どんな化け物か、捕まったらどうなるかなんて誰も知らないよ。ただ、」
 おさげのメイドは差し込む日差しに眩しそうに目を細める。
 瓶の破片がこの扉の前で香水の瓶が砕けてしまったことを物語っている。
 そのことに気がついた時、扉の小窓から、嗅いだことのある香りがした。あの、いつも泣いていた、寂しそうなあの子の、

「その化け物、鼻が全く効かないんだってさ」

 あの子が笑っていた時の、あの香りがした。

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