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自分という不思議な生きもの

録画しておいた上野千鶴子さんの情熱大陸を見た。今年の4月に東京大学の入学式の式辞で現代社会の性差別問題に触れて大きく話題になった方だ。

ジェンダー関連の話題には日頃から高い関心を持っている(1人の女性として持たざるを得ないとも言える)けれど、今回はそういう観点で何かを書きたくてnoteを開いたわけではない。その番組を見たときに感じたあることが今またふっと脳裏をかすめたので、簡単に書き残しておこうと思ったのだ。

その番組の中で特に印象に残った部分がある。社会学者でフィールドワークにいそしむ上野さんの映像が流れたあと、ご本人が次のようなことを言った。

「社会学者は自分より他人に興味がある。小説や詩を書くような人は、自分に興味がある。(私は)自分のことなんて知ってもしょうがないし、それよりも他人を知りたいと思う。」※録画を消してしまったので、正確な引用ではありません。ご本人に申し訳ないけれど、記憶を頼りに要約して書いています。

率直に、面白いなあと思った。番組を通して終始フンフンと彼女の言葉に大きくうなずきながら見ていて、ここだけ考えが正反対だったから印象に残ったのだと思う。

私は基本的に他人にそこまで興味がなく、それよりも自分が本当のところで何を考えているのかを知りたいと思う。こうやって文章を書いたりするのも好きだし、生活の中で自分に関することで新たな気づきがあると一人で驚いたりそれを面白がったりするタイプの人間だ。

どっちが正解、とかの話ではもちろんない。ただ、改めて人の感覚はいろいろで面白いなと思ったし、さらに改めて、私は自分のことを知りたいと思っている人間なんだなと自覚したので、何となく書き残しておこうと思った。

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ほかの誰でもない「自分」として生まれてきて、さまざまなものの影響を受けながら今の自分が形成されているとはいえ、本質的な部分ではきっと何か「核」のようなものが最初から備わっていたのではないかと思ったりもする。

そして自分が「自分」という意識を持った個体であることの不思議について考えていると、どうしても命の不思議にも思いをはせてしまう。

ヒトの体内で化学的な出来事がちゃんと定められた手順どおりに進んで、小さな赤ちゃんとなって生まれてくること。

そもそも自分が今漢字をスラスラ書けたり日本語を流ちょうにしゃべれるようになるまでの過程ってものすごいことだな、と日々英語と格闘しながら思ったり。さらに考えが脱線して、人間はことばを徐々に習得してしゃべれるようになるけど、じゃあ動物の鳴き声も実は赤ちゃんのころは何を言っているのか親にも分からないのかな、とか思ったり。

あと、人間の寿命は何でほかの動物と比べてこんなに長いんだろう?とか、でも樹木などの「生命」も含めれば人間なんて全然かなわないな、とか。

そこまで考えていくと、やっぱり地球という生命が生きていける環境の奇跡に改めてめまいを覚えたりする。さらに宇宙の不思議に関してはもうあまりにも難しすぎて、いつもそこで思考停止してしまうのだけど。

そして、そういう壮大な不思議にまで考えが膨らんだあとに、結局戻ってくるところは私の場合「自分」のことなのだ。

自分の体が一つの宇宙だと思う、と以前に別のnoteでも書いたけれど、私にとっては自分を知ることは宇宙を知ることと同義のような気がしてならない。

これからも、自分という不思議な生きもののことを少しずつ知っていきたいと思う。

締め切りに追われているときにこんな雑記を書きたくなってしまう私は、やっぱり謎だ。

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