『私はロボットではありません』
唐突にその言葉がパソコン画面に現れたのは、納期に追われてものすごい勢いで調べ物をしていたときのことだった。
Google Chromeのタブをいくつも開き、キーワードとなる英語を次々と組み合わせて調べていく。文字どおり手を休めることなく動かし続けていたそのとき、それは現れた。
『私はロボットではありません』
通常と異なるトラフィックが検出されました、という文言と共に、ロボットではないことを証明せよというチェックボックスが現れたのだ。
そのとき私が調べていたのがテロ関係の英語サイトばかりだったからか、はたまたサイトからサイトへと次々と移りながら調べる速度が異様に速すぎたからか。
理由はよく分からないけど、とにかく私はGoogleにロボットの疑いを持たれてしまったらしい。
その時担当していた字幕翻訳の仕事はイギリスの硬派な討論番組で、議題はテロについてだった。
翻訳という仕事は英語で書かれていることをそのまま日本語で表現し直すだけではダメで、正しく翻訳するためにも事実関係の裏取りが欠かせない。
番組の最初から最後まで、調べることは山のようにあった。
「あの日」をきっかけに始まった、終わらないテロとの戦い。
次々と現れるテロ組織、その複雑な背景。
何月何日の攻撃で何十人が犠牲になった。どこの施設が標的になった。
政府関係者がこんなツイートを投稿した…などなど。
細かい情報は日本語で報道されていないことも多い。
急げ急げ、締め切りに間に合わせるには超特急で調べて訳して、字数制限内で意味が伝わるように字幕表現を推敲しないといけない。
そんな時に現れた画面だった。
最初はそのページがウイルスかもしれないと怪しんだ。海外のサイトに飛ぶときは特にいつも以上に注意して、怪しいサイトを踏まないように検索結果画面のURLを確認することを徹底しているけど…。
ウイルス対策ソフトが起動していることを確認してからスマホで調べたら、まれに出現する本物の画面だと判断して間違いなさそうだった。
現れたチェックボックスにチェックを入れて送信ボタンを押せば、私がロボットではないことを証明できるらしい。
簡単だ。納期も迫っているし、ささっとチェックを入れて調べ物を続ければいい。
…でも、一瞬考えてしまった。
私は、人間らしく働けているのだろうか。
今の仕事は好きだ。だけど、短い納期で、労力に対してまだまだ十分とは言えない単価で、気づけば何時間も席に座ったままで、食事はインスタント食品を味わうことなく咀嚼し、納品物の質を保つことだけに食らいつく、そんな納品前の生活。
『私はロボットではありません。』
納品直前の数日間は、私はロボットなのかもしれない。
そんな自虐を言いたくなる気持ちをのみこんで、チェックボックスにカチッとチェックを入れた。
その日、眠りにつく直前、ふと思い立ってイヤホンをして、好きな音楽を耳に流し込んだ。それを聴いて、ちゃんと心が動く。
ロボットじゃないぞ、と思いながら、もっと人間らしい働き方ができるように、いろんなことを少しずつ見直していこうと誓った。
日々はどんどん流れていく。日々に流されながらも、定期的にちゃんと自分の意思で立ち止まって、自分がどこにいるか、どこに向かっているかを確かめて、見極めて、未来を選んでいきたい。
※2019年2月に書いていた下書きを放出しました。この半年でまたいろいろ変わったなあと思いつつ、半年前の思考の記録として。
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