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highway, highway

小説を開けば、出だしの1行目からもう、そこには別の世界が確かに存在する。個性豊かな登場人物たち。シンプルだったり入り組んでいたりするけれど基本的には分かりやすい相関関係。さりげなく張り巡らされた伏線。どこか非現実的なのにリアルな風景描写。物語の中で移ろう季節。自由に行き来する時間軸。

突然始まる物語には、自分の日常にはない独特のパワーが秘められている気がする。小説なら、見知らぬ土地が舞台でも、見知らぬ人物が次々と現れても、スムーズにその世界観に入り込める。現実よりもはるかに容易に。ただページをめくっていくだけで、次々と物語が展開される。感情移入できる登場人物に自分の気持ちを乗せたりはしても、基本的には傍観者でいていい。傍観者は無力だけど、ある意味、無敵だ。

ここで、少し視点を変えてみる。どんなに面白い小説でも、1ページ目の、1行目の前から続いているはずの、その世界での登場人物たちの淡々とした日常は、きっと5ページ、10ページ、30ページ、100ページ…と延々と描写されても、そこまで楽しくはないだろう。誰かの「日常」にぐっとフォーカスを当てられても、単調なのに複雑でスムーズに入り込めないだろうし、いくら傍観者として適当に力を抜いて眺めていても、ずっと飽きることなく楽しめる代物ではないはずだ。日常は基本的にめんどくさく、つまらないことであふれている。

「つまらない」という言葉は否定的な響きを伴うけれど、以前、あるドラマでこんなフレーズが耳に入ってきた。

まっとうで必要なことって、つまらないんですよ、きっと。

うん、そうなのだ、きっと。それ以降、「つまらない」という言葉にも微かなポジティブさを感じるようになった。

確かなことが1つあるとしたら、延々と続く誰かの「つまらない」日常なしには、ドラマチックな物語も決して生まれることはないということだ。

だからといって、特に何の変哲もない自分の日常を、「これも私の物語の伏線の1つだ」なんて思い込もうとするのは無理がある。あまりに細かすぎる伏線は回収できずに終わってしまう可能性が高いし、そもそも現実の世界で伏線を仕込んでおくなんて、あまりに現実味がない。

やっぱり日常は日常としてただ受け入れるのみだ。だけど、伏線なんかなくたって、何らかの物語が不意に自分の身にも降りかかるかもしれないぞ、と思うだけで、ほんの少しワクワクする。その物語は電車の2〜3駅間くらいで終わってしまうようなとても短いものかもしれないし、他人から見たらちっとも心が動かないようなささやかすぎる内容かもしれないし、ハッピーエンドじゃないかもしれない。それでも、いつか終わる日が来るまでは、どこまでも続く日常の中でたまに起きる「おまけ」のような物語を楽しみにして生きていきたい。年が明けてから、何だかそんな気分だ。

今年も淡々と、自分のペースで日々をひた走る。たまにだらだら歩いたり、回り道したり、全力疾走したり、少し後ろを振り返ったりもしながら、とにかく前へ、進んでいく。楽しみはいつも、未来の中にあるのだ。

#新年 #日記 #雑記 #日常 #未来 #コラム

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