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「苦手」じゃなくて「好きじゃない」とはっきり認識すること

今まで、大人数での飲み会や旅行は苦手だなぁと思ってきた。人がたくさんいるとどこか所在ない気持ちになり、いつもその場を楽しみきれない自分がいた。もちろん楽しい瞬間もあるし、みんなと笑い合ったりしてるけど、ふと気づくと自分だけ遠くからみんなを見てる気持ちになる。そして家に帰ってから自己嫌悪で落ち込んだりするのだ。

ずっと「大人数が苦手で心から楽しめない私がダメなんだ」と思ってきた。苦手だけど思い出づくりのチャンスを逃すのはもったいない気がして、そういう集まりに参加しては、自然体で楽しめてる人や誰にでも分け隔てなく話しかけて笑ってる人を見て、劣等感を抱いてた。「自分は至らない人間だ」と落ち込み、悩みつつもそういう場を何とか楽しもうとしてきた。

だけど最近、ようやく気づいた。

先日、久しぶりに大勢で集まり旅行をしてきたとき、帰路についても落ち込むことはなく、以前とは違う素直な感想が浮かんできた。純粋に「今回は行かなくてもよかったな」という感想だ。私は大人数の中にいることが「好きじゃない」んだ、とストンと認識できた。なんだ、簡単なことだ。「好きじゃない」んだから心から楽しめなくて当然で、そういう自分の感覚を尊重してあげていいんだとシンプルに思えた。自分らしくいられない場所にわざわざ飛び込んで、そこで苦しむ必要はない。ストレスなく自分を出せる場所がほかにあるんだから、欲張らなくていい。

今までは、みんなと思い出を共有できないのは寂しいかも…と思い、参加しないという選択をする勇気がなかったけど、本当はそれで何を失うわけでもなかった。「好きな自分」でいられない場所で、あわよくば100%楽しみたいなんて、無茶なことを自分に要求してた。本当に楽しい思い出は、無理せず自然に「好きな自分」でいられるときに生まれるものだ。

だから、これからは飲み会でも旅行でも、大人数なら積極的に遠慮する。「行かなくてもよかった」とほんの少しでも後悔しそうな集まりには、最初から行かなくていい。そんな気持ちで参加しても周りにも悪いし…というのは言い訳で、何よりも、好きじゃないことにお金と時間を費やして心まで消耗したら自分自身がかわいそうだから。今までの「気を遣って参加してやっぱり心から楽しめなくて落ち込む」という悪循環の数々の、何と不毛だったことか…。

この変化は、もう大人数での形式的な「思い出づくり」にすがる必要がなくなった、ということなのかもしれない。それにフリーランスで働くようになって、お金と時間に対する考え方が変わったから、というのも大きいかも。せっかく自由に使える時間やお金を捻出するなら、自分がちゃんと満足できることだけに使いたい。本当に好きな人と、本当に楽しめることだけに。

この先、年齢を重ねていけばまた考え方も変わっていくかもしれないけど、しばらくはこれを自分の中のルールにする。自分の感覚に正直に、無理せずに。

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