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大事に切り取ること、いつの間にか忘れること

先日、公開していた有料ノートを削除した。「大勢の人に読まれるのは少し気が引けるけど“誰か”に読んでもらえたらいいな…」なんていう思いから有料という形を取ったものの、やはりそんな理由でするのは何か違う気がする…と思ったのだ。

「気が引ける」と思った理由は、気合いを入れて書き上げた初恋にまつわる内容に、自分のエゴが丸出しで恥ずかしくなったから。「私を分かってほしい」とか、そういう気持ちが強く出すぎていたと思う。だから同じテーマを書くにしても、1人でも多くの人に読んでもらうことを前提にした書き方をすればいいだけだと思い直した。

「私を分かってほしい」という欲やエゴは出さずに、自分の視点からありのままに書けるようになりたい。

昨日公開した「海へ向かう」というノートが、その理想に向かっての試作第1弾になる。ある日の思い出の一部分を切り取り、詩や物語のように読んだ人の頭の中でイメージが膨らむような、余白のある文章を書いてみたいと思った。削除したノートに書いた内容も、また時間を見つけて、形を変えて公開できたらいいなと思う。

それにしても、つい昔が懐かしくなって、当時書いていた日記をパラパラと読み返したところ、すっかり忘れていた人や出来事や感情のあれこれが一気によみがえって、ちょっと脳がオーバーヒートしている感じになってしまった。軽い気持ちで掘り起こした記憶の整理に、脳の働きが集中しているのが分かる。そのせいで頭が仕事モードに完全に切り替えられず、今もこうしていろいろ書いてしまっているのだ…。

過去の思い出が少しずつ記憶の底に埋もれていくことは、「今」をちゃんと生きるために必要なことなんだと実感した。

幸せな思い出も、苦い思い出も、もし常に全部をはっきり覚えていたら、脳も心も忙しくて、とてもじゃないけど目の前の日常に集中できない。いつの間にか忘れていくことで、ずいぶん助けられて生きてるんだなと思うと、自分の脳に感謝したくなる。どんな思い出も、ちょっとずつ、いい感じに記憶の奥にしまいこんでくれて、ありがとう。そして、普段は忘れててもちゃんと覚えてるなんて、偉い。

日記に書いてあっても全然記憶がよみがえってこないことも中にはあったりするから、それは日記を書き残しておいてくれた過去の自分に感謝しよう。素敵なこと、大切なこと、結構いろいろ忘れてしまってた。

そんなわけで、これからも日常のささやかな出来事や宝物のような思い出を、大事に切り取って書き残していこうと思う。

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