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祖母がくれた褒め言葉

あれは6年前の初夏のこと。米寿を迎えた祖母に会いに行こうと、久しぶりに母方の実家へ家族で遊びに行った。父は家で犬猫の面倒を見るため一人お留守番で、行き帰りの道中は母と姉と妹と私、女4人のプチ旅行となった。

ざっくり分けると、家族の中で私と父は基本的にはマイペースなおっとりタイプで、あとの3人はおしゃべり好きなちゃきちゃきタイプだ。性格は違えど、一時期は毎年あちこち姉妹で旅行に行っていたくらい姉妹仲は良く、旅行中も一度もケンカになることなく楽しく過ごせるような間柄だ。

そんな姉妹に母を加えた女4人旅の車中はにぎやかで、新緑と青空を背景に県境を越え、あっという間に祖母の家に着いた。子供の頃はとても遠く離れた場所だと思っていたのに、大人になると同じ道のりでも近く感じるのが面白い。年を重ねるにつれて、体感時間というものはなぜこんなにも変わるんだろう。

昔は毎年、父の運転する車で夏休みに遊びに来ていた土地だ。祖母の家へと続く見覚えのある交差点を曲がる瞬間、幼少期の自分たちがふと頭に浮かぶ。当時は後部座席に姉妹3人で並んで座っていたのに、今はあの姉がハンドルを握っているなんて、何だか不思議だ。

懐かしい外観のその家に迎え入れられ、お茶を頂きながらしばし休憩する。いとこのまだ幼い息子くんが遊ぶ様をみんなでにこやかに見守り、祖父のお墓参りを済ませてから、祖母を連れ出して5人で泊まる今夜の宿へと向かった。いつもは祖母の家に泊まるから、一緒に外泊するのは初めてだ。

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その途中で、少し遅めの昼食を食べようと母の好きなラーメン店へ立ち寄った。広い座敷のある、昔ながらのラーメン屋さんだ。

さて、何を隠そう私は食べるのが人より遅い。普通にせっせと食べているつもりなのに、ふと気づくといつも周りはとっくに食べ終えているのだ。

そんな私に慣れっこな姉たちは、「まだ食べてるの?」「食べるの遅すぎー」「全然減ってないじゃん」などと口々にあきれつつ、諦め混じりに笑ってはいるが明らかに手持ちぶさたになっている。特にラーメンなどは早く食べたほうがおいしいことは私も分かっているし、いつもより急いでいるつもりなんだけど、みんなも同じように少し早く食べるので、その差が縮まってくれないのだ。

家での食事なら、各々食べ終われば自由に好きなことができるため特に何も言われないけど、外食だと全員が食べ終わるまで待たないといけない。待たせていることに多少の申し訳なさを感じつつ、外食の席で家族にそう言われることにすっかり慣れている私は、「ちょっと待ってー」などと言いながら頑張って食べ進める。いつもの外食の光景だ。

いつもと違ったのは、そこに祖母がいたことと、そこで祖母が発した意外な言葉だった。

「みんなそんなこと言わなくていいの。○○ちゃんは丁寧にきれいに食べるのよね。ゆっくり食べるのはいいことよ。それはとっても素敵なことだからね。」

祖母も母たち同様自分のラーメンをとっくに食べ終えた上で、私の目をしっかり見て、柔らかい笑顔とうっとりした口調でそう言ってくれた。食べるのが遅いことを誰かにそんなふうに全力で肯定してもらったのは初めてだ。もういい大人なのに、私も祖母から見たらやはりいつまでも幼い孫のままなのだろう。

思えば祖母は、子供の頃に妹が冗談混じりに私に否定的なことを言った時も、「そんなことを言うもんじゃない」と妹をその場できちっと叱って、私の心を守ろうとしてくれていた。私は別に妹の言葉に傷ついてはいなかったけど、いつも優しい祖母が代わりに怒ってくれていることがすごく特別なことに思えたものだ。祖母もまた言葉の持つ力や怖さを知っていて、言葉を大切にする人なのだと今なら分かる。

祖母にたしなめられた母たちは子供のように冗談っぽく口をとがらせ、意外な褒め言葉をもらってしまった私は、嬉しさと申し訳なさの混じった気持ちで祖母に「ありがとう」と言って、またラーメンをすすった。

「食べるのが遅い」という否定的な言葉を打ち消して、祖母が上書きしてくれた「丁寧にきれいに食べる」という肯定の言葉は、その昼食をずっとおいしいものにしてくれた。(待たせてごめんね、とは思いつつ…)

***

その日の宿は、姉妹では何度か泊まったことのある渓流沿いの旅館を予約しておいた。周囲を緑に囲まれたのどかな一軒宿で、敷地内を細く流れる小川にはゆっくりと水車が回り、自然が溶け込んだきれいな庭園が広がっている。

夕食の前にみんなで軽く温泉につかって移動の疲れをさっと癒やし、浴衣に着替えて夜を待つ。日常とは違う時間が贅沢に流れる。

夜になり、個室の食事処で夕食が運ばれてくるのを待っている間に、サプライズで用意していた米寿祝いのメッセージを額に入れたものと、大きな花束を祖母にプレゼントした。祖母はその88年の歴史が詰まった、素敵なしわの増えた顔をさらにくしゃくしゃにして泣き笑いで喜んでくれた。

そんな中、夕食の品が次々に運ばれてくる。テーブルの上にはおいしそうな山菜やお魚やお肉の料理が上品に所狭しと並んだ。

お品書きを見ながら滋味豊かな食事を楽しんで、久しぶりに集まった3世代の女5人水入らずで、いつまでも話に花が咲く。私の食べるスピードは相変わらずだったけれど、それでもその夜だけはみんなを待たせることはなく、談笑が続く間に丁寧にゆっくりと食べ終えることができたのだった。


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