できるだけ透明でありたい
心の中のドロドロしたものを、吐き出すように書いてしまった昨日のnote。
心配してくれた方ありがとう。
言葉にすることで、荒れ狂っていた気持ちが、だいぶ静かになりました。
ホルモンバランスによるネガティブ思考と、この季節特有の「踏み出さなきゃいけない」みたいな空気の影響もあったかもしれない。
って、私なりに努力して、少しずつ整えてきたものが、一瞬で乱されてしまった。これからもきっと、心は上がったり下がったり忙しい。それも、生きているからこそなのだけれど。
いつも前ばかり向いていられないから、また弱音を吐くかもしれない。そのときは……ごめんなさい。
私が「書く」理由
心の嵐がおさまって、近所を散歩していたとき、改めて思った。
こうして私が自分の感情を文章にするのは、「できるだけ透明でありたい」からなんだって。
家に着くまで、あと5分くらいってところにある、緩やかな坂を上りながら。
そして、もう一度確かめるように味わった。
ふと見上げた空は、黄砂のせいか少し濁っていて、遠くの景色がグレーがかっていた。花粉と黄砂を防ぐために着けていたマスク越しに、ツツジだろうか、かすかに甘い香りがする。
書いて心を「ろ過」する
生きているから、毎日いろんな感情が生まれる。それは必ずしも、いいことばかりではない。少しでも気を抜くと、どんどん心がよどんでいって、大切なものが何か、分からなくなってしまいそう。
だから、私は書く。ドロドロしたものを「ろ過」するのだ。できるだけ小まめに消化しないと、苦しくなって、抱えきれなくなってしまうから。
自分と対話しながら、整理する。
私が私のまま、今日も生きていけるように。
書いて向き合って、受け入れる
透明であることは、決して楽じゃない。書くためには、時間をかけて自分自身と向き合わなければならないもの。
それでも、弱い自分もカッコ悪い自分も、丸ごと全部受け入れる。そうすれば、滞っていた感情が、またさらさらと流れはじめる。
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