「好き」の気持ちを大切に
以前の私に、自分軸というものはなく、今にも抜けそうな乳歯みたいに、ぐらっぐらの、ぶれっぶれだった。
特に、好きな異性に対して「それ」は顕著に表れる。
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小学校3年生のとき、同じクラスに好きな子がいた。
1学期が始まってすぐに、好きな食べ物や得意な教科、将来の夢などを記入したプリントが、教室の後ろに貼り出される。
「将来の夢」の欄に、私は確か「アナウンサー」と書いたと思う。一方、好きだった男の子は「コックさん」と記入していた。
それを見た瞬間、アナウンサーになりたい気持ちはきれいサッパリなくなり、「私も大好きな◯◯くんと同じ、コックさんになる!」と、あっさり進路変更。
うおーい。なんだよ、アナウンサーに対する情熱なんて、これっぽっちもなかったじゃないか。
今思うとあきれてしまう。
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高校1年生のときにも、似たようなエピソードがある。
当時私が恋していたのは、個別授業の塾の先生だった。
その人は当時、現役大学生。バリバリの理数系で、たしか国立大学の医学部だったと記憶している。
私は完全なる文系女子だったのだけれど、彼を好きになってからは、「看護学部を目指そうかなあ」なんて、本気で考え始めた。
完全に自分の意思ではなく、相手の気を引くのが目的だ。
でも、その人には既に彼女がいたし、先生と生徒という関係だし。それでも私は2~3回告白して、ちゃんと回数分ふられた。
そして、恋が終わったのと同時に、看護学部に対する気持ちもすっかり消え、文系クラスに進級。
まあ、そのあとは結局うつ病で退学して、大学にすら行っていないのだけれど。
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好きな人が好きだったり、関心があったりするからといって、自分まで軸を変える必要はない。
心から興味を持てたなら何よりだけど、「好きにならなくちゃ」と相手の価値観に寄りかかるのは、根本的に違う。
逆もまたしかり。大切な人が好きなものに、まったく興味を持てない場合もあるだろう。
恋愛対象に限らず、親子や友人関係においても、相手の「好き」な気持ちを壊さない配慮は欠かせない。
そして、大切な人の「好き」と同じように、自分の「好き」も大切にしたいと思う、今日この頃です。
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