アイスクリームは、ふたり分。
子どもから受ける影響って、ものすごく大きい。幼少期から大人になるまでの間に、少しずつ作られた頑固な価値観ですら、一瞬で溶かしてくれる。
小さな我が子が教えてくれたのは、「人生の味わい方」だった。
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物心ついた頃から、何度も自分の母親に聞かされてきたエピソードがある。それは、私の祖母と母の話だった。
まだ子どもだった母と、その兄弟が自販機を見てオレンジジュースをせがむと、祖母は笑顔で買ってくれたそうだ。けれど節約のためか、祖母が自分の分を買っているのを、母は一度も見たことがないらしい。
そのエピソードを話し終えると、いつも決まって母は言う。
「親になったら、子どものために自分を犠牲にするのが当たり前なのよ。それが親ってものなの」と。
このオレンジジュースのエピソードは、私の心にこびりついた。
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やがてそれは、いつの間にか私のなかで、「親になったら自分の楽しみは諦めなければならない」という考えに変換されていった。
あれは確か、娘がまだ2歳か3歳くらいの頃だったと思う。二人でショッピングモールにでかけたとき、「アイスクリームでも食べて休憩しようか」という話になった。
私は迷わず娘の分だけ購入し、席に着いた。オレンジジュースのエピソードに加えて、離婚も決まっていたため、節約するのが当たり前だったのだ。
とはいえ、私だってたくさん歩いてヘトヘト。本当は自分もアイスクリームを食べたかった。
だけど、そんな気持ちより「親として子どものために我慢できた」という、妙な達成感のほうが大きかった。
そんな私の横で、ストロベリーアイスを食べ始める娘。お気に入りのフレーバーのはずなのに、何だか元気がない。
「どうしたの?」とたずねると、「ママと一緒にアイス食べたかった…」とつぶやいたのだ。
その言葉を聞いた瞬間、ハッとした。昔の自分を思い出したのだ。いつも私のために小さな我慢を続ける母を見て、「私のせいでお母さんは楽しめていない」と、苦しい気持ちを感じていたことを。
ああ、そうか。親が我慢して我が子に何かをしても、子どもはうれしくないんだ。そりゃあ大好きなアイスクリームだって、美味しく食べられないよね。
幼い頃の自分と、我が子の気持ちに気付いた私。「ママも自分のアイス買っちゃおう」と娘と手をつなぎ、色とりどりのアイスクリームが並ぶショーケースに向かった。
「ママはどれにするの?あとでひとくち交換しようね!」娘の顔にようやく笑顔が戻った。
***
どんなに親が「子どものため」だと思っても、心の片隅で「しかめっ面」をしていたら、それは本当の意味で「子どものため」にはなっていない。たまにはママにだって、甘いご褒美の時間が必要だ。
とてもとても大切なことを、小さな我が子から教えてもらった。
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