はるのいぶき

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はるのいぶき

ライターが趣味でエッセーや詩など書いてます。家づくり・暮らしのコラムを書いたブログはプロフィールページからどうぞ。 岩手県盛岡市出身|ミニチュアシュナウザー|弾き語り|栃木県小山市在住|エッセイ|コラム|小説|詩

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    ライブドアブログにもまとまっています。http://blog.livedoor.jp/haruno_ibuki/

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エッセイを始めるにあたり

 読書が好きな母は小さい頃から私に本を読ませた。  読ませたというよりは母に連れられて図書館通いを続けているうちに絵本や紙芝居をから自然と小説なども読む様になっていた。児童書からスタートしたが小学生の真ん中あたりになると母が勧めたさくらももこさんのエッセイにハマり家にあるものから図書館に揃っているものまで隅々まで読んだ。  中学生〜高校生になると吉本ばなな、山田詠美なども隅々まで読んだ。隅々まで読むのが好きなので自然と小説家の作品でもエッセイまで読むこととなる。  大人

    • カーテンのない部屋

      まだカーテン つけずに数日たった このへやで うとうと と ふねを こぎながら うとうと と しながら ね そろそろ ねむろうかな むこうも 眠るころか ? えがお 思いだすはずが なきがお を りゆう 無ければ もどれない場所 きみは そこに いるんだね おなじ え を 眺めている はずで おなじ ゆめ は みていなかったのが わかる よ ちいさな せいが どんどんちいさく 思える よ うとうと と ふねを こぎながら うとうと と しながら ね

      • M・シュナウザー ベルの乳腺腫瘍摘出手術の記録

         本日はエッセイではなく、飼い犬ベルの乳腺腫瘍摘出手術を終えるまでの記録です。ネットに細かい経験談がなかなかないので、高齢犬の経験談として記してみます。誰かの参考になればいいなあ、と思っております。  記録するつもりが元々なかったので参考になるような写真はないのですが……文章だけでもよろしければ、読んでみてくださいね。 ※記憶に基づくものであり、抜けている部分があったりします。あまり正確性には期待しないでください。 ※自前のではなくネットで見つけた参考になりそうな画像を

        • 「壊れたギターのくびれに穴が空いている理由」エッセイ

           実家には、ピアノとアコースティックギターがあった。ピアノは母が小さい頃買ってもらった、なかなか立派なものだ。私と弟が小さい頃、1度か2度だけ弾く姿を見た。「お母さんピアノ弾けるのよ」と言って”となりのトトロ イメージソング集”の楽譜を開き弾こうとするのだが、たいていワンフレーズくらいしか弾けず、「ねこふんじゃった」とかでお茶を濁して終了する。  この様子だとロクに練習もしていなかったのだろう。かなり長いあいだ、調律もされずカバーがかかったままでカビ臭かったし、押すとあがって

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        エッセイを始めるにあたり

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        • 詩など
          3本
        • はるのいぶきエッセイ
          16本

        記事

          「電話ぎらい」エッセイ

           私は基本的に電話が嫌い、というか苦手で、呼び出しベルが鳴ると普通の気持ちではいられない。  携帯電話に知らない番号から電話がかかってくると、ほぼ出ない。電話番号を調べ、留守番サービスを再生して用件を確認し、かなり勇気を出して折り返す。それが例えばネット上でやりとりできることや、手続きしてしまえばよいようなことであれば極力折り返しもしない。折り返して「お電話頂いておりました、はるのと申しますが……担当の方はいらっしゃいますでしょうか?はい……◯◯の件かと思うのですが」などと最

          「電話ぎらい」エッセイ

          「東日本大震災の日のわたし」エッセイ

          ・11日 高校の卒業式を終えて数日経った昼過ぎ、愛犬と2階の部屋にいると、揺れた。怖がって震える愛犬を抱きしめていると「食器棚の扉押さえて!!」と母が呼んだ。ボロい食器棚は扉がしっかり閉まらないため地震のたび家族総出で扉を押さえる作業をするのだ。揺れは大きく長かったので「これはただことじゃないな」という気持ちでいた。  地震が収まると、停電した。中学2年の弟は生徒会の用事で学校、父は自宅近くの職場にいた。私の携帯電話でテレビが視聴できたので、帰ってきた弟と母と3人でまずは

          「東日本大震災の日のわたし」エッセイ

          「はるの家にやってきた犬、ベルがベルになるまで」エッセイ

           「売れ残りの犬がうちに来るまで」の続きです。  犬を迎え入れたら、名前をつけなければならない。  名前も私と母とで考えることにした。まずはざっくりとだけお互いの希望を合わせていく。「洋風な名前である(ポチとかタマとかじゃなく)」「略称を付けなくていいくらいの呼びやすい短さ(クリストファーとかでもない)」という2点だけ共有することができたのであとはそれぞれ考え、候補を出して相談することにした。  私は当時好きだったバンドの曲名から取りたいなと思った。1番好きなアーティス

          「はるの家にやってきた犬、ベルがベルになるまで」エッセイ

          「上京、そして最速の引っ越し」エッセイ

           高校を卒業し、上京してきて最初に住んだのは笹塚という街だった。震災直後なので新幹線は動いておらず、母と二人夜行バスで東京へ到着した。早朝に着予定だったのであらかじめカギは郵送しておいてもらい新宿からそのまま住む予定のアパートへ向かった。  朝一の宅急便で届く様にしていた布団のセットを受け取り、床に敷いて休みながら、ガス水道電気の業者が来るのをゆっくりと待っていた。  朝9時頃、ドアチャイムが鳴ったので業者かな?と思って出てみると、金髪でタンクトップ姿のヤンキーが居た。2〜

          「上京、そして最速の引っ越し」エッセイ

          「不登校児の誕生日」エッセイ

           小学3年の途中から私は不登校になった。私には小学1年生の春から毎朝「いーぶーきーちゃーん」と家に来てくれ、一緒に登校していたトモちゃんという近所の友達がいて、毎日その子と遊んでいた。私が不登校になっても毎朝呼びにきてくれて、4年生にあがるまで、行けたり、行けなかったりを繰り返していた。私が学校に行けないと言っても「また明日向かえにくるから、一緒に学校行こうね!」と言ってくれた。  ほぼ行けない状態になっていた2月の誕生日当日、その日も「気持ち悪いから今日も行けない」と母に伝

          「不登校児の誕生日」エッセイ

          「マコト君のそうじ(2/2)」エッセイ

           基本的には「箇所ずつホウキで掃いてチリトリにゴミを入れる」のではなく「全体的に掃いて一箇所にゴミをまとめて一気にチリトリに入れる」ということを教えた。階段などは特に、一段ずつ掃いてはチリトリの作業をしていたので、踊り場と一番下の階の2段階でゴミを落とし続けてチリトリ作業を2回に減らすというのを目標に設定し、私が何回も何回もやって見せた。 「こうやると、作業が減ってやりやすいし、キレイにできるよ」と教えると「なるほどっ・・・」とマコト君は言ってくれるのだが「じゃあやってみて

          「マコト君のそうじ(2/2)」エッセイ

          「マコト君のそうじ(1/2)」エッセイ

           2013年の11月にくも膜下で母が亡くなり、東京で暮らしていた私は当時高校2年生の弟が卒業するまで実家へ帰ることになった。その間の1年と数ヶ月に私は地元の24時間営業のリサイクルショップでアルバイトすることにした。田舎にありがちな、「なんでも買います!」とか「24時間営業!」とか書いてある、ああいう類いの店のかなり大規模なバージョンである。  巨大な店なので働くスタッフは大人数いて、パートの中には障害者枠というものがあり発達障害や精神的な問題を抱えている人も一緒に働こうと

          「マコト君のそうじ(1/2)」エッセイ

          「怒られ続けたスペインレストランでのバイト生活」エッセイ

           上京してからの初めてのアルバイトはスペインレストランのホールだった。最初に住んだのは笹塚という街で、商店街を進んだ奥の方にある最大24名収容の小さなカジュアルレストラン。アパートから徒歩2分という立地が応募の決め手だった。  研修期間と、貸し切りのパーティが入る時以外は、料理を作る40代後半の店長とアルバイトのホールスタッフの2人でお店を回す。小さいレストランだしラクかなぁなんて淡い期待を持って働き始めたが、とにかく決まり事が多く、決まりからずれたことをしてしまうとこてん

          「怒られ続けたスペインレストランでのバイト生活」エッセイ

          「おじいちゃんのカナリア(2/2)」エッセイ

           私が中学生になり、祖父の家に行く回数が減って雛の餌やりもしばらくやらなくなっていたころ、祖父が亡くなり家も解体することとなりカナリアたちは祖父の友人やひいきのお客さんの手に渡っていくこととなった。その中の1羽をうちの家でも引き取ることになり「ピッピ」と名付けて育てることになった。ピッピは赤カナリアで赤色の鮮やかな毛をしておりきれいに鳴く子で、家族みんな可愛がった。家は少し臭くなったし、水状のフンはピッピが羽ばたくたびにかごの外を汚しそのたびに洗うのは大変だったが、くるんとし

          「おじいちゃんのカナリア(2/2)」エッセイ

          「おじいちゃんのカナリア(1/2)」エッセイ

           岩手県紫波郡にある父方の実家はカナリアのブリーダーをしていて、遊びにいくと「ピーピーピィィィ」「ピヨピヨピヨ」とかなりの大音量で鳥の鳴き声が響いているような家だった。祖父はカナリアのブリーダーとしてかなりの実力者だそうで、家には膨大な数の賞状や盾が飾られていて祖父が育てたカナリアは毛並みや鳴き声の美しさから全国にファンがいるレベルらしい。  カナリアは、インコなどと比べるとポピュラーでない上に臆病な性格のため人にあまり懐かないが毛色や鳴き声を楽しむ愛好家が多く、観賞用とし

          「おじいちゃんのカナリア(1/2)」エッセイ

          自己紹介です。

           初めまして。はるのいぶきです。  エッセイをメインとし、小説やその他文章はたまに。毎日投稿とまではいきませんでしょうが、たまにのぞいたら更新している、くらいの頻度で作品をアップしていきます。  普段は、音楽活動をしています。アコースティックギターを背負って全国を回りますし、都内のライブハウスでバンドでのライブもしています。弾き語りはフォークっぽく、バンドは北欧インディーのようなものです。  音楽は本名でやっており、その活動と、執筆は別のフィールドで行っています。そのう

          自己紹介です。

          「売れ残りの犬がうちに来るまで(2/2)」エッセイ

          まずは飼う犬種を決めるところから始まった。母といくつかのペットショップをのぞいてみたが、犬種を決めないことにはたくさんいる可愛い子犬たちから選ぶことはできないね、ということになった。 私はというと、犬種は本当になんでもよかった。犬であればなんでもよく、どれでも可愛いので選びようがない。近所で可愛がっていたパピヨンやシーズーもよかったし、おじいちゃんの家に昔いたビーグルも惹かれたし、大きな犬も小さな犬もなんでも可愛かった。(なんでも可愛いといいつつ、当時は柴や秋田、紀州や土佐

          「売れ残りの犬がうちに来るまで(2/2)」エッセイ