「壊れたギターのくびれに穴が空いている理由」エッセイ

 実家には、ピアノとアコースティックギターがあった。ピアノは母が小さい頃買ってもらった、なかなか立派なものだ。私と弟が小さい頃、1度か2度だけ弾く姿を見た。「お母さんピアノ弾けるのよ」と言って”となりのトトロ イメージソング集”の楽譜を開き弾こうとするのだが、たいていワンフレーズくらいしか弾けず、「ねこふんじゃった」とかでお茶を濁して終了する。
 この様子だとロクに練習もしていなかったのだろう。かなり長いあいだ、調律もされずカバーがかかったままでカビ臭かったし、押すとあがってこない鍵盤もあれば、なぜか大破している一部の音階は弾くこともできない有様だ。
 高校生になりバンドを始め、作曲をするようになるとギター・リフを考えるためにたまにピアノを弾いたりした。私はピアノ経験ゼロだったので、あくまで鍵盤1つずつ押してメロディを弾く程度で、コードなどは弾けない。でもごくたまに自己満足でポーン、ポーンとするだけする。
 そのピアノは、立派で大きいが破損しているし、家族にピアノ弾きがいないので実家の引っ越しをきっかけに手放した。

 モーリスのアコースティックギターは、叔父、つまり母の兄が学生の頃買ってもらったもので、ピアノと共に状態が酷かった。切れたままの弦と、サビて真っ黒な弦。ボディは垢やカビで触るのも嫌なほどだし、くびれの部分にはボコっと穴が空いていた。
 そのギターは物置にずっと放置されていた。私は中学3年生になり音楽に興味が出ると、放置されているギターを思い出しどうにか使えないかとメンテナンスを始めた。洗剤やオイルなどでゴシゴシと洗ってみたり、乾かしたりを繰り返し、そして弦を張ってみるとどうやら普通に使えるようだった。細かい部品などは折れたり無かったりなどしたが、音をちょっと出すくらいなら大丈夫そうだったので、高校3年間は作曲をする際にたまに使っていた。

 時が経ち、私はドラマーとしてのバンド活動を辞めシンガーソングライターになった。最初は実家にある、くだりのモーリスのギターで練習し、ライブも最初の1年とちょっとはそのギターでやった。デカい穴が空いているくせに、なかなかいい響きがするのだ。「いい音がすれば穴が空いていても気にしない」というスタンスでいた方がかっこいいのでは。パンクスっぽい。と思い込むことにして使い続けていた。この時期はほとんど毎日この穴の空いたモーリスを触っていた。
 その後新しいギターを手に入れたため、モーリスのギターは帰省したときの練習用として再度放置された。触るのは年に数回となった。

 ある時、法事でギターの元の持ち主である叔父がやってきたので、あのギターは私が息を吹き返させてあげたよと伝えると、叔父はたいそう嬉しそうな顔をした。
「うれしいなあ、おじちゃんなかなか上達しなくて弾かなくなってね」
「そうみたいね。汚れ取りに骨が折れたもの。穴が空いているのを見た人はびっくりしながら、いい音鳴るね〜って言うよ」
「あの穴なあ」
「どうやってできたの、あんなところに」
「おじいちゃんが怒ってね」
「なんで」
「欲しいと言ったから買ってくれたのに、すぐ弾かなくなって」
「ほう」
「あんときは大変だったなあ。
『使わねえならもういらねえだろう』って言ってギターをピアノに叩き付けられてなあ。えっちゃんもピアノやらなくなってた頃だからいっぺんにやられたよ」
「……そういうことね」
 おじいちゃんとは私のおじいちゃんなので、叔父、そして私の母の父のことである。えっちゃんとは母のことだ。
 祖父はかなり短気で、自分の道理に反することが起きるとキレて大声で怒鳴る。様々な逸話が伝えられているほどで、私が生まれる頃には年配者としてかなり落ち着いていた方だがそれでも怒り発作は何度も見てきた。それが何十年も前のことならなおさらなので、ギターをザ・クラッシュのジャケットのように振りかぶりピアノと共に大破させたとしても、「しそうなこと」の範疇である。

 なるほど合点がいった。ギターに穴が空いているのは祖父の怒りの発作のゆえであり、実家にあったピアノの低い音程のいくつかの大破した鍵盤は、その時の被害者なのか。なんでうちにある楽器たちはこんなに壊れているんだろうと思っていたが説明がついた。やたらなスッキリ感である。生まれてここ二十何年の謎が解けた瞬間だった。

 想像したら地獄絵図だが、そうした祖父の気持ちも分かるといえば分かる。安いものでは決してないのに、子どもがやりたいと言ったらその可能性をつぶさず全てやらせてやるというのはなかなかできることではない。そして、やらずに放置されてしまっては約束が違う。「子どもの言うことだからしょうがない」と許容してしまえば、甘い親である。制裁を下すことで子どもに「分からせる」のだ。
 これをやってのけるのが祖父だった。なかなかの男気である。その時代のオヤジ像をずっしり背負っている。もちろん私だったらそのようにはしないし、もっと他にやりようがあるのだが。祖父はそういう人だった。
 母も叔父も、続かない人だったのだ。でも、子どもってそういうもんよね。友達がやってたり、流行ったりしてたら「やりたい」「ほしい」って言うのが仕事みたいなもんだもん。おじいちゃん、私がしっかり使っていますよ。ピアノは、もう、姿もないけれど。それはごめんね。

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