飛んでった椅子とソウルフードの話(ブラック企業で働く君へ)
ねぇ、キミには信頼している食べ物ってある?いや、好きな食べ物じゃなくて、信頼している食べ物。
キミの窮地を救ってくれる、一緒に戦ってくれる、そういう食べ物だよ。
え?ちょっと何言ってるか良く分かんない?
うーん、そうかぁ… じゃ、ちょっと私の話を聞いてくれる?
これはさ、私がある世界ではよく名の知られた秘密の組織の構成員としてその組織に加わった時の話なんだけどね。
その組織は表向きには健全な団体として活動していて、世界のいたるところに支部がある。私は当時、そのうちの一つの支部に配置されたんだ。
だだっ広いフロアにずらりと並んだ最新型のパソコン、世界の情勢を映し出す大型モニターや地図、点滅する電光掲示板みたいなものがそこかしこに設置されている。外から見るとぴっかぴかのガラス張りの高層ビルで、中に入るにはあらゆるセキュリティチェックを受けなければならない。
いやぁ、最先端の洗練された職場だよね。
私はね、あらゆる試験を通ってその組織の一員になれると決まった時、誇らしくてたまらなかった。でもね、場所が洗練されていたとしても、中で働いている人間もそうだとは限らない。
実際、通ってみるとそこは世界でも稀に見るカオスな職場だった。
キミ、椅子が飛ぶのを見たことがある?
椅子ってそう、あの座る椅子ね。それが宙をビュンッと飛んでいくの。
私はあるよ。
実際あの職場では毎日のように何かが宙を飛んでいた。
「お前、ふざけんなよっ」「これどうすんだよ、誰が責任取るんだっつーの!」「You son of a bitxx !!」「おお?やんのかお前!」
あらゆる怒号が飛び交う中で、頭の上を書類や電話や椅子、そう、椅子、が飛んでいく。
新参者のペーペーだった私は頭をガードして姿勢を低くしてデスクにへばりつき、できるだけとばっちりを受けないようにひたすらにキーボードを叩いた。目の前にグラフや数式がチカチカと現れては消えていく。
隣では前の晩にしこたま飲まされた同僚が青い顔して椅子にもたれていて、「なぁ、お前いつまでここで仕事続けんの?」って聞いてくる。
だから、私は食いしばった歯の隙間から答えを絞り出した。
「次の仕事が見つかるまで!」
そうしたら飛んできたペン立てが同僚の顎を直撃して、同僚は椅子ごと後ろに倒れてった。
スローモーションで見えたあの光景、忘れらんないね。
遥か後ろでは、何かに激怒した隣の部署の先輩が勢いよくガラスのドアを蹴破る音が響いてた。
「次の仕事が見つかるまで」と答えはしたものの、次の仕事を見つけるのはそう簡単なことじゃなかった。だってまず時間がないんだ。
あのね、秘密組織には労働基準法なんてものは関係ないの。早朝出社して、帰宅できる日には深夜に帰宅する。
フロアの床で寝てしまうことなんてよくあって、そういう時には大体朝起きた時に、殺人現場宜しく体の周りがテープで囲まれているのに気づくことになる。なんていうんだっけ、チョーク・アウトライン?そういう悪戯が好きな人たちがいるんだよね。
そうやって朝飛び起きた死体たちは洗面所に駆けこんで歯を磨いて、またデスクに戻って仕事を始めるんだ。
ほんとうにね、やばい職場だったよ。
ちなみに、職場にはスーツとパンプスで通っていたんだけどね、自分のデスクにつくやいなや、パンプスは脱ぎ捨ててスニーカーに履き替えていたね。
いつでも走って逃げられるように。
でもだからといってあの職場にいた人たちがみんながみんな人格が崩壊したクレイジーな人々だったわけではなくて、実際に私は周りの先輩にとてもかわいがってもらってもいたんだよ。
例えば私の誕生日なんかには、ホールのケーキを買ってお祝いしてくれたりしていた。
イチゴののったそのケーキは結構名の知れた高級店のもので、そんな時には「ああ、この人たちと働けて良かった」なんて思ったよね。
まぁそのあと、はしゃいだ先輩が後頭部をどついて私の顔を勢いよくケーキにダイブさせたおかげで私以外の人は味わえなかったんだけどね、高級ケーキ。
独り占めして食べたあのケーキ、美味しかったなぁ。
まぁそんなこんなでさ、命の危険と隣り合わせながらも、和気あいあいと仕事してたわけ。
そんなある日。夜になって少し落ち着いてきたフロアで、私は相も変わらずカチャカチャとキーボードを打ち続けてた。目の前に出てくるデータ、そしてまたデータ。
ペーペーにこんな機密情報扱わせていいのかよ、と思ったけれど、情報漏洩した瞬間、家族ごとこの世から抹殺されることも分かっていたからまぁ悪いことしようなんて気にはならないよね。
集中力を保つためにおでこに冷えピタを貼って頑張ってたら、煙草休憩に行っていた先輩が戻ってきて言った。
「おい、焼き肉行くぞ」
先輩たちはグルメな人が多くて、色んな美味しいお店を知っていた。かたや、私は薄給の新米ペーペー。みじめったらしい私の様子に哀れを催したのか、先輩たちは本当によくメシを奢ってくれた。
そんな中での焼肉。
高級焼肉。
そういえば最近ろくなもん食ってないな。私の鼻先に焼肉の美味しい匂いがぷーんと漂った、気がした。でもね、その誘いに嬉々として乗るわけにはいかなかったんだ。
だって、夜中の二時だったからね。
もっと付け加えるならば、多分、月曜日の、夜中の二時だった。
「いや、今日はいいっす。帰ります」と言いかける私を先輩は鋭い目つきで見つめた。
「お前、断れると思ってんの?」っていうそういう目付きだった。
私は頭の中で計算した。
この場で断ってぼこぼこにされるのと、焼き肉食って家帰ってシャワー浴びてそのまま出勤するのと、どっちがいいかな?
答えはね、どっちもよくない。
そう、どっちもよくないんだよ。なのに、次に覚えているのは高級焼肉店の個室で先輩方に囲まれて座る自分の姿。先輩方は上機嫌で、次々と私の皿に焼肉を入れてくれる。とりあえずサクサク食べて帰ろう、そう思った矢先にね、先輩の一人が言った訳。
「そんでさ、お前例の〇〇条約についてどう思う訳?」って。
月曜日の、夜中の二時、焼き肉を食べながら、○○条約についてどう思う?って。
その条約が何だったか、もう忘れちゃったよ。なんかでも、国家の安全にかかわるなんとかみたいなそんなんだったと思うんだけど。
「どうも思いません」って私は言ったね。
「今、私はどうやって早く食べ終わって帰って寝るかだけを考えているので、〇〇条約についてはなんとも思いません」
いやぁ、ね。正直は美徳だっていうけどさ。それがまかり通らないこともあるよね。
先輩方は嬉々として叫んだ。
「お前、どうも思わないのかよ!!」
そこからはもう、議論の嵐。
賛成する、とか反対する、とか頭の上をビュンビュン飛び交う叫びを聞きながら、私はひたすら皿の上の焼肉と対話していた。
あの阿鼻叫喚の地獄の中で、焼肉だけが、私の味方だったんだよ。
美味いたれに漬かった焼肉は、ただ淡々とそこにあって私は救いを求めてそのスライスされた肉を見つめてた。そして、焼肉も私を見つめ返した。
同じ部屋にいる人間とは分かり合えないのに、その焼肉と私は、あの日、あの時、あの場所で、確かに世の無常について共感しあっていたと思う。
「ねぇ焼肉さぁ」って私は心の中で語りかけた。
「あんな鬼みたいな人たちに食われるくらいだったら、私がちゃんと味わって平らげてあげる。だから安心しなよね。」
きっと焼肉はこう答えたと思うんだ。
「大丈夫だよお嬢ちゃん。俺に任せときな。あんたが俺をちゃんと食べれば、少なくとも明日一日生き延びられるだけのエネルギーにはなってやるさ」
実際、私はなんとか次の日も生き延びた。
その次の日も、更にその次の日も、何とか生き延びて今ここにいる。
だからね、焼肉は私を裏切らないし、私も焼肉を裏切らない。
そういう、ソウルメイトになれる食べ物をね、キミも見つけておいたらいいと思うんだ。きっと、窮地に陥った時にはキミの心の拠り所になってくれるはずだよ。
私の言いたいこと、分かってもらえたかな?
サポートしてというのもおこがましいので、しなくて大丈夫です!気にしないで!まじでまじで。サポートしていただいてもひまわり荘のヤツらとの飲み会に消えて、また不穏なネタが増えるだけですから!