惑わされないでいこう
ニュースを見て息を飲んだ。自分の住んでいる国で起きていることとは思えない。バン、バン、と響く銃声。駆け寄るSP達。仕事をしていた手を止めて、食い入るように画面を見つめた。
奇しくも昨日、らしくもない政治に関する投稿をしたところだった。みんな、選挙に行こうぜ、と。暗いニュースが多い。物事はすぐには変わらない。良い方向に変わるとも限らない。でもだからといって手をこまねいているだけではどうにもならない。何とか自分にできる事を見つけていくしかないんだ、とそういう気持ちだった。
それなのに。
不満があり、殺そうと思った、だそうだ。
何を言っているんだ、と思った。誰かに関する不満なんか、みんなそれぞれ抱えて毎日生きている。SNSなんかしていたら、毎日顔も知らぬ誰かに幻滅したりもする。それでも、不満があったから相手を殺すなんて、どう考えたって間違っているんだよ。どうやったって正当化できないんだよ。お前は神か、と突っ込みたくなる。
次々と速報が入ってくる中で、多くの政治家が言った。
「これは民主主義に対する重大な挑戦だ」
また、何を言っているんだ、と思った。
別に民主主義に対する挑戦でもなんでもない。
民主主義とは、人民が主権を持ち、自らの手で、自らの意思をもとにして政治を行う主義のことを言う。
この犯人は、単純に自分の鬱憤を晴らすために、直接話したこともない一人の丸腰の人間に向かって銃を発砲した、ただの無法者だ。そこに、御大層な主義主張なんてあろうはずもない。
撃たれたのが元総理だったから。
参院選の直前だったから。
人々がこぞってこの事件を政治的なプロパガンダや、一定の思想のシンボルみたいに扱おうとする。
違うよ、と私は言いたい。
そんなことをしたら、それこそが民主主義に対する冒涜だ。
この事件は、どこまでも我儘で自分本位な一個人が、自分の憂さを晴らしたいがためだけに別の一個人を襲撃した犯罪行為だ。それ以上でもそれ以下でもない。そこに政治的な意味合いなんて、ない。きわめて個人的な理由によって犯罪を犯した犯人は法に則って裁かれるべき。ただそれだけだ。
こんな事件に惑わされることなく、わたしたちはただ、自分の信じるところに従って、よりよい未来を守るために選挙に行くべきだ。
子供たちの未来のために、より良い福祉のために、大切な人を守るために、あるいはより豊かな暮らしのために。自分の頭で考えて。自分が大事だと思うもののために。
願うことがなんであれ、いくばくかでもその願いに近づけるように、自分の頭と心に従って、祈りながら投票用紙を手に取るのだ。
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