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香りは生活の楽しみだ 〜嗅覚が失われる、ということについて

始まりはハンドクリームだった。

1週間前、友人から「渡しそびれていたクリスマスプレゼント」とハンドクリームをもらった。
夜さっそくつけてみると、夫が「いい匂い!」とうっとりしている。だがその「グリーンティーとジャスミンの香り」はとてもか弱くて、自分の手を鼻に近づけてすんすんすんと3回大きく嗅ぐと何かしらの匂いがある気がする、という程度だった。「おしゃれなハンドクリームは香りもお上品なのかな」「少し古いから匂いがとんじゃったのかな」と思っていた。
ちなみに「お上品」とは、われわれ大食い夫婦が「少ない・足りない」を表わすときに使う言葉である。

次の日のお昼に紅茶を入れようとして、茶葉の入った缶を手に取った。バニラやキャラメルのフレーバーの、お気に入りの紅茶である。だが開けてみても、バニラの匂いもキャラメルの匂いもしない。慌てて鼻を近づける。匂いがしない。茶葉が古くなったり保存状態が悪かったりすると紅茶の香りは飛んでしまうので、缶を開封したのはいつだったか考えてみた。1月に入ってからだ。いつも買うメーカーだけど、質が悪いものが混じっていたのだろうか。
他の紅茶にしようと、別の缶を開ける。これも匂いがしない。でもこの茶葉は、本当に少し古いかもしれない。
こっちの紅茶は? 緑茶は? 烏龍茶は? 私はお茶が好きなので、缶は10以上並んでいる。すべて嗅いでみても匂いがしない。おかしいのは私の方なのだ、と認めざるを得なかった。
厳密にいうと、匂いを非常に少ししか感じられなくなった、という結論だった。強い薫香のラプサン・スーチョンの匂いはさすがに感じ取れたし、酸化してしまったのか油っぽい匂いがするなあと前から思っていた緑茶は、お茶の香りはわからないのに油のような匂いがしたからだ。

そういえば、と思い当たった。
朝食べたチョコレート。あまりおいしくなかったのは古いからだろうと思っていたが、私の嗅覚がおかしかったのだ。
昨日の夕食。タコのマリネにパクチーの葉を入れるかどうか迷って、少し入れて味見した。深く考えなかったのだが、なくていいな、と判断していれなかった。「入れても入れなくても変わらない」と感じたのかもしれない。パクチーがあるかないかで、普段ならまったく味が違うのに。

恐る恐る、いつも通りに淹れた紅茶を飲んでみる。香りはない。渋みは感じる。嗅覚はないけれど味覚はあるのだ。

鼻が詰まっているのではない。鼻で息が吸えず、匂いが感じられないことは私も経験がある。だが、鼻をにんにくのピクルスに近づけて思い切り空気を吸い込んでいるのに何も感じないというのは、結構怖い。

嗅覚障害というと、多くの人が今流行りの感染症を思い浮かべるだろう。実は心当たりはあって、2週間前に息子が感染していたのだった。息子も1、2日発熱しただけだったし、3回目のブースター接種まで済ませていた私と夫は、無症状で陰性だった。といっても私が検査を受けたのは息子より1週間遅れてだったから、感染してから治っていた「陰性」だったのかもしれない。慌てて余っていた家庭用の抗原検査キットを出してくる。再び陰性。後遺症、というやつなのか。
味覚・嗅覚障害の後遺症は若い世代と女性に多いそうだ。20代女性の私は、ウイルスに選ばれたらしい。特にできる治療もないので、2週間くらいで治る人が多いという説を信じて暮らしてゆくしかない。

家事がひと段落して、電気ケトルに水を入れる。食品が入っている戸棚を開ける。何を食べようかな、と思って自分が嗅覚を失っていることを思い出した。紅茶もお菓子も、今日はきっと美味しくない。

お茶を飲むこと。お菓子をつまむこと。料理を作ること。パンを焼くこと。香水をつけること。アロマオイルを焚くこと。今日の入浴剤を選ぶこと。
私にとって日々の楽しみは、結構香りに結びついているのだと気づかされた。

日常生活において困る、ということは目や耳よりも少ないのかもしれない。ネットで嗅覚障害について調べたら、ガスの匂いや焦げの匂い、食品の腐った匂いが感じられないので危険、と書いてあった。動物が嗅覚を持ち始めたころには命を救うための能力だったに違いないが、現代においてそれはかなり限られた状況である。また、食事がおいしく感じられない、ともあった。

皮肉なことに、最近『料理に役立つ香りと食材の組み立て方』という本を読んでいたところだった。
本書によると、匂いというのは、鼻から空気と共に入ってきて感じるものと、口から鼻に抜けて感じるものと2種類あるらしい。後者は何かを食べるときの味にも大きく影響している。「鼻をつまんでチョコレートを食べてみましょう。おいしくないでしょう?」というような実験も載っていたのだが、まさに身を持って体験することとなった。
塩味や甘味を強調する匂い、というのもあって、料理にうまく活用すれば塩や砂糖の使用量を減らせるらしい。裏を返せば、匂いがわからないと塩や砂糖を入れすぎてしまうということだ。
1週間料理をしてみて、やはり塩を入れすぎたり、それを警戒して逆に入れなさすぎたり、ということが続いた。塩味、甘味、酸味、苦味、旨味というくらいしか味には種類がないのに、世界には無限に料理がある。食感や温度など他にも要素はあるにしろ、このバリエーションは香りのなせる技なのだろう、と思う。

犬は鼻が効くというが、それは鼻からの匂いだけで、食事のときに口から鼻に抜ける匂いはほぼわからないのだという。ヒトは2種類の嗅覚を得たことで、食事を「楽しむ」ようになったのだろう。「いろんなものを食べてみたい」「加熱したり食材を組み合わせたりして、違った風味を味わってみたい」という欲求を脳がもつことによって、ヒトは食料の種類を増やし、食中毒を減らし、人口を増やしていったのではないだろうか。

人間に備わった感覚は5つ。視覚、聴覚、触覚、味覚、そして嗅覚である。

目が見えなくなったら、ということは想像したことがある。耳が不自由な人、というのも多少は想像がつく。点字や筆談、手話を使う人を見たこともある。視覚や聴覚はコミュニケーションに必要な分、周囲も気づきやすいのだろう。
匂いが感じられない人ーー鼻が不自由な人も、周りにいるのだろうか。少し一緒にいるくらいでは見破れないかもしれない。自分ですらふとした瞬間に気づくまで、結構忘れて生活しているものだ。
感覚が1つないのに、普通の人に擬態して生活してみるというのは、ちょっとおもしろい。

この機会に、あまり好みの香りでなかったハンドソープを使ってしまおう。甘すぎてあまり減っていなかったチョコレートを食べてしまおう。そう考えたが、悲しいかな、嫌な匂いは何となくわかるのだ。チョコレートは順調に減っているが、甘すぎるということはカロリーも高いわけで、この1週間の食事の不健康なことと言ったらこの上ない。

期間限定と思えば耐えられるけど、長く続いたらつらいなあ。早く治りますように。



本文中で紹介した『料理に役立つ香りと食材の組み立て方』はこちら。

料理のレシピも載っていますが、家庭料理としてはややハードルが高いように思います。レシピ本として使うというよりは、香りの仕組みや抽出法など、香りそのものに興味がある人におすすめです。

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