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私は喜んで、ピエロになろう。

おはようございます!実はこの週末は完全に昼夜が逆転していて、今も寝ずに朝を迎えてコーヒーを飲んだばっかり!の、夜行性はるねずみです。

そろそろ脳みそがギューギュー締め付けられてきて、「早く睡眠を」と指令を出してきつつあるのですが、どうしてもちょこっと書きたくなって。


それは、「ピエロでもいいか~!」と思うようになったことについて。


ピエロって、皆さんにとってどんなイメージがありますか?


私がピエロで連想するのは、サーカスや街中でパフォーマンスをする楽しいイメージ

小道具を使って子供を喜ばせる様はとても器用に見えるけど、サーカスでは複数人のピエロたちが大慌てでわちゃわちゃしていて不器用そうにも見えます。


あとは、映画『IT(イット)』に出てくる、子供を連れ去らう怖いイメージ

滑稽な仕草で笑わせてくれたり、風船をくれて喜ばせてくれたり、親しみを感じる部分もあるけど、一方で奇抜な見た目な分、その表情や行動によってはものすごく不気味に見えるし、ピエロ恐怖症なんてものもあるくらい、人によってピエロに抱く印象はさまざまだと思います。


なので、ここではとりあえず、ピエロ=笑われる存在、という定義づけをして話を進めます。


私は、子供の頃からピエロでした。つまり、人から笑われる存在でした。


母親からは「ブス」「ブタ」と呼ばれて笑われていたし、イジめられていた自覚はないけど、小学生の頃はクラスのリーダー的存在の女の子から、「3回まわってワンって言って」と指図されてその通りやって笑われたり、中学生の頃もやんちゃな男子から馬鹿にされたり追い回されて叩かれたりしていました。

そんな感じで、次第に自分が笑われることに慣れていった、というか・・・

慣れたとまで言わなくとも、なんとなく、自分が「(笑われても仕方ない)恥ずかしい存在」であることは自覚していったように思います。


学校ではなるべく存在を消すようにしていたものの、家ではなかなかそうもいかなかったり。

家庭では、私自身の気持ちはあまり重要ではなく、とにかく目の前にいる母や義父の機嫌を損ねないことが重要でした。

食事に連れて行ってもらったときや、何かお金のかかることをしてもらったときなど、大げさに喜んだり、どんなリアクションを求められているかを察して動く必要があったからです。

とにかく能天気で馬鹿っぽく、子供っぽいふるまいをして、それを見た両親が喜んでいれば成功。


そして、当時の私はなぜか、家の中や祖父母の前で、「女の子」として見られることを激しく嫌悪していたため、意識的に低い声で男っぽい乱暴な口調で話すようにしていました。(学校でも「ぶりっ子」と言われたことがあったので、こと「声」に関しては特に気を付けていました。)

うまく言えないのですが、とにかく家族からも周りの人からも、どう見られるかを常に意識して、本来の自分を隠すことに必死でした。


自分がどう感じているか、どうしたいか、そんなことは家の中では特にどうでもいいこと。

自分が傷ついたり恥をかいても、それで笑ってもらえたり喜んでもらえるなら、そっちの方がいい。というかそうしなきゃいけない。


それが、大人になるまでずっと続きました。


母からも義父からも祖父母からも、私にたいする印象は、見せていた姿そのままだったみたいです。

私が本心なんてほとんど話してこなかったから、当たり前といえば当たり前なんですけどね。(むしろ、それだけ大人をだしぬくことに成功していたということ・・・?)


それはまぁ、いいとして・・・


とにかく、自分が思う「本当の私」と「周りが思う私」はどんどんかけ離れていきましたが、そうすることで私は生きてこられました。


今でもそのことで悩んだり、悲観的な気持ちになったりはします。

でも、最近ちょっと考えが変わりました。


それが、最初に書いた「ピエロでもいいか~!」ということです。

つまり、お面を被って、それで笑いを取ったり喜ばせる役を演じるということです。


私は、人を笑わせることが好きです。

それは、自分を偽って取る笑いだけでなく、自然体で、自分の空想したことを人に話して笑ってもらうことや、何かの真似をして見せたり、変な歌や踊りをしたりもそうです。

自分が人を楽しませられている、喜ばせられている、笑顔にできている、そのことが嬉しいんです。安心もします。


だから、そのこと自体は、なんにも悲観的になる必要がないんじゃないかなって思うようになってきました。


最近、Youtubeでアイドルの歌や踊りの動画を見て胸が熱くなりました。先日は、路上ライブで弾き語り演奏をしている人を見て感動で涙を流しました。芸人さんのコントなどお笑いを見るのも大好きです。


そういうエンターテインメント(?)に触れながら改めて、私は「人を笑わせる(感動させる)人」に強いあこがれを持っていることに気がつきました。人を喜ばせたり感動させるために一生懸命な人って素敵だなぁ!と。


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「~~が~~だったら、面白いよなぁ」


という空想をするのが大好きなんですが、自分にも何か芸(モノマネ、歌、ダンス、演技、イラストなどなど)があれば、その「面白い」ことの可能性がもっと広がる。もっと人を笑わせることができるかもしれない。


自分がそれを好きだとかやっていて楽しいのも勿論そうなんですが、やっぱり、何かアイディアを思いつく原動力になるのは、人を笑わせたい!とか喜ばせたい!とか、そういう感情なんですよね。


私は昔から、良くも悪くも「人生ネタ!」みたいに考える節があって、自分の悩み事も笑いに変えたりしてきました。(正直これが自分を苦しめて、辛くなるときもあるけど)

「後々ネタにできればいいか~」とか思えば少し楽になるんですよね。


ただし、そのわりには、

「人に笑われるかも」
「陰で何か言われてるかも」

ということは尋常じゃないくらい気にするという・・・


う~ん・・・

書きながら、自分でも混乱してきました。

果たして、私は笑い者になりたいのか、なりたくないのか・・・?


笑いは笑いでも「嘲笑」はちょっとつらい・・・けど、それでも自分がネタになることで、その場を盛り上げるとか間を繋ぐとか、なんらかの役に立てているならそれでもいいのかな???


うん、よくわかりません。(おいいぃぃ!!)


こうして自分をさらけ出すことも、何かに挑戦することも、多分、それを笑うがいるだろうな、と思っていて。

でも、それについては少し割り切って考えられるようになりました。


私は何者でもない欠陥だらけの人間なのに、恥ずかしげもなく自分の顔も声も脳内も歌もさらしたり、興味のおもむくままに挑戦している。

その姿は、笑われてもおかしくないですよね。さらにずっこけたりでもしたら、たぶんもっと笑いを取れるでしょう。家族や周りの人からは「恥さらし」「痛い」と思われているかもしれません。


ただ、これに関しては「人に笑われるからやめよう」とは思わなくなりました。そういう部分を笑われるのはつらいけど、気にして自分を押し殺すのはやめようと思えるようになったんですね。


つまり、表面的には相変わらずピエロなんだけど、他者を愛する喜びを覚えた情熱的なピエロ・・・?


うわぁ。

書き始めは、ちゃんと言いたいことがまとまってるはずだったのに、ワケワカメな結末になりました。涙


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あっ・・・待てよ。


たぶん、こうだ!

私は「自分でコントロールできる笑い」で人を笑わせたいんだ!!

笑われたいんじゃないくて、笑わせたい!!

何もしていないのに、見た目や言動(自分でコントロールしていない部分)で笑いを取りたいんじゃなくて・・・!

だから、笑わせる力や芸を身につけたいと思うんだ!!


きっと、言いたかったのはこれやぁ~~~!!


今は何も結果を出せていないので、私のやることなすこと、「笑われる」かもしれないけど、いつかは私が「笑わせ」られるようになりたいです!

そのために、今は「笑われる」ことに屈することなく、自分を生かす道を模索していくぞ・・・!


そう!だから、今はピエロでもいいや!


これが言いたかったのです。ふぅ、すっきり・・・!


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こんな文章を、最後まで読んでいただきありがとうございました!

次の記事はもっとちゃんと書くので、今後ともどうかよろしくお願いいたします!
(;´・ω・人)✨✨

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