見出し画像

悲しみと喜びはいつもセット。

亡くなった父の字はタイプライターかのような、几帳面な字で、
この字を見れば、どんな人かすぐわかるような、そんな本人を映し出すような字だ。

私が父を語るとき、それは私の数少ない記憶や、数少ない形見から語っている。それは、どこまで真実で、どこまでが私の頭の中で作り上げた父なのか、その境界線は、年を重ねるごとに曖昧になっていく。

父の最後の姿を見ていない私にとって、そもそも父が亡くなってしまったかどうか、ということも、正直ずっと曖昧なままでいる。
そして、その曖昧さが私を今日まで支えてきたとも言える。

「もしかしたら、世界のどこかに生きていて、どこかですれ違っているかもしれない」

そんなあり得ない妄想をする余地が、父の最後を見せないと固く決めた当時の母や祖母のおかげで、私にはいまだに残されている。

元気な姿しか記憶にない私にとっては、
「父が亡くなった」ということは「見て」理解したことではなく「聞いて」知ったことでしかない。

だから、私の中で今も生きている父も、亡くなった父、というのも、
私にとってはどちらも想像なのだ。

ここから先は

1,454字 / 1画像
この記事のみ ¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?