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32年前のピアノの行方

先日三十三回忌に寄せて、6歳の時に亡くなった父へ宛てた手紙を公開しました。

私は6歳の時に亡くなった父の葬儀の出棺の際にピアノを演奏したのですが、それは偶然父の葬儀が行われたお寺に置かれていたからでした。

そして、そのピアノは、私が生まれた年、1985年に起こった日航機の墜落事故のご遺族がお寺に寄贈されたものでした。

ただ、私はどこのお寺で葬儀をやったのかさえ、小さかったので詳しく覚えていなかったし、なんとなく家族の間でも父の話を掘り返すことが憚られたので触れないまま何十年も過ごしてきました。

けれど、最近になりふと、そういえばまだあのピアノはあるのだろうか、と
気になるようになってきました。

忘れていくわけでは決してないのですが、あまりに時間が経ってしまい、私の中の空想だったのか、本当の出来事だったのか、

正直区別がつかないくらいに色々な記憶の現実味が薄れていくのを感じていたからです。

そして、思い切って父の葬儀をおこなったお寺を母に尋ね、お寺のご住職にお話を伺うために電話をしてみることにしました。

幸いにもまだお寺も当時の場所にあり、ピアノも当時のまま置いてあるとのことでした。ただ、誰も弾く人もおらず、手入れもされていないとのこと…。

関西の方へ戻った時は伺わせていただく約束をして、その日は電話を切りました。

時間が経つと、思い出が夢だったのか、現実だったのか、だんだんとその境界線が薄れていくように思います。

幸い父との写真や、思い出の品はいくつかありますが、自分の五感を通して残っている父の記憶はずいぶん少ない私にとって、数少ない思い出が薄れていくというのは、とても心細くなります。

震災などで家を亡くされた方々がアルバムを必死に探されているところを見たり、昔ボランティアにいった避難所で、見つかったアルバムを再生するプロジェクトをおこなっている方々にお会いしたこともあります。

ただ、幸いにも私は自分が演奏した時の記憶が、今も私の中に「父と繋がっている」という感覚を鮮明に与えてくれています。そして、祈りの歌を歌うたび、私はその感覚を強く感じています。それは私に取って「アルバム」と同じように、亡き人と私を繋ぐ大切な架け橋となってくれています。

きっと音楽でなくとも、大切な人と自分を繋ぐ何かがある、ということは大きな希望であり、生きる力につながるはずです。

あのピアノを寄贈されたご遺族の方々はどんな人なのだろうか…そんなことも考えます。その機会を与えられたのは、色々なご縁があったからです。そのご恩を私は自分の人生を通して送っていきたい。

そんなこともあり、亡き人と生きている人を繋ぐ「何か」の一つとして、目には見えない音楽がその役割を担えるような機会を、日本にもっと増やしていきたいと思っています。
今年はそういう演奏活動も視野に入れていきたいです。


山口春奈プロフィール

1985年兵庫県生まれ。音楽好きの両親のもとに生まれ、3歳からピアノを始める。6歳の時に父親を自死で失い、その際に自らのピアノ演奏で父を見送った 経験が音楽活動の原点となる。

2021年から子ども時代の経験をもとに「祈りと音楽」 を軸としたプロジェクト「PRAYACTION Project」を立ち上げる。2022年に行なっ たクラウドファンディングにて世界中の祈りの言葉を集めたアルバム「SHANTI (内なる平和)」を制作、2023年にリリース。

現在は創作活動と並行して幼少期の体験をもとに、グリーフケアや、小型ハープを用いて病床に寄り添うケアを学んでいる。二男一女(10歳、8歳、5歳)の母。


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