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『ミーナの行進』 小川洋子

 久しぶりに本の感想を書いてみようと思う。今回は小川洋子さんの『ミーナの行進』。


 一番の印象としては、少し不思議で暖かな家族のお話、って感じかな。あらすじを述べると、

〈従姉妹のミーナのお家で1年間一緒に暮らすことになった主人公の朋子。あまり家に帰ってこない上品で紳士的で温かなイケメンハーフの叔父さん、無口でタバコを吸いながら誤植を探すのが好きな叔母さん、病弱で読書好きで物語を作るのが趣味のミーナ、のんびりで愛情深いドイツ人のローザおばあさん、おうちの全てを取りまとめるベテランお手伝いの米田さん、そしてカバのポチ子。個性豊かな家族と共に過ごした1年間

  って感じかな。とっても大きな事件が起きるわけでもないけど、何も起こらないわけじゃない、そんな日常が描かれた物語。


  私はこの本を読んで『旅』の話なのかな、って思った。今旅をしている人、旅を終えた人、そんな人達の『旅』が描かれてるのかなーって。

 まず、ミーナ。ミーナはマッチ箱の絵から自分で物語を考えることで、遠い星も海もどこでも旅してる。本当は人一番好奇心旺盛なのに病弱で1人で図書館にも学校にも行けないからそうして自分を守ってる。

  次は叔父さん。叔父さんは物語中では明記されないけど多分不倫していて、他に家庭がある。それでも帰ってくる場所はこの家だから、きっと叔父さんが帰ってこないのも『旅』なんだろうな。

 で、叔母さん。叔母さんは叔父さんが帰ってこない時、ミーナが入院してる時、1人部屋にこもって誤植を探す旅に出る。誰にも見つけられないで埋もれているだけの誤植を宝物のように探してあるべき姿に戻してあげるの。きっとそれは、1人で帰りを待ってるだけの自分を救い出してるように感じてるのかな。

  そして朋子。もちろん朋子は会ったこともない従姉妹の家に来てるんだからそもそも『ミーナの行進』は朋子の1年間の『旅』の話なんだと思う。

 

でも『ミーナの行進』の面白いところは、それだけじゃないの。『旅』を終えた人もちゃんといるの。それがローザおばあさんと米田さん。ローザおばあさんはドイツから日本までの長い長い旅を終えて今ここにいる。おばあさんの部屋はおばあさんの重ねてきた月日が堆積しているかのような空間で、長い旅を終えて積み重ねた日々があっての今のローザおばあさんなんだなって思った。

 米田さんはこの家族の中で唯一、『旅』をしない選択肢を選んだ人だ。ローザおばあさんが日本にやって来てから何十年もおばあさんを支え、家を管理し、この家族を守ってきた。

 米田さんはスノードームの中の、雪のような人だった。部屋はどこも磨き上げられ、美味しい料理の匂いに満ち、みんなの笑い声がこだましている。ドームを逆さまにすると、雪は全てを包み込むように舞い落ちてくる。やがて床に積もって静かに皆を見守る。
 どんなに強く揺すっても、雪は外には出られない。もし誰かがガラスを割ったとしても、愚かな失敗をしたと気づくだけだ。屋敷の風景から離れた途端、さっきまで雪だと思っていたものは、得体の知れないただのどろどろになって、もう元には戻れない。だから誰も米田さんを、屋敷の外へ連れ出すことはできないのだ。

  私は、この、米田さんをスノードームの雪に例える文章がすごく綺麗だと思う。米田さんはミーナたち家族の他に家族もいないし趣味もない。きっとこの家を出てしまったら米田さんは米田さんではなくなってしまうのだ。でも米田さんはこの家にいる限り、ずっとこの家のみんなが一番頼りにしている人で、ローザおばあさんの心の姉妹だ。それをこんな綺麗な文章で表すなんて、、めっち綺麗じゃん、、と思った。


 この物語は30年後の大人になった朋子が回想するという形で描かれる。30年後、もう一緒に暮らした洋館は取り壊された無くなっていて、家族もばらばら。でもだからこそ、この1年の記憶が鮮やかに思い出される、と朋子は言っている。



 それはやっぱり、朋子の『旅』がその後の人生を変えたからだと思う。この本に描かれるそれぞれの『旅』はみーんな形は違うけどその人の人生にとって必ず必要だったんだと私は思う。そんな『旅』が集まったのがあの洋館だったんだなあ。

 







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