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「かか」読みました ※ネタバレ注意

私が好きな人に勧められた本の中に宇佐美りんさんの「推し、燃ゆ」というのがありました。

芥川賞取ってるし、普段あまり読書趣味がない私だけど勧められたから読もうかなと思って、大学入ってすぐに読んでみたんだよね、

なんだろう、すごく感動したというか、主人公の生きずらさの表現とかすごく生々しい現代の感じとかが、読後感のどうしようもないゾワっとした頭の中が全部その本の世界観に染っていくような、1種の現実逃避をしながら自分と向き合う、あの感覚をもう一度、次はもっと刺さりそうな、もっと泣けそうな本を読みたい。アル中が昼間っから酒を欲するみたいに、私は、「かか」を読みたいと思っいました。

読んでみたら、最初の方は、訛りとか独特な表現に戸惑って、あわわという感じでついて言うのに必死で、うーちゃんとかかが当たり前に使っているその家だけの言語、みたいなものに追いついて行けるように目で追っていきました。

自分たちが普段使う日本語に置き換えることはできるだけしたくなかったんです。うーちゃんは、私と似てるところがあったから。うーちゃんはかかの事、大嫌いで、でもすごく大好きで、一心同体なんです。かかのことを可哀想、寂しい、そんな風に思ってるんです。
ババが認知症になった後の発狂と抱きしめるうーちゃん。抱きしめるしか出来んかったんよね。大好きだよって伝えること、それってすごく辛いことやもんね。

どんなに酷いかかでも、どんなに意味わからないことするかかも、全部うーちゃんにとっては唯一無二の信仰の対象なんです。みんなにとってもそうでしょう?
生まれた時からずっと今まで、かかのこと考えなかったことありますかね。離れて寂しくないですか?
私は離れて寂しい思いをさせてしまってることに罪悪感を覚えています。
神奈川の子は、上京できん。
だから私はあえて地方に行ったんです。

離れたかったから。

でも本当は離れたくなくて、1人で誰にも顧みられずに死んでいく かか を見るのが怖いからです、そうやって離れれば感情も離れていきます。変な情けとか信仰とかぜんぶ消えていきます。
うーちゃんもだから山を登ったんです。1人で自ら進んで苦行を選んで。

でもうーちゃんは、かかを信仰していました。かかはうーちゃんの一心同体で、可哀想なかかの処女を奪ってしかうーちゃんは生まれることはできません。うーちゃんがかかを産まない限りそうです。

よく、親にお前はお母さんの生まれ変わりだ、と言われました。変なことをしないように監視するために生まれてきている。私がお母さんにしたことを恨んで、子供になって同じことを私にしているんだ、とも言いました。でも知りません、私が生まれるより前に死んでいます。ちょうど私を身ごもった頃でしょうか?

子供は、お母さんのことを信仰しています。
それがどんなに酷くてどんなに寂しくて、どんなに冷たくされても、子供は親のために片腕でも腎臓でも差し出してしまうのです。
汚してしまった罪悪感を持って生まれてきてるから、それくらいなら厭わないのです。
信仰している、という表現は本当にちょうど良いかもしれないと思った読後感でした。

結局この本を読んで泣いたのはクライマックスの1回だけでした。もっとボロボロ泣けると思っていた私は、期待しすぎていたのかもしれませんね。
いやはや、自分と重ねる読み方はそろそろ幼稚なのかもしれません。

次は何を読もうかな。小説、また読みたいな。



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