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自閉症の自分は、どう障害受容したのか



今日は障害受容の話をしていきたいと思います。

とっても重要な問題であり、センシティブで、
人それぞれ同じような答えは決して出ない難しい問題です。

それについての自分なりの過程を開示していきたいと思います。

自分について
自閉症スペクトラム
不注意優勢型のADHD
うつ状態
視覚障害


そもそも診断された時の心境

僕は自閉症と診断された時、酷く安心したことを覚えています。

ずっと違和感を抱えながら生きてきました。自分は人と違う。
僕の脳がおかしいに違いない。そう感じながら生きてきました。
診断されて、生まれて初めて自分を理解できた。それがたまらなく嬉しかった。

だから、僕は診断されてショックを受けるという経験はしませんでした。

障害だと言われてショックを受けるほど、
僕の人生は甘いものでもありませんでしたしね。

でもだからと言って、完全に受容できているのかというと、まだその段階には至ってはいなかったでしょう。

そもそも障害受容とは、個人が自身の障害や違いを受け入れ、それを肯定的に捉えることを指します。これは、身体的な障害、精神的な障害、発達上の障害など、あらゆる種類の障害に関連しています。障害受容は、その人の個性やアイデンティティの一部として障害を受け入れ、それを否定的なものではなく、自己の一部として肯定する姿勢です。

いくら診断されたからといって、この先の人生の苦難は変わりません。特性がなくなる訳でもないし、生きるのが簡単になる訳でもない。

これからの人生をどう生きるのか。僕はそれが難しいだろうと予測した。

その予想を立てた時、僕はひどく落ち込んだ。

一体どんな困難が待ち受けているのか。
健常者であれば想像することもない困難が、
これから僕に襲いかかるのだろうと、怖くなったのです。


その恐怖とどう立ち向かうか


自分がやったのは、自分を理解することです。

何は苦手で、何が得意なのか。
人と関わる時、何が出来て出来ないのか。
自分の特異的な特性をどう対処して、どう向き合うのか。

自分についてよく知ることです。
それと並行して、自閉症と向き合うことです。

自閉症の症状の悪い面と良い面の両方を探してみる。

例えば自閉症の社会性の無さについて。

これは、常識で塗り固められた社会では基本的に不利に働くでしょう。

でも逆を言えば、周りに流されないというメリットがあると思いませんか。

周りに流されない分、自分の価値を追求することが可能なはずです。

実際に文化人類学の観点から、自閉症者が周りに流されずに、自分の意見を突き通したから文明は発展していったという説があるみたいです。


そういうことを研究していくと、どんどん楽しくなっていき、いつのまにか人生に対する怖さは少なくなっていきました。

そうやって、僕は受容していきました。

障害の名は、レッテル貼りではありません。
自信の苦しみを明確化して、より良い人生を探していきましょう
という目印だと僕は思っています。

障害はあなたの全てではない。障害があなたの価値を決定する訳じゃない。


だから、とりあえずの感覚で生きてください。
人生は意外とくだらないものです。

馬鹿みたいに笑い飛ばして、歩いていきましょう。



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