【特集】『アフリカ』vol.30(2020年2月号)
『アフリカ』の30冊目ができました。
今回は"鍵"号です。先々週、チラ見(?)したカワセミはどこへ行った? お手にとってみてのおたのしみ、ということで──。表紙はいつも通り、向谷陽子さんによる切り絵、装幀もいつも通り、守安涼くんです。このコンビは創刊の時から変わっていません。
前号が昨年の7月だったので、約半年ぶりの『アフリカ』です。
当初(2006年〜2010年頃)のペースに、ようやく戻ってきました。じつは隔月で出した年(2012年)もありましたが、あれはもう無理ですね。やっぱり、これくらいがちょうどいいな、と感じています。
表紙をひらくと、まず、柴田大輔さんの新連載「牛久沼のほとりから」、今回はその第1回です。
『アフリカ』は最初の号から、「1ページ目からいきなり文章が始まる」というスタイルをとっていました。途中からは、写真で始めることもたまにありましたが、今回は"いつもの『アフリカ』"らしく1ページ目からいきなり読みものになってます。
柴田さんは、『アフリカ』には2年ぶりくらいの登場ですが、コロンビアに通い続けて、先住民の人たちと交流を持つ写真ジャーナリスト。その柴田さん、現在住んでいる牛久のことを書いてみたい、と聞いて、ぜひ! と話して書いてもらいました。
かつて「牛久沼のほとり」に住んでいた作家夫婦のこと、牛久で出会ったある農家のこと、その畑からすぐそこにある入国管理センターのこと、など、いまの日本社会のひと隅が照らされるエッセイです。写真2点(もちろん柴田さん撮影)もどーんと収録。
目次は、そのあとに続きます。
いつものように珈琲焙煎舎へ納品に行ったら、焙煎舎の店主は、さっそくその目次のページをひらいて、じっと読み込んでいました。
目次を読み込む?
正確に言うと、目次に寄り添っているクレジットに見入っていました。『アフリカ』を手に取ったことのある方ならご存知の、あのページです(遊びが満載の)。その遊びは、2009年7月号をつくっていた時に、ふと思いついて始めたんですけど、どんどんエスカレートして、止められなくなってしまった、というもの。
続いては、田島凪さんの「別の名前になりたい」。
田島さんは、『アフリカ』には今回、初登場。前号を出したあと「読んでみたい」とご連絡いただいて、知り合いました。「島 凪」という名前で、noteに書いています。
ぼくはそのnoteを読んでいました。そのあと、都内某所でお会いする機会があり、「よかったら『アフリカ』にも書いてください」と話したのがきっかけでした。
最初にいただいた時、noteで読んでいた文章より、もっともっと「ゴツゴツしたもの」が来た! と思いました。スッと入ってくるような原稿ではなかった。『アフリカ』の編集者は、そういう原稿を大事にするんです。繰り返し読み、その感想からはじめ、いろんなことをメールで伝えて、仕上げてゆきました。
書き手は、どうやら、病室にいます(現在の書き手が病室にいるわけではありません)。病室にいる彼女のもとに、そっとやってくる過去の風景と、病院で同室している人たち、どこかの場所でいつも、通りすがりに見かける人たちの時間、etc. いろんな時間が交錯するエッセイです。じっくり、繰り返し読んでほしい。
さて、次。
小野十三郎賞をとって、ますます元気に書きまくって(?)いる犬飼愛生さんの新作詩「危うい御殿」は、"日本の女優第1号"とされる川上貞奴と"電力王"と呼ばれた実業家福澤桃介が住んだ「二葉館」(名古屋市)をモチーフに書いた、いつもとはひと味もふた味もちがう意欲作。
それに続くのは、芦原陽子さんによる「日めくりカレンダー 二〇一九年上半期ベストセレクション」。
そう、道草の家・ことのは山房のウェブサイトで昨年、365日"日めくり"で書いたエッセイの後編です(前編は前号のvol.29/2019年7月号に掲載)。
写真も含め、たっぷり22ページ。昨年、その日、その日にご覧になっていた方も、いなかった方も、よかったら、ご自身にとっての2019年の後半を思い返しつつ、ゆっくりご覧ください。
ご覧のように、『アフリカ』は、とにかく"読む"雑誌です。続くのは、鍋倉僚介さんの掌編小説「おとずれ」。鍋倉さんは英語⇄日本語の翻訳者で、最近はラーシュ・ケプレル『砂男』(扶桑社ミステリー文庫、共訳)を訳しています。『アフリカ』には、2年ぶり、2回目の登場。翻訳ではなくて、鍋倉さん自身による小説です。
鍋倉さんはぼくより少しだけ年下ですけど、同世代で、いわゆる"就職氷河期"真っ只中に20代〜30代を過ごしてきた。我々の時代の(と、あえて言ってみたい気もするのです)仕事や、暮らしの感触が、「おとずれ」にはよくあらわれているように感じる。
中村茜さんの「フェスティバルと混乱」は(いいタイトルでしょう?)、前々号の「差異を通して世界をつかむ」、前号の「おにのこ」に続いて、知的障害のある息子さんとの暮らしを描いたエッセイ(あ、「おにのこ」は犬の話でしたね、息子さんも出てきます)。
この書き手のことは、ぼくはたいへん信頼している(ほかの人もまぁほどほどには信頼してますけど)。というのは、何を考えても、「いや、まてよ」という感じが出る。「そうかもしれないし、ちがうかもしれない」という思考の癖がある。ぼくは自分にそういうところがあると少し思っているけれど、この人ほどではないかもしれない。ことば以外でのコミュニケーションを、ことばで精一杯、表現しようとしているせいもあるが、「わからない」というところにしっかり足をつけて、見聞きして、感覚を研ぎ澄ます、その先には「確かさ」もあるのだ、と書く力強さもある。
おなじみ、高城青さんのエッセイ漫画「それだけで世界がまわるなら」。連載なのか、何なのか。毎回、同じタイトルだけで、第何回とも書かれていないが、2013年12月のvol.13が初回で、指折り数えたら、えーと、13回目?
前号のつづきで、あの猫と始めた共同生活の、その続きが描かれています。ここでも、"ことばの通じない相手"への観察眼が光っている、と編集人であるぼくは見て、載せました。
読み物が中心の雑誌なんですが、ことば以外のコミュニケーションに大きなまなざしを注いでいる、そんなつもり、でやってる。
詩人・犬飼愛生の、裏面(?)であるエッセイ、今回は前号の続きで、「キレイなオバサン、普通のオバサン」、2回目です。
原稿を受け取って、最初に読む時は、編集者の何ものにもかえがたい歓びだと以前、何度か書いたことがありますけど、今回の犬飼さんのエッセイを最初に読んだ時には声をあげて何度も笑ってしまった。
さて、そして今回、さいごの方に載っているのはぼく(下窪俊哉)の小説「吃る街」の9回目。大阪・京都時代に出会った吃音の"仲間"たち、文学者たちとの付き合いから書き起こしたフィクション。
8回目は3.11の震災直後の2011年6月号なので、9年も空いてしまいました。たぶん、あの震災がなくて、その前後のいろんなことがなければ、もっと早くに書き継いでいたと思う。放置しすぎて、黴が生えてた感もありますが、昨年の夏から少しずつ手を入れたり、続きを書いたりしていた。今回はその一部を出しました。
今回は、編集後記の前のページ(「五里霧中ノート」なんていうタイトルがついてます)が初めて2ページになり、その前に「校正後記」というページができました。
2012年から校正でお手伝いいただいている黒砂水路さんによる"もうひとつの後記"です。
こんな小さな雑誌に、校正者がついているなんて、贅沢でしょう? 彼が手伝ってくれるおかげで、ぼくがどれだけ助かっているか…
前号ができたあと、会って飲みながら話していたら、「校正後記」ってどう? おっかしいんじゃない? と冗談で言っていたのを編集人が真に受けて「書きますよね?」と強制(?)した結果に生まれたページです。
今回、雑誌が完成したあとで彼が「答え合わせ」をした結果、やっぱりミスはあるもので、
52ページ・14行目「フェステイバル」(→「フェスティバル」)
74ページ上段・3行目「喋ることが出ません」(→「喋ることが出来ません」)
の2箇所のミスが判明。とくに後者は、黒砂さんの指摘を受けてぼくが手を入れた際に起こったタイプ・ミス(その確認でも見逃してる)。すみません。──こんな話を「校正後記」で書いてもらえたら面白いんだけど、いつも終わってから判明することで、なんとも難しい。こんなことを考えているということを恥ずかしげもなく発表していること自体を面白がって見ていただければ? だからどうした? あたたかい目で見てください。
編集後記では、30号に至った感想のようなことと、この半年の間に再開した「文章教室」のこと、文章の中に聞こえている「声」のことを書いている。『アフリカ』を手にしたら、まず編集後記を読む、という方はどうやら多いらしくて、そのつもりで書いています。最初に読んでも、途中で読んでも、最後に読んでも構いませんが。
『アフリカ』は、変化に躊躇がない雑誌だと編集者としては、思う。ここまで14年やってきて、変えよう、と思った時にはエイっとやる。しかし続ける時はそのまま走るのだ。今回は、前号の続き、といえるような号になったと自分では思っている。だから前号を読まれて、何かを感じたという方は今号もぜひ。今回、初めて読まれてジワジワくるものがあった方は、ぜひその次には前号も、と思います。
前号の編集後記で書いたことですが、『アフリカ』は「ゆっくり、隅々まで、くり返し、読めば読むほど味が出るようにデザインされているはず」なので、ゆっくり、じっくり、読んでみてくださいね。
前述の珈琲焙煎舎では、バック・ナンバーも含め店頭で発売中。あとはウェブの力を借りつつ、ぼちぼち売ってます。
これが500円で読めるというのは、なんだか安いね? という気が最近はしてきてますが、いまのところ値段を上げる予定はなく、『アフリカ』はプラマイゼロくらいになればよいと。いろんな出会いを連れてきてくれる雑誌なので、それを信じて。全国どこでも(場合によっては日本国外でも)お届けします。「読んでみたい」という方は、アフリカキカクのウェブサイトから遠慮なくご連絡ください。以前、やりとりがある方は、直接メールでもOK。
前号の時と同じセリフになりますけど──"いま"の、この日々の、地べたに近い、この空気感がいっぱいに詰まった、この1冊を、実際に手にとってご覧ください。どうぞ、よろしく!
(つづく)
「オトナのための文章教室」は、とりあえず春までは横浜のみで開催中。次回は、3/28(土)10時からの約2時間。3月のテーマは、「音を書く」です。参加者、常に募集中。詳細や最新情報は、同じくアフリカキカクのウェブサイトをご覧ください。
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