【特集】日常を旅する雑誌『アフリカ』vol.31(2020年11月号)- 後篇
今日で11月もおわります。急に冬らしい空気になり、明日から12月、今年もあと僅かとなると、「何という1年だったんだろう」という気持ちです。いかがお過ごしでしょうか? 今週は先週の続きで、『アフリカ』最新号の特集、その後篇です。
先週は犬飼愛生の詩「距離」まで、ご紹介しました。コロナ禍の光景をすくい取った作品です。
春が去って
夏が去って
顔に透明の壁をつけることに慣れて
私たちは
息苦しいまま 季節を行く
「息苦しい」状態は、いま、さらに続いていると感じています。この息苦しさは、果たして新型ウイルスだけによるものだろうか? 私にはそうは思えません。この詩に出てくるこどもたちの姿、塞がれた口の奥にある彼らの声を想像すると、何が見えてくるだろうか? どんな声が聞こてえくるだろうか? 私はそんな話をしたい。この詩を傍に置いて。
さて、その「距離」に続く黒砂水路「よくわからない」は、犬飼愛生の精選詩集『百年たっても僕らをこんな気持ちにさせるなんてすごいな』を読みながら、詩の「よくわからなさ」を探訪するエッセイ。
「詩がわからない」と言われることは、よくあるようです。「わかる」必要があるものなのか? という疑問も浮かびますが、ここではあえて「わからない」部分にスポットライトを当てて、何がどうわからないのか、考えたり、調べたり、わからなくなったりします。
いろんな「わからない」があるようです。こんなユニークな詩集評(?)は見たことがないかも。ぜひ(真面目に)読んでください。
それに続く「「私」と「詩」の世界──犬飼愛生との対話」(聞き手:下窪俊哉)は、その精選詩集について犬飼さんに聞いた短いインタビュー。
これまでの詩集から編んだアンソロジーである『百年たっても僕らをこんな気持ちにさせるなんてすごいな』の制作秘話。どんなことから、どんなふうに詩が生まれるか。フィクションとノンフィクション。リズムとメロディ。今後の展望について。そして、「よくわからない」へのとりあえずの返答も行われています。
なお、その『百年たっても〜』のことは、このnoteで書いて公開しています。こちらは全文無料。併せてお読みいただけたらと思います。
その次は、柴田大輔「牛久沼のほとりから」の2回目、「いくおさんとの夏」というサブタイトルがついています。
コロナ禍の夏、柴田さんと彼の友人は茨城県北部の山間部の、ある農家とその畑に通っていたそうです。このエッセイはその記録。昭和9年(1934年)生まれの「いくおさん」の生き様を、現在の姿と、彼の声によって語られる記憶の両方から炙り出してゆきます。が、「いくおさん」にはこの夏、やむを得ないかたちで人生の転機が訪れます。
「いくおさん」は高齢(88歳)で、妻を亡くし、子らは離れて暮らしており、ひとり暮らしています。そこは絵に描いたような現代日本の"過疎地"であり、人手がない。柴田さんらがどれだけ通おうとも、それは"客人"というふうにしかなっていないかもしれない。
「いくおさん」はしかし自身の過去を、すぐそこにあるように語ります。その声が、このエッセイの白眉だと私は感じています。かつては、どこにでもいたような農村に生きる男の自伝かもしれない。しかし、いまはその声がたいへん貴重なものとして感じられます。失われようとしている、その予感があるからでしょうか。
これからの時代、どのようにして"死"を迎えるのか、という問いも、この中にはあります。このエッセイの中で、それが深まることはありません。が、その問いがすぐそこにあるということは、嫌でも感じられます。
さて、その頃、コロナ禍のさ中に、私と同世代の40代の女性三人が、どんなことを感じて、どんなことを考え、過ごしていたかということを語るエッセイ(&エッセイ漫画)を、その後、つづけて置きました。まずは、芦原陽子「ウクレレの波に乗って」。
コロナ禍を、ただ悪夢のように過ごすのか、その中に何か見出すのか、とすれば、私は後者を選びたくて、このエッセイはまさにそれを地で行く内容。
春からの外出自粛期間は、自分を深く掘り起こして、それを祝うかのようなご褒美タイムの自祝期間になっていたのかもしれない。
と著者は言います。
私は、今年流行りことばのようになった"自粛"ということばを、もうしばらくは使えない(本来の意味を離れてしまっているから)と「『音を聴くひと』を語る」の中で言ってますが、ここでは「自粛」を「自祝」を言いかえることで笑い飛ばしているようで、爽快。
ことばの魔力には、こういうことが、ありますね。
(その後、黒砂水路「校正後記?」を少し挟みます。聞くところによると、前号の「校正後記」は一発ギャグのようなつもりだったそうですが、「また書きません?」と伝えたら、しぶしぶ(?)書いてくれました。『アフリカ』の校正にかんすることではなくて、校正の仕事をやってきた裏話(校正自体が裏方仕事なので、何と言えばいいか)です。何やら面白いエピソードが満載なので、ぜひ載せましょう! となりました。)
それにつづく犬飼愛生「キレイなオバサン、普通のオバサン」の連載3回目では、コロナ禍に陥る前の2019年末からの出来事(自分が「キレイなオバサン」でいられるのか「普通のオバサン」になってしまうのかの瀬戸際での涙ぐましい努力の数々)が語られています。
ここでもコロナ禍が、大きな転機となって訪れます。転機と言っても、イロイロサマザマな転機があるもので… 『アフリカ』の編集者は最初にこの原稿が送られてきたときに、読んで、思わず声をあげて笑いました。思いっきり笑うことは、なんという救い、癒し、浄化作用(?)なんだろう。
『アフリカ』の愛読者にはお馴染みの、髙城青のエッセイ漫画「それだけで世界がまわるなら」、今回はコロナ禍のさ中、父が入院し、夫であるセイウチが動けなくなってしまった、そのいきさつが語られています。
私はこれを読んで全く笑うことができません。セイウチさんが心配だし、青さんも心配で、同時に、自分自身にも、自分の家族にも、他の友人たちにも、いつ何が起こるかわからないといった大きな不安を感じる。なのに、それにもかかわらず、こうやって表現されたものを見ると、どこかに癒しのようなものを、救いを感じる。それはなぜだろう?
笑うのと、泣くのは、近いことなのかもしれません。
今回の『アフリカ』、後半に並べたエッセイ群からは、そんなことを考えさせられます。
さいごに置いてある、下窪俊哉「そば屋を出ると」は、『音を聴くひと』の冒頭にある「そば屋」(1999年作)へのアンサーソングとでもいう掌編。緊急事態宣言解除後の6月末、数ヶ月ぶりに再開した「文章教室」の最初の回のために書いたものです。『音を聴くひと』の「そば屋」のページにそっくりなレイアウト・デザインにしてあるのはそのためです。
「執筆者など紹介」から後のページは、相変わらず愉快でしょう? でも今回は髙城青によるイラストの猫が、そこかしこに居て、賑やかです。ニンマリして眺めてください。
そして、編集後記です。今回は最後の最後まで書けなくて、難産でした。
コロナ禍のことには、嫌でも触れないといけないだろう。しかし、春以降にあったことを追いかけてゆくと、とてもこのスペースには収まらない。何を書こう。何を書かないでおこう。なかなか決められなかった。
苦しいようなことは、ここでは中心にしたくないと思った。コロナ禍は、この社会、この時代の毒をおおいに吐かせまくっていると感じていることは確かで、そのことはけっして悪いことではない。と感じていて…(たぶん)
イタリアの作家パオロ・ジョルダーノのメッセージが、頭の隅にあった。「コロナの時代が過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」。3.11のときにも似たようなことを考えたかもしれないが、この社会は、「なかったこと」のようにしてその後を過ごしてきた。私にはもう「なかったこと」にはしたくないと思うことが山ほどある。そのことをまず思った。
コロナ禍の前が、素晴らしい時代、社会だったか? と問われると、私は、否、なのだ。
今年は、大きな変化の分岐点になる。ならないと、そうしないと、自分たちの未来は暗いという思いもある。
次に思ったのは、ウイルスが、人と人の間にあるものだ、ということだ。
いま、危機に瀕しているのは、「人と人の間」にあるものである。そうでない世界は危機に瀕してなどいない。
それで、養老孟司さんが今年の5月に、こどもたちに向けて発したメッセージを思い出して、そのことに触れた。
そしてふっと浮かんできたのは、「内なる旅」ということばだ。これは、細野晴臣さんがラジオで、さりげなく口にしていて、今回、編集後記を書こうとしていたらその声が聞こえてきた。「内なる旅」か。まさにそうだな、と思った。
読む人の中にある「内なる旅」に思いを馳せて──コロナ禍に見舞われた年の春から秋にかけて、ひとりひとりに起こった様々な出来事、物語、思考の痕跡、回想、試み、語り合い、etc. 力作揃いの96ページです。
(つづく)
『アフリカ』最新号(vol.31/2020年11月号)、アフリカキカクのウェブサイト、ウェブショップ、そして珈琲焙煎舎(府中市)の店頭で発売中。ウェブからでもご注文いただければすぐにお届けしますので、初めての方は少し緊張するかもしれませんけど、どうぞお気軽に。
「道草の家の文章教室」(横浜 & 鎌倉)、12月は11月に引き続いて「夢を描いて」ですが、少しプラスして「2020年の夢」でやってみます。いつも通り、テーマは頭の隅に置くだけ置いて、好き勝手に書いてもらうので(も)構いません。「書く」ことをめぐる、自由気ままな教室です。初めての方も歓迎、お気軽に。事前にお申し込みください。詳しくはこちらから。
下窪俊哉の20数年を辿るアンソロジー『音を聴くひと』は、ひそかな好評を得つつ発売中!
日常を旅する雑誌『アフリカ』のベスト・セレクション&モア『ウェブ・アフリカ』のvol.2(6/2020)は、メール・アドレス1本をご登録いただくだけで無料で読めます。ぜひどうぞ。