偶然はどうやってつながるか
先日からくり返し書いてきた『アフリカ』の29回目の"セッション"が終わり、今朝、入稿した。行き先は、『アフリカ』を始める前から付き合いのある、大阪は堺市にある町の印刷・製本屋さんだ。
入稿の日の朝には、もう一度、ひとりで最終のゲラと見つめ合い、通しでもう一度、チェックするというのが恒例だ。『アフリカ』はページ数が少ないので、直前にもう一度全部見返すというのが難しくない(今回はこれまでで最もページ数が多いが、それでも72ページである)。
今回はとりかかるまでが長くて(1年以上!)、とりかかってからも、なんとなく重たい気持ちになることが多かったが、それはあくまでも個人的なことだ、読む人にも、書いている人にも、はっきり言って関係がない。しかし編集している人の気持ちも大切にしないと(ぼくは…何のことはない、自分の気持ちを大切にすればいいことだ)。そうでないと、できないから。読む人は、できないものを読みようがない。あたりまえか。でもつくってる側からすればあたりまえじゃない。読める(ことになる)はずのものなのだから。
ぼくの原稿ではないのだが、今回の『アフリカ』には、「死」を書いたものがふたつあり、何かに苦労している内容のものもあり、全く打ち合わせずにそうなっているのだけれど、編集しているぼくとも、連絡をとりあってないはずの書き手同士にも不思議なシンクロニシティが起こっている。これは、じつはいつものことだ。
そのことから思い浮かぶ話を書いておこう。
1年前の6月、「『アフリカ』をよむ会」というイベント(会合)をやって、『アフリカ』に書いている人も、『アフリカ』を読んでいる人も、いろんな人が集まった時に、「直観讀みブックマーカー」という遊びをやった。
たとえば、何でもいいのだけれど、「『アフリカ』とは」というお題を出して、手元にある本をおもむろに取り上げ、適当に、パッと本を開いてみる。開いた本のページを見て、パッと目に入ったことばやフレーズを、さっと書き取る。すると、「『アフリカ』とは」→「◯◯◯◯」という文章が生まれる。いい加減な作業なので、やったことのない人なら、ムチャクチャな文章になると思うでしょう? ところが、多くの場合、そうではないのだ。
「本は何でも知っている」と「直観讀みブックマーカー」の発案者である陸奥賢さんは言う。
関係なかったはずの人と人、本と本、ことばとことば、それが出合うと起こるのがシンクロニシティだ。
出合わなければ、起こりようがない。まずは出合うことからだ。そして、その"出合い"をデザインする仕事をぼくはしている。
(つづく)
その、『アフリカ』最新号について、とりあえず目次をアップしました。画像の表紙は作業中のもの(部分)。予約受付中です。
7月になりました。「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"、1日めくって、7月1日。今日は、雑巾がけとお絵描きの話。"ことのは"さんと息子が描いた絵をご覧ください。
※"日めくりカレンダー"は、毎日だいたい朝に更新しています。
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