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何を書く(描く)か

横浜市民ギャラリーあざみ野で今日まで開催されていた「あざみ野コンテンポラリーvol.10──しかくのなかのリアリティ」を観ることができた。

あざみ野のギャラリーで毎年、開かれている1月〜2月の「フォト・アニュアル」と、秋の「あざみ野コンテンポラリー」は毎年たのしみにしている。

「しかく」は、「視覚」とキャンバスの「四角」をかけてるのかな(どうか)。

「あざみ野コンテンポラリー」は若手のアーティストを紹介するグループ展。今回は、山岡敏明さんが40代である以外は、みな30代かな。

横浜市民ギャラリーあざみ野で行われる企画展の恒例なのだが、今回も各アーティストのインタビュー映像が会場で観られるし、ウェブでも観られるようになっている。

みんな美大や芸大で学んでいる──という共通点がある。いまどき中卒のアーティストなんていうのは絶滅危惧種なんじゃないかというくらい見かけないのだが。

インタビューの質問項目は決まっていて、質問が型にはまっていれば、答えも型にはまっているようであり、みな声を合わせるように、大学に進学してアーティストになりたいとは思っていても、何を描くのかというところはなかったというようなことを言っている。

予備校には2年通い、いざ大学に入学してみると何を描いたらいいのか、本当の意味ではわからなくなっていたと思います。(加茂昂)
自分にとっての「絵画」を見つけたいと、そのまま美術大学へ進んだのですが、やはりそんなに簡単には見つからなくて、大学にいられるギリギリまでいましたが、それでも満足できなくて。(横野 明日香)
とりあえずあるもので描くんだけれども、自分が描くべきものであるという証拠がないというか、そのことで悩みながら描いていました。(山岡敏明)

と、まぁそんな調子なのだ。ぼくにはたいへん興味深い。

入学したての頃は、色々と描くことを模索していました。(水野里奈)

というのは、一見違う発言のようだが、同じものを前から見るのではなくて後ろから見ているというくらいの差ではないかと思う。

美大で勉強することになったのは、他のものへの挫折みたいなものもありました。浪人して毎日絵を描くことを経験して、それから大学に入って、やっと美術や描くことと向き合い始めたという感じです。(松本奈央子)

この松本さんの発言はちょっと違う。大学時代は、

つくるモチベーションが自分の生きているなかでの問題と直結しているというか、情感みたいなものが動機で描いていた時期がありました。

と言っているから、「描くことがない」という感じではない。

ジャンルこそ違えど、ぼくも芸術大学に学び──他のことの挫折のようなこともあり、自分の中では芸術大学しかないという感じになり──そこではじめて書こうということになったが、「書くべきものは何もない」という気分は濃厚だった。

しかし、20歳近くなって書き始めたから(もう子供ではない)、とりあえず書けると思うことはあった。もっと若い頃(中学生とか高校生とか)から書いていたら(書くことを考えていたら)、上の3人のような発言になっただろう、という気がする。

ぼくがいつも思っているのは、何か書きたいことがあって書く、というのではないのだ。何か書かなければと思って、何かいいもの(?)が出てくるということはぼくにはめったになくて、あれこれ書いているうちに、何かが、書くべきことになる。

いまでも、書くことがないな、書かないでおこう、と思うことが自分の中のほとんどを覆っていて、たまに、ちょっとはみ出した部分を書いているにすぎないような気がしている。

──なんにもないんだよ、と声に出して言ってみる。すると、

──なんにもないというのが、また、あるんだよ、と返ってくる。

(つづく)

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