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"支援"をめぐって

知的障害のある人たちの外出・移動を“支援”する仕事を始めて、今年で7年がたつ。

それまでも、“障害者”とのかかわりは少しはあったが、福祉とか介助(介護)とかと呼ばれる仕事に従事したことはなく、ボランティアの経験もなかった。

日常的に“障害者”と会うということもそれまでは経験したことはなかった。

“支援”ということばには、なぜか慣れていたような気がする。

“精神障害”と呼ばれるジャンルのプロ(当事者)の話を聞いたり、実際にそうかもしれない人が身近にいて、中には亡くなる人も出たりして…、いや、その前に自分が「そうでない」かどうかというと…

そこで“支援”ということばが、その頃、どんな具合に使われていたか、よくわからない。

でも、とにかく“支援”ということばには最初から抵抗がなかった。

ただし、支援者同士が集まったり、当事者やその家族、支援者、福祉関係者が集まって飲んだりする時には、「支援してるのか、されてるのかわからないような気がしてます」と話していた。

ぼくはいつだって自分を助けることに一所懸命なので、どうすれば自分を“支援”できるか、してもらえるか、と考えている。

自分を助けるためには、ぼくの場合、自分のことだけやっていてはダメなのだ。それはずっと前から(なぜか)わかっていた。

大切にされたい、そう誰もが願っている、そうぼくは思っている。

しかし「大切にする」とはどういうふうにすることか。

どうされたら「大切にされた」と感じるのか。

人にもよるだろうし、ま、一筋縄ではゆかないのが人間という生き物なのだなぁ。

“支援”の現場は、きれいごとが、ほとんど通用しない。

きれいごとは、"大人の屁理屈"とも言う。「〜なんだから仕方がないよね」といった類のものは全て"大人の屁理屈"だ。

障害者も、支援者も、お互いに生身の人間であることを嫌でも意識させられる。──そのことは、ぼくには面白い。たしかに面倒くさいが、少なくとも、年がら年中"大人の屁理屈"に付き合っているよりは遥かに面白い。

そして、お互いの間に横たわる深い"謎"に付きまとわれたりする。

ぼくは相手のことを「わからない」と思うだけでなく、自分のことがいかに「わからない」かも意識してしまう人なのだ。

(つづく)

「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"、1日めくって、5月23日。今日は、"噛み合わせ"と"神合わせ"のお話。

※"日めくりカレンダー"は、毎日だいたい朝に更新しています。


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