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『音を聴くひと』の予告編

先週は、小学1年生の息子が、はじめての授業の日を迎えて、行って帰ってきた時に、「ぜんぜんおもしろくない」と言ったという話を書いた。

しかし翌日からは、「たのしかった」などと言って帰ってきてます。とはいえ、「おもしろくない」と思う日は、また、たくさんあると思う。遠慮しないで、どんどん言えばいいと思う。「ぜんぜんおもしろくない」と。

大人にだって、「ぜんぜんおもしろくない」と思う日はあるもんね。言えばいいよね。無理しないで。そんな気がした。

さて、昨年の夏からじわじわと準備していた、ぼく(下窪俊哉)の作品集『音を聴くひと』が、ようやくできました。6/21頃を目処に発売予定。

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その内容については、また来週、書くとして、今日はここに至った経緯について、少し書いておこう。

ぼくが個人的に営んでいるアフリカキカクでは、雑誌『アフリカ』を継続してつくりながら、2014年の12月に絵本『からすのチーズ』(しむらまさと・作と絵/荻野夕奈・色)をつくった後、何冊か本をつくる計画があったが、実現せずに過ぎてしまった。

まだ全て諦めてはいないのだが、とりあえず、現時点では頓挫している。

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それらの本を、つくって、売って、稼ぎたいというのではない。そもそもそんなに売れる(儲かる)と思ってつくりたいのではなかった。

誰よりも自分自身が、その本を手元に置いて、大切にしたいのである。どうせなら、『アフリカ』の熱心な読者の皆さんにも"おすそわけ"したい。そして、その本をきっかけに『アフリカ』という"場"を知る人たちにも届けたい。そんな気持ちだ。

昨年(2019年)、自分の中で大きな転機が来て、十数年やってきた『アフリカ』も、ちょっとしたリニューアルをした。それは読んでいる人の多くには、大きくは感じられなかっただろうが、編集者である自分には、大きなことだった。

奇妙な言い方になるが、"大きなマイナー・チェンジ"をした。

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その時は、「前と同じようでいて、ちょっと違う」なんて言っていたが…

その、キャベツの断面が表紙になった『アフリカ』をつくった後、いったんはそれまでの計画を捨てて、新たなアイデアを得た。

それは、自分自身の本をつくろう、ということだった。

普通の「作家」は、まずそのことを考える(願う?)のかもしれないが、ぼくは日々書いていることが充実していればよい人なので、あまり考えてはいなかった。

しかし『アフリカ』を読んでいる人に、いま一番求められているのは、編集者であり主要な書き手のひとりでもある下窪俊哉の本ではないか、とプロデューサーの自分は考えた。

その前に、昨年の春、が始めた「ひなた工房」と一緒にフリー・マーケットに出た時に、その隅っこで『アフリカ』を売っていたら、編集後記だけ何冊も立ち読みして、「これは面白い! この後記をまとめた本があったら買いたい!」と言われた方があった。

その時に、まずは、『アフリカ』の編集後記を集めた本をつくろう、というアイデアがやってきてくれた。

その時まで、考えてもいなかったことだった。

その人に、こんどの本を届けたいが、どこにいる方なのか、なんという方なのか名前も知らない。顔も、ぼんやりとしか覚えていない。残念なことをしたものだ。──というのも、『音を聴くひと』には、『アフリカ』の編集後記が、最初の号から最新号まで全てノーカットで載っているからだ。

もうひとつのきっかけは、キャベツの『アフリカ』を出した後、昨年の8月に、「オトナのための文章教室」を再開した時にあった。

その日、ぼくはここ(note)に、「そば屋」という、20年前に書いた自分の最初期の小品について書いた。昨年は365日、毎日書いて発表し続けていたのだが、その日のタイトルは「なかなか書き進められない人」だった。

そうしたら、その日、はじめてお会いする方があり、「そば屋」を読んでみたい、と言われる。持っていたので、読んでもらったのだが(短いのですぐ読める)、その人は、しみじみと「いいですね…」と言われる。「とてもいいです」と。

「そば屋」は、じつは、その時まで、自分にとっては、"最初(期)の作品"というていどの位置付けでしかなかった。すごく短いから、話のネタに使える、と持ち出したのだ。

書いて同人雑誌に発表された当時、それを読んでぼくを励ましてくれた人がいたのは覚えていたが、それ以上のことは何もなかった。だから、その日、「この、そば屋さんが載っている本があれば買いたい」と言われたのには、新鮮な驚きがあった。

そんな話の続きは、また何かの機会に、ということにしよう。

そのふたつの出来事がきっかけとなって、何かしらのかたちで自分の本をつくろうと考えたのだが、とりあえず、過去の作品の読み直しから始めよう、と思った。自分ひとりでやるのは、ちょっと心もとない。とくに昔の作品にかんしては、「こわい」と思う気持ちも大きかった。

その時、『アフリカ』をはじめとする、ぼくの個人的な仕事を、ボランティアのようなかたちで支えてくれている人たちが、思い浮かんだ。

その中に、校正者の黒砂水路さんがいた。彼はよく、ぼくが自分の話をする時に「いや、それはちょっと違いましたよ。これこれ、こうですよ」と修正を入れてくれる。ぼくの書いたことにかんしては、ぼくより詳しいところがある(かもしれない)ありがたい存在だ。なんて言ったらまた修正を入れられそうだが…

彼に手伝ってもらおう、と思った。お願いしたら、快く引き受けてもらって、毎日のように、ぼくの昔の原稿を読んで率直な意見を飛ばし合う作業が始まった。

その作業を始めた頃、随筆家の山本ふみこさんと、久しぶりに再会した。

その時、「下窪さん自身の本をつくってほしい」と言われたのだった。ああ、じつはもう、その計画があるんですよ、と話した。

そのあと、「ふみ虫舎のエッセイ講座」に呼んでもらって、「自作を朗読してほしい」と言われた。その時、パッと思いついたのが、『アフリカ』を始める少し前に、知人のやっていた『初日』という小冊子に書いた「吃音をうけとめる」というエッセイだった。

それは、ぼくが吃音のことを、ちゃんと書いておこうと思った最初のエッセイだった。「吃音をうけとめる」は、こんどの本に載せよう、ということになった。

その講座では、原稿は楽譜のようなもので、音にして聴くということをとても大事にしているのだという。

そのことには、とても刺激を受けた。

ぼくは吃音を理由に、書かれたものを音読することにはたいへんな苦手意識があった。いまでもそれはあるのだが、子供の頃から、音読はなるだけしたくないと思っていた。その意識に変化があったのは、この数年のことだ。〈声〉に秘められた力を、「音読したくない」という思いの後ろで、ずーっと感じ続けていたのだった。

その日は、ひっつまり、ひっつまりながら、読ませてもらった。じっくり、じっくり、音にした。意外なほど、感触はよかった。聴く人には、伝わっている、と思った。

これからつくる自分の本が『音を聴くひと』になるなんて、まだ予想もできなかった。「音を聴くひと」というタイトルの作品は、なかったからだ。

(つづく)

あの大陸とは“あまり”関係がない道草の家のプライベート・プレス『アフリカ』。読む人ひとりひとりの傍にいて、ボソボソ語りかけてくれるような雑誌です(たぶん)。その最新号(vol.30/2020年2月号)、ぼちぼち販売中。


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