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「鏡」へのアクション〜『るるるるん』vol.3を読む

いま、アフリカキカクのウェブショップでも発売中の『るるるるん』vol.3について、今日は少しご紹介しましょう。

『るるるるん』vol.3

るるるるん』は、アフリカキカクの本ではなくて、『アフリカ』の最近の号にも書いているUNIさんが参加しているリトルプレスで、かとうひろみさん、3月クララさんとUNIさんという小説を書いている3人組の作品集。

今回、その中に、私・下窪俊哉がトーク・ゲストとなって話している「茶話会」が収録されていて、リトルプレスをつくることについてあれこれ語り合っています。その中で

クララ 文フリなんかの影響もあって、今やZINEの勢いがすごい時代ですけど、下窪さんはめちゃくちゃ先駆けてますね。
下窪 そうなんですかね?

「結局「る」はいくつですか《るるるるん茶話会》」より

というやりとりがあるんですけど、私はけっして自分が先駆けていたとは思っていなくて、おそらくいまそういうことをやろうとしている人たちの前に、何らかの断絶があったのではないか? と、いまは思っています。そこを「つなぐ」役割が少しくらい出来ればいいなあと思っています。

さて、『るるるるん』では毎回、お題が示されていて、それに応えて書いた小説が3作、収録されています。
今回のお題は「鏡」。
一読してすぐに気がついたのは、3作とも、登場人物が「鏡」に対して何かしらの働きかけをしているな、ということ。
何らかの場所にあり、あるいはカバンの中に入っていて、たまに(そこに写る自分+αを)見つめたり、眺めたりする「鏡」から何らかの変貌が作中にあり、登場人物がそこに何かしらのアクションを起こします。

おそらく3人は、「鏡」をどうしようか、どうしてやろうかと考えたのではないか──そんなふうにして影響を受け合って書かれている作品集なんです。

かとうひろみ「はちまんびきのけもの」は、鏡が(普通あるべきはずのところに)ない、という状況を書いています。鏡がない、ここにいる自分を写すものがない、というある種の視覚を取り去った先に作者が何を感じているか…なんてことが私には気になります。気になりながら、語り手の「私」と共に小説世界を彷徨うんです。

UNI「丸、四角。どれもざらりとした断面」では、えっ? と思うようなところに鏡が準備されています。私は主人公の心の芯にある熱源のゆくえ、というようなことを感じながら読んだのですが、読み終わってからタイトルを見ると何だか不思議な感じがしました。もっと多様な「鏡」がこの小説の中には潜んでいたような気がして。

上記の2作は短編らしい短編(小説)と言えそうですが、それに比べると、3月クララ「レボリューション」はもう少し複雑な構造を持っています。中編あるいは長編になってもおかしくなかったような内容で、意欲作。作中で幾つかのパートに別れていて、いくつかの流れがありますが、そこには何人かの女性の「革命」が(タイトル通りに)暗示されているようです。そんな中、立ち現れてくる「鏡」が不気味に感じられるとしたら、それは自然なことかもしれませんね。

以上は私のつたない感想文です。本の中には唐澤龍彦さんによる線画がたびたび登場して、3人とのコラボレーションを見せているので、手に取ったらまずはそこからお楽しみに。

アフリカキカクのウェブショップから買っていただくと、私の書いた短いエッセイ「冷蔵庫を拓く三作──『るるるるん』vol.2を読む」がオマケについてきます。

ささやかなオマケつき

前回の振り返りというだけに留まらず、同じ作者たちによる作品集なので、作品に深く入ってゆくためのヒントに少しくらいなれば…と思っています。

同時に(UNIさんも参加している)日常を旅する雑誌『アフリカ』や、アフリカキカクのあの本やこの本も買えますので、よかったらご一緒にいかが?

というわけで、今日は宣伝と感想文を兼ねた『るるるるん』vol.3の小特集でした。

(つづく)


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