失恋と失業
昨日は「ブレイク・スルー」があったようなことを書いたが、劇的に何かが良くなるようなことはなくて、徐々に、徐々に、だ。今日は散髪に行った。いつもの1000円カット(それだけの店ではないがぼくはカットだけしてもらって帰って来る)で、1100円。20円のお釣りが来なくなったのが何となく寂しい。
そのあと本を返さなければならなくて図書館まで歩き、先月、ある人から薦められていた本を書庫から出してもらい借りる。
せっかく来たので、最近の新聞と、雑誌のコーナーを見て回る。
『現代詩手帖』で福間健二さんがカナダの詩人、クレア・ロバーツの朗読会について書いているのを見つけて読む(8月に東京で行われたらしい)。
興味を持ったので翻訳で1冊だけ出ているらしいクレア・ロバーツの詩集を探したが、図書館にはなかった。かわりに、その雑誌のページをコピーさせてもらった。
で、何となく気づいた。いま、自分はもがいている。もがいているから、いろいろ感じることもあるわけだ。もがいてなければ、感じることもない。日々の仕事をこなしてゆけば、それでいいじゃないか? と思っていればこんなふうになることはないわけだ。
そうか! これはむしろ良い兆候なんだ! と気づいたわけ。
調子が悪いと気づけるということは、何かやろうとしていることがあるからだ。何もなければ良いも悪いもない。
なぁ〜んだ。調子が悪いのは良い調子だったのかぁ?
悪いということは良いとか言い出すとややこしいけど、ほんとうにややこしい?
今日の午後、散髪をしてもらいながら、急に10年、11年前の会社勤めをしていた頃のことがいろいろと思い出された。なぜそうなったのかわからない。あらためて、ぼくはそこに絶対戻りたくないと思った。
いまここに悪いということは良いということだとか書きながら、今度は中学生の頃だったか、高校生の頃だったか、幼馴染の一家がうちに遊びに来た時の、幼馴染のことばが急に思い出された。彼(その頃のですよ)が言うに「失恋というのは、恋があったということだから、いいなぁ」らしい。
さて、失業したということは、職があったということだから、いいなぁ、となるか、いや、ならないか。
失恋と失業からなら、いくらでもぼくは書けそうな気がしてきた。
(つづく)
「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"は、1日めくって、10月3日。今日は、「自分の意思」の話。
10/27(日)、「横浜らいず」で行われる「丘の上マルシェ」に、道草の家(アフリカキカクとひなた工房&モア)で出店します。
日常を旅する謎の雑誌『アフリカ』最新号は、継続してダラダラ販売中。ご連絡いただければ郵送で直接、ビニョーンとお届けすることもできますので、遠慮なくどうぞ。「どんな雑誌なの?」ということにかんしては…
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