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自己紹介

早速、私のことを少しみなさんに知っていただけたらと思います。ここでは、私の看護師としての経歴、転職したきっかけやタイミングだけお伝えしようかと思います。それぞれの職場での経験や悩み、その時考えていたこと、私の落ちこぼれからのステップアップの過程など、また別の記事で書こうと思っています。

平成元年生まれ、34歳。看護師11年目です。(ちなみに、大学入学までに1年浪人、大学4年生も2回経験したので24歳で大学を卒業しました。理由はまた別の機会にかけたらと思います。)愛犬のチワワ♂と仲良く都内で暮らしています。
新卒で都内の大学病院救命センターで2年勤務しましたが、2年目に適応障害と診断され3ヶ月休職、その後退職しました。適応障害のきっかけとなったことは、看護師としては当たり前とされている日勤夜勤の変則勤務で体調を崩したことでした。今でこそ、アイドルや芸能人で精神的に体調を崩し活動休止というニュースも珍しくない世の中になったのではないかと思いますが、私が適応障害と診断された10年前は、今ほど頻繁にそのようなニュースはなかったので、自分は珍しいんだ、同期ができているのに自分だけできないなんて落ちこぼれなんだと思っていました。

そうは言っても、働かないと生活できなかったので、訪問入浴の仕事や老健、有料老人ホームなどで派遣として1年半ほど働きました。社会人として働くことに慣れてきたタイミングで、派遣期間終了だったこともあり、私は再び病院で働くことを決めました。その当時看護師4年目だったので、一般的には病院でバリバリリーダーなんかしていて頼りにされる世代のはずなのに、自分がそのレベルに達していないことに負い目を感じたこともありました。でも、そういう自分になることを諦めてはいなかったので、病院で一人前に働けるようになりたい一心で初めての転職活動をしました。

その後、無事に200床程度の民間病院に入職しました。急性期病棟(整形と乳腺外科)を1年経験後、地域包括ケア病棟の立ち上げがあり配置換えとなり2年、合わせて丸3年の病棟勤務を経験しました。ここで自信につながったのは、3年間1度も欠勤することなく勤務できたことです。ただ出勤するという当たり前のことかもしれませんが、それが1度できなくなった私にとって、休まず出勤できたということは、すごく大きな一歩でした。こうして病院で勤務することに自信もついてきた頃、私の中で「またICUで働きたい」という想いが少しずつ大きくなりました。当時働いていた病院にはICUがなかったため、職場の人や環境はありがたいものでしたが、自分の夢を叶えるために転職活動をし、現在の総合病院に転職することになりました。

現在総合病院のICUで5年になります。入職当時は毎日勉強に追われて大変でしたが、大変な気持ちよりも新しいことを知れる喜びや中途にも関わらず、Aラインの採血方法など一から教えてもらえる環境にとても感謝の気持ちでいっぱいでした。そのおかげもあって、すごくポジティブな気持ちで、新卒の頃のようにワクワクしながら勉強していました。この職場にきた頃の目標は、「ICUでリーダーができるようになる」でしたが、5年たった今ではリーダーばかりしている自分がいて、ふと振り返ると不思議な気持ちです。今では嫌でもリーダーがつきますが(笑)、後輩の相談に乗ったりすることも増え、昔の自分が今の自分を見たら、信じられないんじゃないかな、とも思います。色々書きましたが、正直、いつも楽しいわけではありません。時々業務に追われて嫌になる瞬間もあれば、先生の言い方に気分が悪くなることもあります。患者さんに暴言を吐かれたり、せん妄の患者さんにかじられたり、蹴られたり、ご家族とトラブルがあったりなんてこともあります。ですが、適応障害になって病院で勤務できなくなったあの頃に比べたら、なんてことない大変さです。

今回は、私の看護師としての経歴を中心に書かせていただきました。次回は、新卒で大学病院で働いたとき、適応障害になった経緯や詳細について書こうと思っています。今日も誰かにこのブログが届くことを祈っています。


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