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『真夜中の五分前』                 第3回 価値はおまえさんが決めるんだ

  ―深掘り考察記事です
  ―おもいきりネタバレしますのでご注意ください


犯人捜しではないという監督のことばを何度も見聞きしているというのに、生き残ったのがどちらなのかにどうしてもこだわっていた。
最初観たときはルオランだと確信したが、その後、ルーメイへと気持ちは180度変わった。自分なりの結論で満足できる考えだった。
それなのに…


良の心の中

やっぱり必要だろうなと思い、男性2人の気持ちをまとめてみた。ティエンルンは問題なかった。だが「良の気持ち」の最後の場面で書く手が止まってしまった。
生き残ったのはルーメイだという結論に至ったのだから、「お帰り、ルーメイ」と声をかけるはずなのに、良の口から出る名前がどちらなのかがわからない。
机の上にルオランに贈った腕時計が置かれている。だからルオランが戻ったのだと思った。だが時計は正しい時刻を指している。5分遅れではない。じゃあ、ルオランではないのか。
ならばルーメイなのか。ルーメイだとしたら、どうしてこの腕時計を持っているのだろう。ルオランが預けたのだろうか。どうして? いつ? 
それともやはり「5分遅れではない今を生きたい」と言っていたルオランなのか。
わからない…
一緒に今日を迎えたというのに、良はいったいどちらの名を呼ぶというのだろう。

「それが何者であれ、ひとりの女性が苦悩するのを目の前にして、その苦悩する彼女を愛すことができるのかどうか。そのことに葛藤する、巻き込まれた青年の話にしたい」(映画DVDの行定監督コメンタリーより)
監督のことばが、重くしずかに心に沈みこむ。

良ならば…、と考えてみる。
妹との関係に悩む、あのルオランを愛した良ならば、自分を騙していたのだとしても戻ってきたなら、きっと許すのだろう。
ティエンルンへの愛に賭け、妹になるという生き方を選び、嘘をつきつづけるしかなかったルオラン。その辛さ、その哀しさが痛いほどわかるから、良はそんなルオランをやさしく深い愛で包み込むだろう。拒むことなどこれっぽっちも考えずに。
双子の姉を失くしたうえに夫から別人だと疑われ、ののしられ、去っていかれてしまい、そのせいで自分が自分であると思えなくなったルーメイの深い失意。
2人それぞれの哀しい心がわかるから、大きな傷を背負って生きる良ならば、どちらであっても否定せず、その人そのままを受け入れるのだろう。
ルオランがルーメイのふりをしているのでもいい。「自分はルーメイだ」と言うならそれでいい。目の前にいるその人をそのまま丸ごとしっかりと抱き止めるだろう。
あれは嘘だったとルオランが告白したとしても、それが長い間ルオランを苦しめてきたルーメイであったとしても、良はそうしたのではないだろうか。
戻ってきたのがルオランであろうとルーメイであろうと良は受け入れる。
それぞれの哀しみと真正面から向き合い、それぞれの哀しさを自分のこととして引き受けるだろう。

もう一度、2人でやり直せばいい。もう一度、最初から始めればいい。
最後にそこに到達できるのであれば、そうだ、どちらでもかまわないのだ。

姉妹の気持ちを覗いてみれば謎は解明されるはずと考えていたのだが、覗いてみるべきは良の心の中だったということか。
生き残ったのがどちらなのかを必死に探し回る必要なんて、まったくなかったのかもしれない。
イヤだとかなんだとか私が言ってる場合ではなかったようだ。

「愛というのが非常に複雑でむずかしい、一筋縄ではいかないってことを受け取ってもらえたらいい」(映画DVDの行定監督コメンタリーより)

       ♦

ずいぶんと遠回りをしてしまったが、この話のカギは良だという地点にやっとたどり着いたみたいだ。こういう解釈になろうとは考えてもいなかったのだけれど。
しかしホッとしてはいられない。なんと、ここでまた気がついた。5分遅れた世界と「真夜中の五分前」についてあまり考えてこなかったことに。
大事なことなのに、生き残ったのがどちらなのかに気を取られているうちに頭からすっかり抜け落ちていた。もう少し考察をつづけよう。

5分遅れの世界に生きるということ
時計を5分進めている人は多いと思うが、5分遅らせておくという行為は珍しい。
良の彼女は「得する」という理由で時計を5分遅らせ、世界に追いつける程度の5分だけ遅れた世界を楽しんでいた。
だが、刻む時間が世界とちがうということは、世間と関わりたくないということではないだろうか。正確な時を生きる世界の人とずれていて交わることはないが、それでかまわない。自分は自分の時間を生きる。
そんな感性の彼女を失くした良が、いつまでも5分遅れの世界で生きているのは理解できる。
世界から取り残されていい。いや、むしろ取り残されたい。そのうえだれも知らない異国の地でひっそりと暮らす。孤独なうえの孤独。親しい人も交わる世間もない。古い街の片隅の小さな時計店で時計を修理し、電動バイクで公営プールへ行き、泳ぐ。ただそれだけを繰り返す毎日。
老店主以外に言葉を交わす人もいない。楽しいことも新しいこともなんにもない。
彼女が忘れられないのかの問いに「どうかなあ… 」と返す良。自分でもわからない。だがなにも変わりはしない。

そんな良に突然起こった出来事だった。

好きになった女性に前の彼女の習慣だった5分遅れの時計を贈る。これは前の彼女の代わりになってほしいという身勝手な行為なんかでは無論ない。
ルオランが「いいの?」と聞いたとき、良は「うん」と慈しむような声と表情で応えている。
「君に僕の時間の中で一緒にいてほしいんだ」
そう、これは究極の愛の告白だ。
だからルオランも大事そうにその時計に触れている。
そして、
「5分遅れの時間を生きることでルーメイとは別の世界にいられる」
そう言ったのはルオラン本人だった。
しかし、ルオランは旅先でそれに疑問を感じる。
ルーメイになりたいという気持ちが消えたとき、自分は自分として今を生きようと思った。モーリシャスで世界はすばらしいと感じたのかもしれない。良に手紙を書き、腕時計の針を5分進めて世界に合わせた。
「次に会うときは今を生きてみたい。5分前でも5分後でもない今を」というルオランのことばを「前の彼女との5分遅れた世界から抜け出して、ともに今を生きてほしい」と良は解釈しただろう。

5分遅れの世界にひとり取り残された良。そこから救い出せたはずのルオランの死によって、良の世界は5分遅れたままだ。しかし、ルオランは死の前に腕時計を正確な時に合わせていた。そして、その時計をルーメイが良のもとに届ける。
午前零時を指す腕時計を見て、良はなにを感じ、だれを思ったのだろうか。

双子の入れ代わりと自我
「双子が入れ代わっているうちに自我の境界があいまいになる」というのは本当にあるのだろうか。
自我という概念はむずかしい。だがこの場合は、自分がルオランなのかルーメイなのかわからなくなるということだろう。
しかし自分がどちらだかわからないなら、ルオランがルーメイのことであれほど悩むだろうか。ルーメイがルオランに嫉妬するだろうか。
たとえそういう現象が本当にあるとしても、生き残ったのがルオランかルーメイなのかどちらかわからない、というこの状況の答えをそこにもっていきたくない。
自分がどちらなのかわからなくなってしまう話だとしたら、どういう展開も解釈も可能なわけで、どんな荒唐無稽な話にでもなってしまう。これはそういう話ではないと思いたい。
まして、ルオランが本当にルーメイになってしまうという狂気と混乱を描きたいのなら、もっと別のストーリーになるのではないだろうか。
 
だが記憶が混ざってしまうということはあるだろう。やってもいないことをやったと言われつづければ、そう思い込んでしまうかもしれない。それは双子でなくても起こり得ることだが、相似形の双子であれば、起きる確率はさらにグッと高くなるだろう。

「私はだれなんだろう」というのは、「ルオランなのかルーメイなのかどちらなんだろう」という問いではなく、「私とはいったい何者なんだろう」と自身に問うていることばだろう。
自我が混ざってしまい自分がどちらなのかわからないという意味ではなく、自我の確立としての悩みととらえたい。
「私の選ぶ人生はいつも彼女に奪われる。そのたびに私は私でなくなっていく」
私とはなんなのかに悩むルオラン。
同じ顔をしているのにルーメイと自分は全然ちがう。自分が先に演技に興味を持った。ティエンルンと最初に会ったのも自分だ。それなのに、なぜルーメイはすべてを持っていて自分にはないのか。
親でさえ混乱するほど似ているルオランとルーメイがちがう人間であるという根拠。同じ顔をした2人が別物である根拠とはいったいなんなのだろう。
それはルーメイにとってもまったく同じこと。
双子における自我の確立は難問である。

       ♦

個人的な話だが、ずっとピアスに憧れていた。ピアスをしている人がすごく羨ましかった。かなりの年齢になって穴をあけた。うれしかった。だがあるとき、ピアスをした自分を自分は直接見ることができないっていう重大なことに気がついた。鏡を覗いたときしか見ることができない。
普段、自分の顔のことは意識していない。鏡をじっくり見る習慣もないからどんな顔だったかなんて意識するのは、他人からなにか言われたときくらいだ。双子も、他人が似てる似てると言うから似ていると意識するようになるんじゃないか。それが自分の内側にどんどんと積もっていく。
自我は他人が作るというのはそういうことなんじゃないか、なんて思っている。
       ♦

深い悩みにとらわれていたルオランだが、良といることで徐々に変わっていく。剥奪されたアイデンティティを再び積み上げ、自分の時を刻み始める。事故後のルーメイの悩みも、「私はルオラン、ルーメイどちらなんだろう」ではなく、自分はルーメイなのに周囲がルーメイと認めてくれないからだろう。
では事故後、「私」をめぐる混乱はなぜ起きているのか。
ルーメイがルオランのように見えてしまうのはなぜだろう。

双子の姉が事故で亡くなった。そんな状況下で精神的に混乱するのは当然だろう。快活さが影を潜めても無理はないと思う。
さらに相似形の姉妹は、鏡に映ったように目の前にもうひとりがいるから自分を認識できていたのだが、それが自分ひとりになってしまった。もともと性格もそれほどちがうわけではない。ルオランはおとなしくルーメイは快活と言われているが、対比する相手がいなくなってしまっては、それも顕著には表面化しない。
ルオランがいるからルーメイだった。そしてなにより、ルーメイはルオランに憧れていたのである。
分身を失くしたことの喪失感、相方がいなくなったことの不安定さ、さらにティエンルンからのプレッシャー。
他人が認めるから自分は自分でいられたのに、それが崩壊した。

そんなルーメイも、良といることでアイデンティティを再び作り上げ、新たな時を刻み始める。

「時」を修復する人
双子の妹の人生に嫉妬し自分の時間を生きられなくなっていたルオランの心を癒し、愛する人から疑われ自分が自分であるという確信を持てずに今という時を失ってしまったルーメイを闇から救った。
ルオランとルーメイそれぞれの時を修復し、それぞれに時を与えた良。
そして、その2人から5分遅れではない時を贈られた良もまた、今を取り戻し、これから今を生きていくのだろう。

5分遅れの世界を楽しんでいた昔の彼女。5分遅れた世界から抜け出そうとしたルオラン。
良にとって「真夜中の五分前」とは失った2人を想い、2人と繋がることのできるかけがえのない時間なのだろうか。
今日が終わり明日が来る前の不安定な時間。喪失と希望が交じりあったあいまいな時を経てやってきた「午前零時」。
そのとき振り向いた目の前の彼女がどちらであると思うのか、良の心の中はわからない。
だがそれでいい。
どちらであったとしても良は受け入れるのだから。その深い愛で、目の前の彼女をやさしくそっと包み込むのだから。
そして観ている私は、5分遅れではない今を生きたいというルオランの最後の気持ちを、その腕時計を届けるという行為でルーメイが良に伝えたのだという解釈で、この長い旅を締めくくろうと思う。

新たな今日をともに迎えたルーメイと良が、この世界のどこかで一緒に幸せに暮らしていてほしいと、ただただそう願う。心から。

価値はおまえさんが決めるんだ
老店主のことばに、修理の手を止めた良がゆっくりと顔をあげる。
                             〈つづく〉

<春馬くん応援宣言>
春馬くんのこれまでの旅路とこれからの長い旅を応援していこう
まだ会っていない人が春馬くんと出会えるよう
世の中が春馬くんを忘れてしまわぬよう
そのきっかけとなれるように祈りを込めて

@マンゴの“ちょいと深掘り”-三浦春馬出演作品を観る⑩
『真夜中の五分前』第3回 価値はおまえさんが決めるんだ
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