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『真夜中の五分前』                            第1回 謎解きではない?!

  ー深掘り考察記事です
  ーおもいきりネタバレしますのでご注意ください


わかった!

と思った。つくり手の意図は読み取ったぞ、と。
ティエンルンがルーメイと間違えて自分に服を手渡したとき、ルオランは確信したはずだ。
彼が気づかないのなら自分がルーメイになればいい。そうすれば彼女に奪われてきた人生を取り戻すことができる。

——旅行先でルーメイは帰らぬ人になった。ルーメイになり代わってティエンルンと結婚し、女優としても活躍する。長い間抑え込まれてきたルオランの夢はかなったのだ。
だがそれもつかの間、ルーメイではないと疑ったティエンルンは去っていってしまった。それでも良は見捨てずにやさしくしてくれる。でも、そんな良を騙しつづけるのはとてもつらい。再びモーリシャスへ行き、置いてきた自分を取り戻そう。
ロザリオをマリア様のもとに返し、良から贈られた腕時計を持ち帰る。
午前零時の鐘が鳴り、生まれ変わったルオランが振り向く——

どのシーンも、生き残ったのはルオランであることを示していると感じた。
服を選ぶ場面と試写を観ていないという箇所はよくわからなかったが、あとで考えればすぐに解明できると思っていた。

映画『真夜中の五分前』を初めて観たとき思ったのはこうであった。

観る前からあらすじは知っている。「生き残ったのはどちらなのか」が話題であることも知っていた。
だから初めて観るというのに、そのことばかりに気を取られていた。どっちなんだろう、ヒントはどこなんだろう。
そしてわかった。生き残ったのはルオランだ。ルオランの哀しさが憎しみとなり、ルーメイの人生と入れ代わることを選択したのだ。
理解できなかった場面は重要ポイントだろうから、落ち着いて考えよう。
きっとこれもルオランであることを示しているはずだ。そう決めてかかっていた。
ところが…

ルオランなら、「俺が買ったろ?」とティエンルンに聞かれたとき積極的に肯定すればいいじゃないか。その服をもらったのは自分なのだから。はっきり答えれば疑われることもないのに、なぜあんな返事の仕方をするのだろう。
あの服を持っているのだから彼女はルオランなのだと思ったのだが、ちがうのだろうか。
試写を観ていないと言った場面もそうだ。
ルーメイのふりをしているルオランなら、観ていなくても話を合わせばすむことではないか。あのやり取りではルオランである証明にはならないし、かといってルーメイだとも言えない。
どちらの場面も、ティエンルンの中でルーメイに対する疑惑が確かなものとなってしまっただけである。
そして「お義父さん。彼女はルーメイではなくルオランでは?」とティエンルンに尋ねられ、目の前にいるのがルーメイだと思えなくなった父親の戸惑いと、あの赤い服を2人ともが持っているという事実だけがはっきりと提示されたのだった。

ちがうのか?
生き残ったのはルオランだと証明するはずだった場面が2つとも崩れてしまった。では、ほかの箇所はどうなのかと気になり、もう一度、全体を慎重に観てみた。
すると、あんなに確信があったシーンなのに、なんとどちらにも受け取れるように撮られている感じがしてきたではないか。

再訪したモーリシャスの教会で、ロザリオと腕時計を取り替える場面のことだ。
これはルオランしか知らないはずだから、再び取り替えて時計を良に返したのはルオラン以外あり得ないと思っていた。
だが観なおしてみると、祭壇の前でなにかをしているルオランを、少し離れた場所からではあるがルーメイは見ていたのだ。
足早に教会から出て行こうとするルオランを、不思議そうに目で追うルーメイの顔がはっきり映っている。
なぜ見落としたのだろう。
祭壇から先に離れていってしまったから、ルーメイはルオランの行動を見ていないと脳が勝手に判断したのだろうか。教会内にひとり座っている老婆がなんだかあやしいと気になっていたからだろうか。
生き残ったのはルオランだと確信した重要なシーンだったのに。

ティエンルンにもらった赤い服を着て良と会っているのも本当にルオランなのだろうか。微妙な表情を読み取ることができない。
なんだか不思議なシーンだと思っていたのだけれど、もしかしたら、ときどき入れ代わればいいじゃないと言っていたルーメイなのかもしれない。
だって2人は同じ服を持っているのだから。

どちらでもあり得る、どちらとも言えないっていうのは、いったいどういうことなんだろう。
これではどちらが生き残ったのかを推測するのは無理じゃないか。提示されていないのだから、いくら探しても答えは見つからない。
謎解きの話ではないのだろう。推理することがこの映画の目的ではないということか。ではどうすればいい? 

そうか! 結末は観る人にゆだねられているという意味はこれなのか。自分で決めろということか。
だったらまずは2人の気持ちになってみよう。そうすれば見えてくるかもしれない。いや、そうしなければこの映画の魅力はわからないのではないか。
事実、謎解きにばかり気を取られていた1、2回目の鑑賞ではそれほど面白さを感じられず、ここ数か月はまっていた『東京公園』のほうがいいなあと思っていた。
しかし、謎解きの目で見るのをやめてみたら、映画が急にイキイキとしてきた。ティエンルンと同じように、つい疑いの目で見てしまっていたせいかもしれない。

答えは見つからないとしても自分なりに納得のいく道筋を探したい。そう、このとき思った。

ルオランか、ルーメイか
生き残ったのはルオランだとしよう。
ティエンルンにもらった服を着て良に会いに行った。あなたの知っているルオランはいなくなります。
良には魅かれていたが、ルーメイになりたい気持ちのほうが強くなった。
事故のあと、ルーメイの人生を歩むことを選んだ。最初はうまくいっていたが、次第にティエンルンは私を疑い始める。ルーメイから聞いた話を懸命にして疑いを晴らそうとしたけれど、ティエンルンの心はもうすっかり離れてしまった。
ティエンルンが去り、頼れるのは良だけだった。良には本当のことを告げるべきなのか。でも言えない。良の前でもルーメイでありつづけなければならない。ロザリオの話もプールで溺れたのもすべてが演技。私は女優。だからやり通した。
だが、その良も迷い始めたのかもしれない。私はどうすればいい? 
老店主の手から落ちた詩集を読んで気がつく。
そうだ、本当の自分に戻ってやり直そう。自分で選んだ道だったが、やはり間違っていた。
再び訪れたモーリシャス。ルーメイになるための小道具にしたロザリオを祭壇に返し、腕時計を再び手にする。
マリア様、お許しください。私は私に戻りたいのです。良、ごめんなさい、私はルオランです。あなたがくれた時計と一緒に戻りました。そして5分遅れではない今を、新しい私と一緒に生きてくれないでしょうか。
生き残ったのがルオランなら、こんなストーリーになるのだろうか。

生き残ったのがルーメイならどうだろう。
お互いを強く意識して生きてきた双子の姉が亡くなったことは大きなショックだろう。明るさが消えてしまっても不思議ではない。
本来ならティエンルンがそれを癒すべきなのに、彼は始終ルーメイを疑っていた。心が不安定になっても無理はない。
自分はだれなのだろう。だれかにルーメイだと認めてほしかった。だからティエンルンが去ったとき良に救いを求めた。良はやさしかった。ルーメイと呼んでくれた。
だが、その良も私をルオランだと思い始めたのだろうか。心が揺れて仕方がない。
「お前はお前のままであろうと努めよ」
ペソアの詩のことばにハッとした。
そうだ、2人の運命を分けたモーリシャスで自分を取り戻そう。私は私なのだ。ルオランの謎の行動の意味もわかるかもしれない。
再び祭壇の前に立つと腕時計が置かれている。ルオランが時計のかわりにロザリオを手にしたのだと気がついた。
命を助けてくれたロザリオをマリア様のもとに返し、ルオランの時計を良に戻さなければ。
真夜中、その腕時計を良の机の上にそっと置く。
私はルーメイ。けれど以前のルーメイではありません。ルオランの魂と一緒です。ティエンルンはそれが許せないと言います。良、それでもあなたは私をルーメイと呼んでくれますか。

どちらでもいい?!
生き残ったのがどちらだとしても話は成立してしまう。推理劇なら証拠があって謎を解明するものだが、どうやら監督は本気でそれをやらないつもりらしい。
本当にどちらでもいいのか?
だが、そうは言ってもやはりどちらかではあるはずだ。もう一度、心の中を深く探ってみよう。どちらに共感できるか、自分の気持ちにしっくりくるのはどちらかを見極めるために。

ルーメイになるという決意をルオランが旅行前にしていたのなら、自ら手を下したという可能性がないわけではない。溺れているルーメイを積極的には助けなかったということもあり得るだろう。
そうではなく、たまたま生き残ったのかもしれない。それが運命のいたずらなら、前から望んでいたようにルーメイになり切ろう。ルオランはそう決心したのか。
双子の妹を羨み、妬み、できるなら人生を代わりたいという思いは理解できなくはない。それに向けて強く一歩を踏み出し、長い間の夢をとうとうかなえることができた。幸せな日々だった。
ティエンルンとうまくいっているならそれでいい。そのまま生きていけばいい。それが嘘でできた人生であったとしても。
だがそうはいかなかった。
ティエンルンとの関係が壊れてしまったあと、ルオランがルーメイでいるためには、良の前でもルーメイのふりをしていなければならない。プールで溺れたのも、良との会話や涙でさえも演技、いや嘘だということになる。
一度は魅かれた良を騙しつづけるのは哀しすぎる。

そして生き残ったのがルオランならば、良との関係が元に戻ってほしいと心情的にはそう願う。だから「5分遅れではない今を新しい私と一緒に生きてくれないでしょうか」とルオランには言わせたいのだ。
しかし、やはりそれは無理ではないか。
良ではなくティエンルンを選び、ルーメイのふりをしていたルオランが良に時計を返すとしたら、残念だがそれは別れを意味するのだと思う。
「5分遅れではない今を生きたい」という手紙のことば通りにルオランが生きていくというならそれでいい。だが、そのときそこに良はいないだろう。
生き残ったのがルオランだとしても良の元へはもう戻れない。                                                                                                                                                                  〈つづく〉

作品情報
真夜中の五分前/Five Minutes to Tomorrow
2014年製作/129分/日本、中国合作
劇場公開日:2014年10月23日(木)中国公開
      2014年12月27日(月)日本公開 
配給:東映
原作:本多孝好『真夜中の五分前
          five minutes to tomorrow(side-A、side-B)』(新潮文庫刊)
脚本:堀泉 杏
監督:行定 勲

この頃の春馬くん🐴】
2013年6月20日:ドラマ『ラスト♡シンデレラ』最終回放送
            9月7日:『キャプテンハーロック』劇場公開
            11~12月:『真夜中の五分前』撮影(上海)
            12月21日:『永遠の0』劇場公開
2014 年1月8日:ドラマ『僕のいた時間』第1回放送
            5~8月:『進撃の巨人』撮影
        10月、12月:『真夜中の五分前』劇場公開(中国、日本)           

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『真夜中の五分前』第1回 謎解きではない?!
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