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#作家になった流れ 《改》

今月はnoteに何書こうかなーと思っていたので、最近トレンドになっていたこれでも。多分noteを始めたばかりの頃(=デビューしたての頃)にも軽く書いてるんだけど、7年も経ってるので改めて。これまでに書いたnoteの記事もアーカイブ的にちょいちょい挟みます。


《1》小説を書き始めた中1

小学生の頃はずっと漫画を描いていたんだけど、なぜかずっと動物ばかり描いていて、「本当はセーラームーンみたいなお話が書きたいのに!」と思って人間を描いたところ、練習もしていないのであまりに描けず。そこで読書もずっと好きだったので、小説を書き始めました。自分で何か作りたかったのかもしれない。
初めて書いたのは学校の七不思議が舞台で、中学生がトイレの花子さんと友だちになって不思議な謎を解決していく、みたいな話。

《2》中学~大学時代

学業と部活優先で、年に数作各程度。中高時代は手書きで、中学時代に書いたのは3作、高校時代に書いたのは4作。大学時代にはパソコンで800枚越えの鈍器みたいな大作を書く。賞には応募せず友人に見せるのみ。

《3》就職、会社員時代

IT企業で会社員ライターになる。年に1作書き散らかす程度。書きたい気持ちはあったけど、プロットも作れず書き方がわからず、ストーリーと呼べないレベルのものを書いてた。なのに根拠のない自信だけはあって、「数年で新人賞とってビッグになって会社辞めよう」とか思ってた。25歳まで、たまに書いて応募して一次落ちをくり返し、徐々に現実を知る。
なお、この頃は純文学中心に書いてた。

《4》一念発起した25歳

四捨五入したら30歳になった頃、「このまま死ぬのやだなぁ」と思って一念発起。小説講座を受講し、新人賞に本格的に送るように。純文学は一次落ちが続くので、途中で読むのが好きだったYAの方向に舵を切ったところ一次通過をするように。

《5》会社を辞める

色々あって三十路目前で会社を辞めることに。このあたりに考えてたことは以下↓

《6》ライターやったり校正者やったり

退職後、知人の紹介でライター業をやったり、派遣で校正者をやったり。会社を辞める前からフリーランスの交流会に行ってたのはとても大きかった。あと校正の仕事は小説とは別ベクトルで本当に好きな仕事なので、勉強したのもよかったし、今も副業的にやれているのはとてもありがたい。
この間に色々やった話はこちら↓

《7》8年経過、公募回数100回越えた頃に出版社と縁ができる

わけわからないくらい書いて送って落選してをくり返すうちに8年が経過。100回落選した頃には小説家になれる人生は来るのだろうかと遠い目になっていたけど、108回を越えた頃、2016年に電撃小説大賞の拾い上げ&新人賞受賞。ただし、拾い上げ作品&受賞作はどちらも書籍化ならず

《8》本が出るまでさらに1年半

芽が出なかった8年も本当にしんどかったけど、この1年半が自分的には人生で一番辛かった。お世話になった人にいい報告をした直後に書籍化ならずが決まって企画の出し直し。全ボツ喰らったり10万字越えの原稿を何度も全書き直ししたりで体調もメンタルも崩したけど、なんとか食らいついて刊行できたのが2017年のデビュー作『スピンガール!』。
さらに、2年かかった2作目が『この声とどけ!』の1巻。
公募に100回応募したあとの話はこちらにも↓

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改めてふり返ると、本当にうまくいかなかったこと、ここには書けない辛いこともたくさんあり。そういう経緯もあり、デビュー前後数年はどうにかなれた小説家をどうにか続けるためにはどうしたらいいかを、そりゃもうむちゃくちゃ考えたわけでして。
ひとまず5年を目標に色々やりました。詳細↓

今年はありがたいことに千葉市の賞と児童福祉文化賞の2ついただいたので、たまに「順調ですね」とか声をかけていただくこともあるのですが。
ここに至るまでがもう全然順調じゃない。
うまくやれている諸先輩方は本当にたくさんいらっしゃるわけで。ほかに取れる方法もなかったので数(冊数)で勝負するしかないと決意し、がんばってたくさん企画を作ってたくさん書いてきて、それがようやくちょっと芽を出してきたのかもしれないくらいの感覚でいます。

あと新人の頃はやりたくてもやれないことがたくさんあったので、仕事の幅が広がってきてようやく少し自由を手に入れた感覚もあり。ここからが本当の勝負かもなという気もしてます。色んな作品を書きたいです。

そんなわけで、初心忘れずで引き続き精進します🐰
新規のお仕事のご相談もぜひ。短編もいつでもウェルカムです。


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