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公募に100回以上挑戦しながらやったこと

私のnote、一番読まれていて今でも毎日のように読まれているのが公募に100回挑戦したという記事。

どうしたら公募に引っかかるのかわからなくて、運を引き寄せるために応募しまくってたというのが実情なのですが。だからといって、ただひたすら書いてただけではなかったのですよと思ったりもしたので、それについて書いてみます。

◆出版社と縁ができるまでにかかった期間

本格的に公募に挑戦するようになり、出版社と縁ができるまでかかった期間は約8年です(そこからデビュー作が出るまではさらに1年半)。

なお、当時私はIT企業でライター職に就いていました。ので、社内教育や資格の取得、自主的にやっていた勉強により、文章の基礎はできていました。

◆小説の講座を受講した

公募がんばろうと決意して、まず通信添削講座を受講しました。結果的に2種類の講座を受講しました。

一つ目は某雑誌で募集していた通信講座。テキストは役に立ったものの、添削が超甘口(何を送っても褒めてくれる)でした。期間は大体半年くらい。

そこで、二つ目はネットで添削が辛口なところを探して受講しました。こちらは通信添削のほかスクーリングもあって、計3年間受講しました。
純文学寄りの講座でしたが、ここで小説の基礎を学べた気がします。あと、課題のおかげで短篇が書けるようになりました。
そのときにできた創作仲間とは今でも繋がっています。

◆異業種交流会に行きまくった

前述の小説講座の人の繋がりで、異業種交流会に行くようになりました。

小説を書いている人は多くありませんでしたが、このときにフリーライター、アーティスト、イラストレーターなどの知り合いができ、今でも繋がってます。会社員をしているときには接点のなかった職種の人たちとたくさん知り合えて、本当に刺激になりました。

当時勤めていた会社がわりと堅い雰囲気のところだったのですが、このおかげで会社を辞めても意外と生きていけるんだなと思えたのは大きかったかもしれません。
もちろんフリーランスはフリーランスで大変なんですが、みんな自分の仕事の話をしているとき楽しそうだったんですよね。そういうのいいなって強く思いました。

あと、小説家になりたいという夢を語ってもバカにされない空気があって、それもすごくよかったです。こういう場でちゃんと「小説を書くのが仕事だ」と胸をはれるようになれたらいいなと思いました。

◆クリエイターグループに入った

これまた友人の紹介で、WCGというクリエイターグループに入りました。今でも入っていてもう7年目ですね。

何をしているかというと、各自ミーティングに参加して企画書などを持ち寄り、参加者みんなで意見を出し合います。私はここに公募用のプロットを持っていってました。

小説を書いている人もいますが、シナリオやマンガ寄りのクリエイターの方が多かったので、小説書きとは異なる視点でもらえる意見がとても参考になりました。前述の講座が純文学寄りだったので、エンタメとしてどうするかはこの場ですごく考えるようになりました。

それに加え、ここでもクリエイター仲間がたくさんできました。みんなそれぞれのフィールドですごくがんばっているので、とっても刺激になります。

◆シナリオの学校に通った

シナリオ関係の知り合いが増えたことにより、シナリオの勉強をしてみるのもいいのではないかと思って1年ほど通いました。
いわゆるハリウッド式などの基礎を学んだ感じです。エンタメをやるなら、物語の構造を知っておくのは大事なことじゃないかなと思ったのです。

ここの学校自体はやる気があれば何年も所属できるのですが、一番下のコース終了と共に終わりにしました。私は小説で地の文を書くのがとても好きなので、物語の基礎を学ぶにはよかったものの、シナリオを書くこと自体にはそんなに惹かれなかったのですね。シナリオは会話主体なので。

◆校正の勉強をした

もともと会社員時代から校正の作業が好きだったので、日帰り講座を受けたりして勉強し、去年まではそれで派遣の仕事もしてました。

校正は物語作りには直接関係ありませんが、それでも文章を扱う以上、小説にむちゃくちゃ役立ちます。語彙も増えます。勉強すればするほど原稿が読みやすく綺麗になります。

デビュー後の話になるので余談ですが、昨年、通信講座で校正の資格を取りました。本そのものやゲラなどの知識も増え、原稿指定が自分でできるようになるのでこだわりたい人には本当にお役立ちです。

◆そして、やれてなかったこと

そのほか、ここに書いたこと以外にも色々やってきたのですが。こうふり返って思ったのが、色々勉強などした反面、もっと新人賞の研究をすればよかったのでは……?ですね。

もちろん本命の賞は過去の受賞作を読んだりとかしてましたが、なんというか、レーベルカラーを考えるとか、受賞するための戦略を練ることがあまりできてなかった気がします。
賞にハマりそう(と自分が考える)題材で、書きたいものを書いてたなーと(そして私の好きな題材は基本的にニッチ)。
その一方で、とにかく小説を書くスキルを底上げするしかないと考えてました。勉強することで、できることはやった気になってた面もあったのかもしれません。

当時は自分なりに色々考えて書いてはいましたが、SFの受賞作が過去にない新人賞にSFを送り続けるようなことをたくさんしていたのかなと今になると思います。
少ない公募回数でデビューした作家さんの話を聞くと、皆さん賞の研究や分析を結構されてて、自分にはそれが致命的に足りてなかった気がします。

小説って本来自由なものなのですけど、新人賞=商業、商品として売るための作品となるとやっぱりそうも言ってられない面があるんだよなと、商業の世界に入ってから実感としてわかるようになりました。
特にエンタメで顕著ですが、ジャンル不問って書いてあっても実際問題、そのレーベルで売りやすい・売りにくいジャンルってやっぱりあるんですよ。それを覆すほど斬新で面白い原稿ならジャンル不問になるっていうだけなのです。
そして私の作風は地味だ。

とはいえ勉強したことはもちろん無駄ではなく、今めっちゃ役立ってます。
テキストを読んだときにいまいちピンと来なかったことが、デビュー後に編集さんに自作を例にとって言われて「このことだったのか!」と思うこと多々。なんというか、一つ上のステージに行って初めて理解できたり応用できたりすることってたくさんあるんだなと思いました。

あと上記で商業は自由じゃないような書き方をしてますけど、それももちろんケースバイケースで。先方の求めているものと自分のやりたいものが合致すれば、それはもちろんやりたいことになるわけです。楽しくたくさん書いていきたいですね。


そんなわけで、100回公募していたときの裏の話でした。

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