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短編小説:もういない君の手を握る(1/3)

YA小説を書いてみよう部2018作品集『ハイブイン』向けに3年前に書き下ろした作品の再掲です。

《あらすじ》
文化祭に向けてバンドの練習をしていたある日、メンバーの優の様子がおかしいことに岬は気がついた。優はダメな自分を「廃部員回収部」で修理してもらったと言いだして……。(約1万字、3分割掲載)

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 夏休みも後半のその日の午前中。私たちのいつもの練習場所、被服室に現れた優(ゆう)は、その登場からしてどこかおかしかった。

「おはよう! ――あ、岬(みさき)ちゃん、そのヘアクリップいいね。青い色がよく似合っててかわいい!」

 挨拶が無駄に明るく元気よくおまけに爽やかだったのは、まぁ目をつむろう。この上なく上機嫌なだけだと思えないこともない。

 が、それにさらりと続いた「かわいい」は見過ごせなかった。

 優が女子を真正面から褒めることに比べたら、真夏に大雪警報が出たと言われた方がまだ信じられる。
だって、あの優なのに!
 女子と話すだけで顔を赤くしてしまう、同じバンドの私と話すときですらいまだに挙動不審になりがちな、あの優なのに!

 呆然とした私に邪気のない笑顔を向け、優は背負ったエレキギターを手近な机に置く。色の明るい猫っ毛には、いくら目を凝らしてもお決まりの寝癖が一つもなかった。
 そして女子がうらやむような色白の肌とまつげの長い丸い目の顔には、その優しさがにじみ出たようないつものやわらかい雰囲気はなく、目力の強いキリッとした表情が浮かんでいる。
 あと……そう、いつもは寝癖があっても制服を着崩したりなんてしないのに。半袖の学生シャツの一番上のボタンを開けて下に着た緑のTシャツを覗かせ、ズボンには白と青のベルトと革紐のアクセサリー。
 これじゃ、ちょっとしたおしゃれさんじゃないか!

 観察する私を気にした様子もなく、優は持っていたアンプとシールドを手早く準備する。アンプっていうのはエレキギターの音を出すスピーカーみたいなもので、シールドと呼ばれるコードでつなぐのだけど、このシールドが絡まって解くのに何分もかかる不器用さんがいつもの優だ。
 なのに、今日はマジックショーで「3、2、1、ハイ! ヒモが解けました!」と言いたくなるくらい、するりとシールドを伸ばしてみせた。

 何かがおかしい。絶対おかしい。

 私が拭いようのない違和感に固まっていると、被服室のドアが開いて今度はエレキベースを背負った伊月(いづき)が現れた。
 伊月は伸びた前髪をピンク色のゴムで一つにしばり、学生シャツの襟ボタンを二つも開けて裾をだらしなくズボンから出して、挨拶代わりに大きな欠伸を一つする。黒縁メガネの目は眠そうでまぶたが半分下がっている。

「夜更かしでもしたの?」

 違和感の塊になった優から一旦思考を切り離すように、私は伊月に声をかけた。

「波田(はだ)センセーのこと考えてたら眠れなくなっちゃってさー」

 身長一七五センチ越えの男子高生である伊月は、途端に乙女の顔になる。
 波田先生はプログラミング部の顧問と剣道部の副顧問をかけ持ちしている日本史担当の男性教師だ。二十八歳独身で血液型はA型、身長一八〇センチ越えの超イケメン(伊月評)である。

 はいはいはい、とここで私が呆れた顔をするのがいつものパターンなんだけど、今日はそんな私を優が先回りした。

「波田先生カッコいいもんね」

 伊月がいくら「波田先生カッコいいだろ?」と同意を求めても、色恋沙汰に奥手な優はいつもなら反応に困るだけで伊月に軽々しく同調したりしない。
 伊月の乙女顔が即座に真顔に変わって私を向いた。

「優、どうかしたの?」

 優に違和感を抱いたのが自分だけでないという事実にホッとしたものの、もちろん何も解決していない。が、とにもかくにも練習を始めることにした。

 私たち三人は軽音部のスリーピースバンド《トライアングル》のメンバーで、いつもここ被服室を拠点に練習している。今の目標は十月に行なわれる我が紅槻高校の文化祭、槻の木祭のステージだ。

「ウォーミングアップに一曲通してみる?」

 伊月の言葉に頷き、「Startingやろうか」と私は答えた。
 正式な曲のタイトルは『Starting over and over and over』。伊月が作曲した曲に私が歌詞をつけた。
 何度だってやり直す、そんな想いを込めた歌だ。

 槻の木祭のステージで演奏するのは三曲。本当は三十分は演奏したかったけど、軽音部には十以上のバンドがあり、一バンドあたりの持ち時間は多くない。
 おまけに春の合同ライブでやらかした私たちなので、十五分を確保するのがやっとだったのだ。

 私はマイクスタンドの前に立ち、優と伊月はそれぞれの楽器を構える。もともと小柄で伊月よりも十センチ近く背の低い優は、ギターを構えるとつい背を丸め気味になって余計に小さく見えるのが常だった。
 が、今日は胸をはってまっすぐに立ち堂々と前を向いていて、私よりも背が高い男子なのだと再認識させられる。

 三人で目配せし合い、伊月が踵を潰した上履きでリズムを取ってカウントを始める。

「――スリー、ツー、ワン、」

 声には出さない「ゼロ!」のタイミングでギターとベースの前奏が始まる。伊月の安定した低音のリズムに、優の慎重で丁寧な和音が乗っかる――

 はずだったのに。

 ピックをつまんで弦をはじく優の手が、見たこともない速さで動いた。

 即興で奏でられた複雑なギターの旋律に被服室の空気は一変し、一瞬どこかのライブハウスに迷い込んだのかと錯覚する。
 優は複雑なフレーズを弾きこなすに飽き足らず、頭や身体を動かして全身でリズムを刻み、まるでプロのパフォーマンスを観ているようだ。

 私はあんぐりと開けた口を塞ぐことができず、同じく狐につままれたような顔の伊月も弦をはじいていた手を止める。
 一人でソロプレイを続けるわけにもいかず、やがて優も困惑顔でギターをやめた。
 電子音の余韻はすぐに消え、ミシンやトルソーが壁際に並んだ被服室に沈黙が落ちる。

「二人ともどうしたの? 演奏しないの?」

 優の皮をかぶった目の前の誰かに、私は訊かずにはいられなかった。

「……あなた誰?」


 数秒の沈黙ののち、優はぷっと吹き出した。

「やだな岬ちゃん、何言ってるの?」

 その声は確かに知っている優のものだが、こんな風にハキハキしゃべるのは訊いたことがない。
 控えめで、つっかえがちで、でも丁寧に一語一語言葉を紡ぐのが優だ。

 私は咄嗟に優の姿をした誰かから距離を取って伊月のもとに駆け寄った。
 伊月はそんな私を背中にかばうようにして一歩前に出ると、その誰かに対峙する。

「君、もしかして優の双子の兄弟か何か?」

 伊月の声は冷静で、恐怖心は少し和らいだ。確かにそれなら説明がつく。歳の離れた姉しかいないと以前聞いていたけど。

「伊月まで何言ってるの? 岬ちゃんと同じクラスの二年三組、軽音部所属の三埜(みの)優だよ。もしかして、二人して僕のことからかってる?」

 笑いながら一歩前に出た優に思わずビクついてから、私は伊月の背中から顔を出す。

「わ、私が知ってる優は笑顔で私に『かわいい』とか言わないし。不器用であわあわしてて、しょうがないなーって感じで……」

 それでも腐ったりせずまじめで一生懸命で、自分のことをないがしろにするくらい優しくて、もっと自信を持てばいいのにと思わずにはいられない、それが優だ。

 なのに目の前の優は、なんというか〝デキる男〟だった。
 自信に満ちた身のこなしには無駄がなく、器用でギターも上手。言葉はハッキリして臆することがなく余裕すらある。

「岬ちゃんってば、僕のことそんな風に思ってたんだ。ひどいなー」

 優を名乗る彼は軽い口調で苦笑する。今度は伊月が口を開いた。

「少なくとも、俺の知ってる優はこんなにギター、うまくない。三日前は弾けなくて半泣きになってた」

 伊月の言葉に私もコクコク頷く。性格が変わっただけなら、何かの本を読んで影響されたとか説明されればまだ納得できる。

 でもギターは別だ。
 楽器は一朝一夕でうまくなるものじゃない。

 ましてや私は一年前、軽音部に入った頃から不器用な優がギターと格闘するように必死に練習してきたのを知っている。

 身がまえた私と伊月に、優は大きく息を吐き出した。

「二人が言うように、僕、ダメダメだったからさ。修理してもらったんだ」

「修理?」

「うん。廃部員回収部って知らない?」

 伊月と視線を交わし、揃って首をふる。

「特別校舎の一階の奥にはり紙があるんだ。『ご不要になった部員、回収いたします』ってね。訊いたら、部員の回収だけじゃなくて修理や交換もしてくれるっていうから、『僕を修理してください』って頼んでみた」

 私たちが練習拠点としている被服室をはじめ、音楽室や理科室といった特別教室が集められているのがこの特別校舎だ。一階には使われていない教室や倉庫、あとは美術室があるくらいで、美術の授業を選択していない私はほとんど行ったことがなかった。ここ被服室は二階だし、軽音部の部室は三階だ。

「で? 修理してもらったら、優はギターが上手になって人も変わったって?」

 半信半疑といった伊月の言葉を、そうだね、と優は笑顔で肯定する。

「……わけわかんねー」

 伊月は前髪のゴムを外して髪をかき回し、一方の私はまったく言葉が出てこない。

「どうしたら信じてもらえるかな?」

 優は口元に手を当てて少し思案したのち、名案を思いついたのか私に手招きする。

「岬ちゃん、ちょっと耳貸して?」

 得体の知れない優に近づくのはためらわれたが、結局おそるおそる近づいた。優は口に手を当てて中腰になるとそっと私に囁く。

「ウサギ柄のパンツ」

 ぎょっとして思わず飛び退く。

 今年の春休みのこと、私は軽音部の部室でブレザーの制服からジャージに着替えていたところを優に見られた。予定よりだいぶ早く部室に到着し、誰も来ないだろうと油断した私も悪かったのだけど。
 思わぬものを目にしてまっ赤になって慌てふためき、「ウサギ柄のパンツなんて見てないから!」と墓穴を掘った優を私は叩きのめし、誰にも話さないと誓わせた。

「優ってばサイテー! 絶対に誰にも話さない約束だったのに!」

「僕は誰にも話してないよ! わからないかな。僕が優なんだよ!」

 伊月に「何言われたの?」と心配そうに訊かれたのをなんでもないとごまかし、私は優に向き直る。

「……本当に、本当に優なの?」

「そうだよ。僕は修理してもらったんだ」

→続く


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