短編小説:もういない君の手を握る(2/3)
前編(1/3)はこちら。
-----------(続き)-----------
その日の昼休み、廊下の壁にもたれかかり、行き交う生徒をぼんやり眺めていた私の眼前に何かが差し出された。
「これ、波田先生が好きなんだよね」
イチゴ模様のビニールに包まれた三角形のキャンディを長い指でぶらぶらさせつつ、伊月が私を見下ろしている。今日は長い前髪をしばらず下ろしていた。
「じゃ、波田先生にあげなよ」
「さっきあげてきたところ」
受け取ったそれを放り込んだ途端、口の中は甘酸っぱくなった。
伊月は私の隣で壁にもたれかかり、「元気なさそうだけど元気?」と訊いてくる。
「質問おかしくない?」
「文化祭まであと少しなのに、岬が元気ないのは気になるっしょ」
「それはどうも」
「ま、どうせ優のことだろうけど」
素直に頷くのはなんだかシャクで、答える代わりにキャンディを奥歯で噛んだ。
二学期になって二週間が経っていた。
修理された優が元に戻ることはなく、当初はその変化に驚いていたクラスメイトや教師たちも、最終的には少し遅い高校デビューだとおおむね好意的に受け止めたようだった。
修理後の優は気遣いができトークも面白く、おまけに文武両道、ギターの腕はピカいち。
もともと童顔でかわいいと言われがちだったその顔は、立ち居ふる舞いが洗練され自信と余裕に満ちた表情が多くなった結果、一部の女子から「カッコいい」という評まで得た。
かくして今では休み時間になると女子に机を囲まれ黄色い声まで起こる始末で、見ていられなくなった私は廊下に退避してきたわけだ。
「不良になってグレたとか、そういう悪い方の変化じゃないんだしさ。これが今の優だって認めるしかないんじゃない?」
「認めるって……だってこんなのおかしいよ。私たちの知ってる優じゃないのに」
「俺、段々今の優にも慣れてきたよ。今の優だって優なんだしさ。思いつめてもしょうがないし、身体にもよくないよ」
伊月ならわかってくれると信じていただけにショックで言葉を失う。変なのは優なのに、これじゃ私が変みたいじゃないか。
何も言いたくなくて、口の中に残っていたキャンディをガリガリと噛み砕きながら心の内で決意する。
伊月がやらないなら私がやるしかない。
そうして放課後になり、ホームルームが終わってすぐに私は教室を飛び出した。
普通校舎二階の渡り廊下を抜け、階段を早足で下りて人気のない特別校舎の一階に降り立つ。すっかり息が上がってしまい、バクバクと音を立てる心臓が落ち着くまでその場で待った。
やがて呼吸が整い、私は前を向き胸をはって敵地を目指す。窓がないのか廊下の奥は闇に沈み果てが見えない。
恐がりでビビリな優が本当にこんなところを通って廃部員回収部とやらに行けたんだろうか――
ふいに何かが聞こえてきて足を止める。
校内放送の音楽、にしては聞き慣れない音だった。
丸くてかわいらしい……オルゴールの音? 『夕焼け小焼け』?
「――岬ちゃん!」
背後から急に腕を掴まれて悲鳴を上げ、思わずその場にしゃがみ込んでから顔を上げた。私の腕を掴んでいるのは優だった。
「……脅かさないでよ」
私はゆっくりと立ち上がった。優はまだ私の腕を掴んだままだ。
「何してるの?」
「それはこっちの台詞だよ。岬ちゃんが教室から飛び出てくからどうしたのかと思って……軽音部の部室は三階だよ」
「わかってるよ、そんなこと」
沈黙が落ちて二人とも数秒間動かなかったが、やがて優が折れたように嘆息した。
「廃部員回収部に行くつもり?」
身をよじって優の手から逃れようとしたが、優は私の腕を離してくれない。
「私がどこに行こうが勝手でしょ」
「行ってどうするの?」
聞きわけのない子どもに接するような声音で訊かれ、瞬間的にカッとした。
「優を元に戻してって頼むに決まってるじゃないっ!」
思わず叫ぶように言った直後、優の顔から表情が抜け落ちた。
冷たい目で私を見、やがて自嘲気味に笑う。
「岬ちゃんは、ダメな僕の方がよかったってこと? 岬ちゃんや伊月に迷惑かけてばかりでライブもめちゃくちゃにしちゃう、ダメでドジでどうしようもない僕の方がよかった?」
今年の春の軽音部の合同ライブのことだろう。
簡単に言うと、シールドに足を引っかけてすっ転んだ優が部のアンプを壊し、ライブイベントはその後ぐちゃぐちゃになった。
「あ、それともそんな僕を笑うのが好きだった?」
「なんでそんなこと言うの? 私、ダメだなんて思ったことないよ。優はいつも一生懸命だし、努力家で――」
『Starting over and over and over』の歌詞が脳裏でリフレインする。
〈失敗してもいい 前を向く君の姿が僕には眩しい〉
「そんなの、結局失敗するんじゃなんの価値もないよ」
怒りか悲しみか色んな感情が渦巻いて顔が熱くなり、今度こそ私は優の手をふり解く。
「優のことバカにしないで!」
廃部員回収部があるのとは反対、普通校舎の方に私は廊下を駆け戻り、そのまま階段を上って二階に到着したところで息切れしてへたり込んだ。
たったこれだけの距離なのに肩が上下するほど呼吸が乱れて立ち上がれず、壁にもたれて座り込んだものの優が追いかけてくることはなかった。
思い出したように『夕焼け小焼け』が耳に届き、脳内で流れていた『Starting over and over and over』のメロディはフェイドアウトしていった。
しばらくして昂ぶっていた感情と呼吸がようやく落ち着き、いつもの被服室に向かうとミシン台に腰かけた伊月がエレキベースの弦をはじいていた。
伊月は私の顔を見るなり何も言わずにイチゴ味のキャンディを投げて寄越し、私はそれを口に入れて噛み砕く。
少し遅れてエレキギターを持った優が現れ、私たちは言葉少なに練習を開始した。
何があっても、私たちは練習からは逃げないのだ。
→続く
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