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ともに生きていくのに、関係の名前なんて要らない 『大豆田とわ子と三人の元夫』【後編】

ドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』の感想【前編】はこちら。親友であるかごめが突然亡くなり、あっという間に1年が経過するまで。

かごめ(市川実日子さん)が亡くなって1年経っても、変わらず公園でラジオ体操をする大豆田とわ子(松たか子さん)。やっぱり周りと動きが合わない。そんなとき、とわ子同様、周りと動きが合わない男性が隣にいた。小鳥遊(オダギリジョーさん)だ。

とわ子は、かごめのことで心に傷を抱えたままだ。そりゃそうだ。30年来の友人が突然いなくなって、1年で「はいそうですか」って思える人は、そう多くはないだろう。

社長を務める会社・しろくまハウジングの買収騒ぎが持ち上がるなど、仕事の上で難題を抱えているけれど、かごめが見ているからと頑張っている。

かごめは生前、自分のことを「人が出来ることがちゃんとできない。会社に行って仕事することが出来ない。バイト先でも怒られてばかり」と語り、「山に囲まれているようで息苦しい」と言っていた。「とわ子は、社長が出来ているから自分と同じではない」というかごめの姿が、常に頭にあるのではないだろうか。

そんなとわ子を、3人の元夫たちはそれぞれ、心配する。とわ子の態度が目に見えてオカシイからだ。

三番目の夫・慎森(岡田将生さん)に対しては「今、僕のことどう思ってる」と訊かれて「心配してる」「ちゃんと食べてる?野菜もちゃんと食べないと」と返す。最初の夫・八作(松田龍平さん)には青汁を飲ませようとする。2人で青汁を飲んで苦い顔になる。

とわ子の態度から、別れた3人の夫に対する思いが透けて見える。
かごめのように、もし突然目の前からいなくなったら?
想像したら怖くなって、3人それぞれの体を気にかけ始めたに違いない。

元夫たちは元夫たちで、三人三様にとわ子を心配するのだけれど、上手く声をかけられない。

第二章その1:とわ子の傷を癒す人

公園で出会った、なんのしがらみもない小鳥遊に対しては、素直に思いを口に出せたのか、とわ子はかごめのことについて、「幼稚園のころに観たマジックショーを思い出した」と話しながら、彼に語る。

そのマジックショーで、手品師の人がハンカチを消したんですよ。
ほかの子たちはみんな普通にびっくりしてたんだけど、私は泣き出しちゃって。
消えて驚くより、あのハンカチどこにいっちゃたんだろう?
あのハンカチは今頃、ひとりで寂しくないのかな?
そう思ったら、涙とまらなくて。
同じなんです。あいつ、どこにいるんだろう。どこに行ったんだろう。
ひとりでどこ行っちゃったんだろう。
その時何を思ってたかな。自分で気づいてたのかな?

(中略)

電話がかかってきてたんです。
だけどわたし、その時別の人と一緒にいて、電話出なかったんです。
別の人と一緒にいたから、電話したくなかったんです。

なのに1年経って、ときどき忘れちゃってるときがあります。
へらへら笑ってて、あ、いまあいつのこと忘れちゃってた、って思いだして
またひとりにさせちゃった、って思います
誰にも話せないし、すごく孤独です。

こんなんだったら、そっちにいってあげたいよ、って思います。

この場面で、オダギリジョーさん演じる小鳥遊がとわ子にかける言葉が、すごく印象に残っている。

人には、やり残したことなんてないと思います。

(中略)

過去とか未来とか現在とか、どっかの誰かが勝手に決めたことだと思うんです。
時間って、別に過ぎていくものじゃなくて、場所っていうか、別のところにあるものだと思うんです。

人間は現在だけを生きてるんじゃない。5歳、10歳、20歳、30、40。その時その時を人は懸命に生きていて。それは別に過ぎ去ってしまったものなんかじゃなくて。

(中略)

人生って、小説や映画じゃないもの。幸せな結末も悲しい結末もやりのこしたこともない。あるのは、その人がどういう人だったかってことだけです。

だから、人生には二つルールがある。亡くなった人を不幸だと思ってはならない。生きてる人は、幸せを目指さなければならない。

とわ子の傷を癒し、前向きにしてくれたのは、3人の夫たちの誰でもなく、小鳥遊。

とわ子の人生の岐路を支えてくれた人がまた一人、増えた予感を感じさせる。

第二章その2:小鳥遊を通じて見えてくる「とわ子」

実は、小鳥遊はしろくまハウジングに買収を仕掛けてくる外資ファンドの人だったと分かり、2人は仕事の上では敵対関係になる。仕事とプライベートは分ける主義だと主張する小鳥遊は、その後もとわ子に色々プライベートな相談をもちかける。

曰く、社長の娘との縁談が持ち上がっているが、デートで楽しく話す自信が無いから練習台になって欲しいと。

とわ子のレッスンの甲斐あってうまく行きかける。だが、とわ子の言葉をきっかけに、小鳥遊はとわ子と向き合うことを決め、縁談を断るのだ。

小鳥遊ととわ子は、お互い好き同士。今度こそ上手くいくのかな・・・と思っていると、デートに出かけようとするとわ子に、八作から電話が入り、慎森がいきなり家に来る。

慎森は、「髭の人はダメだ」と理屈にならない理屈で強引に反対する。彼は他の二人よりかなりストレートに、とわ子に気持ちをぶつけてくる。なんだか可愛くなってくるから不思議だ。

働くきみと、恋をするきみは別の人じゃない。分けちゃダメなんだ

小鳥遊ととわ子は、買収を仕掛けてきている会社の社員と買収される側の社長。仕事の上で敵対関係の人と、恋をするって、きみには無理でしょ?と問いかける慎森。

結局、小鳥遊の会社に検察が入ることになり、デートは無くなる。

仕切り直しのように、自宅でデートする小鳥遊ととわ子。一緒に行こうと誘われているマレーシアの家の写真を見せられて、「10代のころから、こんな家を作ってみたかった」と言うとわ子の、「あっ・・・」という表情が忘れられない。

とわ子だって、本人が語っている通り、ひとりで寂しくて、誰かに支えてもらいたいと思う時はあるのだ。だけど、家を見せられて考えるのは、庭をどんなふうにしようかということでも、内装をこんな風にしようということでも、キッチンの使い勝手でもない。「こんな家を作ってみたい」なのである。

とわ子は、誰かに用意されたものに乗っかって、それを自分の幸せとするタイプではない。自分の幸せは、あくまでも自分で作る人だ。

気づいたとわ子は、小鳥遊に別れを告げる。

だが、何となく2人のつながりは完全に切れたりしないのだろうなと感じた。元夫たち3人ととわ子の関係を観ているからだと思う。
とわ子は、自分の人生の節目を支えてくれた3人の元夫を大切にしている。小鳥遊に対しても同じではないのだろうか。

小鳥遊ととわ子の関係に、適切な名前が見つからない。恋人だった瞬間があるわけではないから元恋人ではないし、知り合いというには関係が濃い。友人? ちょっと違う。

でもまあ、言葉とは不自由なもの。2人の関係に名前を付ける必要など、ないのかもしれない。

終章:ひと同士の関係が紡ぐ明日

最終話では、母の遺品の中から見つかった1通のラブレターが中心になる。

母が出せなかった30年前のラブレターの宛先を、とわ子と唄が二人で訪問するのである。
そこにいたのは、國村真(風吹ジュンさん)。おそらく、見た目からして生物学上は女性だ。

とわ子の母が、とわ子の父以外に強い思いを寄せていた人。

唄はストレートに「恋人だったの?」と訊き、とわ子は「母はあなたを愛していたと思います」と語る。

凛とした声でとわ子の母との関係を語る真さんは、当時は周囲の理解が得られなかったことを仄めかしながら、とわ子の母は家族を愛していた、と断言する。とわ子のアイデンティティが揺らがないようにするための気遣いだろう。

風吹ジュンさん演じる真さんが、本当に素敵だった。最終話の直前に『有村架純の撮休』第1話で、有村架純さんの母役を演じる風吹ジュンさんを観ていたせいか、そのギャップに驚いた。いや、それは失礼だな。だって、風吹ジュンさんは、もう何十年もキャリアのある役者さんなのだから。

私に観えていないものが、また一つ減った。

話すうちに、とわ子と真さんは意気投合する。また来てもいいですか、と尋ねるとわ子と並ぶ真さんの姿に、かごめを思い出したのは私だけではないはずだ。

真さんととわ子の母が、連絡を絶ったのは30年前だという。同じころ、とわ子とかごめが出会い、性的な意味合いはともかく互いを好きになって、突然分かれることになって、今度は真さんととわ子が出会う。不思議な縁で人間はつながっているなと感じる。

『カルテット』で松たか子さんが演じた真紀さんが、夫との関係について語っていた言葉を思い出した。

全然知らない遠くの小さい島かどっかの幼馴染みたいにして知り合って
凄く仲はいいけど、別にこうなりたいとかこうしなくちゃいけないとかなくて
毎日顔を合わせるけど、男でも女でも家族でもない、そんなんだったら一生ずっと仲良くできたのかな
そのほうがよかったかなって。もうわかんないけど

男と女の関係だったから、不自由だった。性愛を抜きにした関係だったら、一生仲良くいられたのかもしれない。そう語る真紀さんが欲しかったものは、「家族」だった。家族を失ってしまった過去を持つからこそ、彼女は渇望していたのだ。ずっと仲良くできる関係を。

とわ子と元夫たち3人との関係。とわ子と小鳥遊の関係。とわ子と真さんの関係。どれも、性愛の絡まない関係だ。これって『カルテット』で真紀さんが語った、「ずっと仲良く」いられる関係そのものなんじゃないだろうか。

ずっと手をつないでいたい人との関係が、明日もある。もしなくなっても、また誰かが、手をつなぎに来てくれる。だからこそ人は懸命に生きられるのかもしれない。

終わりに 関係に名前って必要かな?

世の中一般が「元夫」という言葉に対してイメージするものと、とわ子を取り巻く3人の元夫たちとの関係は、全然違うものだ。
確かに「元夫」だから、表現として間違ってはいないのだけど、あの3人ととわ子の関係を適切に表現しているとは、全然思えない。

とわ子と小鳥遊の関係にしたって、適切に一言では言い表せないし、とわ子と真さんに至っては、全然言葉が見つからない。でも、大切な関係であることに変わりはないと思うのだ。

慎森風に言わせてもらおう。「人同士の関係に名前って、要ります?」
人生を一緒に歩いていくのに、名前のある関係は、むしろ不自由なだけなのかもしれないとすら思う。

おまけ

坂元裕二さんの作品+松たか子さんと言えば、エンディングテーマである。松さんの透き通るような歌声が、私はとても好きだ。今回は作中でも何度か歌ってくれて、耳が幸せだった。

坂元裕二さん、次回作でも松さんを起用するときは、ぜひお歌を多めでお願いしたい。


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