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再読:ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

この本を買ったきっかけは何だっただろうか。

全く思い出せないけれど、なんだか売れているようだということと、タイトルが面白かったので買ってみたのじゃなかったかと、うっすらとした記憶を辿る。

私はあまり「売れているから」という理由では本を買わないけれど(好きな作家の作品は別)、この本は「売れているから」を理由に買ってみて良かった本の一つなので、紹介しておこうと思う。


そもそも、なぜこのタイミングで再読したのか

映画「天外者」を観ていると、何度も「誰もが夢を見られる国を作る」というキーワードが登場してくる。現在の日本にも通じるテーマのようにも思えて、はたと現在の日本で「誰もが夢を見られる国を」と考えたとき、いったい「誰もが」の「誰も」を、どんな軸でとらえるのが現代の日本的だろう、と思ったのが再読してみたくなった理由だ。

「天外者」の中で出てくる多様性の軸は、「士」と「農工商」、性別、欧米列強と日本ぐらいしかないが、この「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」という本の中には、様々な多様性の軸が出てくる。人種、貧富の差、カトリックと非カトリック、私立と公立、LGBTQ。

こういった多様性について、作者親子で語った印象的な言葉があった。

「でも、多様性っていいことなんでしょ?学校でそう教わったけど」
「うん」
「じゃあ、どうして多様性があるとややこしくなるの」
「多様性ってやつは物事をややこしくするし、喧嘩や衝突が絶えないし、そりゃないほうが楽よ」
「楽じゃないものが、どうしていいの」
「楽ばっかりしてると、無知になるから」
「多様性は、うんざりするほど大変だし、めんどくさいけど、無知を減らすからいいことなんだと母ちゃんは思う」

例えば、今の日本で多様性の軸を労働市場における男女でとらえたとき、年齢が上がるにつれて圧倒的に性別の多様性はなくなり、男性に偏る。少し前まで、女性が小さい子どもを抱えて働き続けるのは、困難だったからだ。

このような状況で生まれたのは、女性の子育ての大変さに対する「無知」だった。確かに頷ける話である。今の状況は、そうするとだんだん、男性の子育てに対する無知が減ってきている、ととらえることができる。

「シティズンシップ・エデュケーション」の大切さ

本書の中には、著者の息子さんが学校で受けた「シティズンシップ・エデュケーション」について書かれている箇所がある。

英国の「シティズンシップ・エデュケーション」について、適当な訳語はない。「公民教育」と訳してしまうと、なんだか違うものに聞こえるし、「政治教育」でもない。あんまり上手く紹介できているサイトが見つからなかったが、一応紹介しておく。

中高生の親としては、この本で息子さんが受けた「シティズンシップ・エデュケーション」のうち、「エンパシーとは何か」というところに興味をひかれた。

著者・ブレイディみかこさんの息子さんはシティズンシップ・エデュケーションのテストで「エンパシーとは何か」という問題に対して、こう答えたという。

自分で誰かの靴を履いてみること
(Put yourself in someone's shoes)

自分とは違う立場の人々や、自分と違う意見を持つ人々の気持ちを想像してみること。
日本のいたるところで、欠けていることのように思える。

自己主張をするのは悪いことではない。意見をきちんと表すのは大事なことだと思う。だが、口に出す前に、いや、出してからでもいいから「違う立場の誰かの靴を履いてみる」というのはどうだろうか。

さっきの多様性の話ではないが、例えばあなたが男性だとして、男性の若い部下が育休を申請してきた時、どうするか。そんなの前例がないからダメと一蹴するか。部下の靴を履いて考えてみるか。

学校の保護者会ではどうだろう。日本語が話せるかどうかも怪しい、明らかに見た目が日本人でない女性が、小学校の保護者会の会場に座っていたとして、話しかけてみるだろうか。なかなか勇気が出ないかもしれないが、ここでもその女性の靴を履いてみてはどうだろうか。もしかしたら、誰にもしかけられなくて寂しいかもしれない。何も分からなくて途方に暮れているかもしれない。

ネットに情報をアップする場合はどうだろう。書かれたことについて、立場が違ったらどう感じるか、なかなか想像しにくいかもしれないが、深呼吸して「誰かの靴を履いてみる」というのは、ジェンダー平等や貧困をなくそう、というSDGsのテーマにおいても、大切なことだと言えるのではないだろうか。

そう思考を巡らせながら、どうやってこんな話を、日本の中で我が子たちにしたら良いだろうと考える。

やはり、自分自身が、普段から「誰かの靴を履いてみる」を実践してみせるしか無さそうだ。もう少し、普段から意識しないといけないなと思う。

まとめ

この本の著者・ブレイディみかこさんはちょっと母として日本的感覚で言うと、少しドライかなと思う。息子さんの意見はある程度尊重しつつ、自分の意見も言う。日本の母親は良くも悪くももっと、ウェットだ。日本に暮らしている場合は、子どもの性格にもよるだろうが、なかなかここまでドライには出来ないだろう。

今のタイミングでまたこの本を読みたくなったのは、最近、春馬くんの出演作品である「こんな夜更けにバナナかよ」や、「天外者」を観たせいで『誰かの靴を履いてみる』ことの大切さを、何となく感じていたせいかもしれない。

書きながら、キンキーブーツの6つのステップの1つ、「自分を受け入れ、他人も受け入れる」にも繋がるなと気づく。

年の瀬に、もう一度ブレイディみかこさんと息子さん、キンキーブーツのローラを素敵さを再発見して、2020年は終わりへ向かっていく。






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