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野田秀樹がフェイクから紡ぎだすリアル NODA・MAP 第24回公演『フェクスピア』

※このnoteは、NODA・MAP 第24回公演『フェイクスピア』の内容について詳しく触れています。これから作品をご覧になる方は、読まずにここで離脱することをお勧めします。

2021年4月末、東京を含む都市部に3度目の緊急事態宣言が出された。要請内容には、不要不急の外出や都道府県をまたがる移動の自粛、大型イベントの無観客での実施などが含まれた。

当初2週間の予定だった緊急事態宣言は、状況を鑑みて延長された。
NODA・MAPの公演『フェイクスピア』の幕が上がるのは5月24日。無事に幕が上がってくれることを祈るしかなかった。

なぜって?

もちろん、昨年から何度も、まるで悪の権化のようにやり玉に挙げられている演劇界を応援したいから、ということもある。けれど、一番は「舞台に立つ高橋一生さんを感じたい」からだ。私は高橋一生さんのファンであることを公言しているけれど、実は舞台については円盤を持ってはいても、直接観劇したことがない。舞台公演の録画を観て、高橋一生さんが舞台に生きる人であることを感じてはいる。だが、あくまで「感じ」であって、確信とまでは言えなかった。

おまけに、NODA・MAPである。
劇作家・野田秀樹の新作、『フェイクスピア』。フェイクで、シェイクスピア。シェイクスピアを絡めて、言葉遊びでどんな世界を紡ぎだしてくれるのだろうという期待感が詰まったタイトル。主演は敬愛する高橋一生さん。期待しないわけにはいかない。いや、期待が先走るのを止められないというほうが正しいか。

無事に幕が上がってくれると知った時は、ホッと胸をなでおろすと同時に、やっと舞台の上の高橋一生さんに会える興奮で、仕事がしばらく手につかなかった。

野田秀樹脚本の妙と役者・野田秀樹

野田さんの脚本には、とにかくものすごく多いピース数のジグソーパズルを、言葉遊びしながら、役者さんが一つ一つ協力して埋めていき、全体を完成させるようなイメージがある。もしくは、美しく複雑な模様のペルシャ絨毯を織り上げるような感じだ。野田さんはジグソーパズル全体の作成者でもあるけれど、ご自身が他の出演者の皆さんと協力して、パズルを完成させていく存在でもある。

全体として描きたい絵があるのだけれど、書きたい絵に寄せて、役者として自身も他の出演者と関わりながら、描きたいものに近づけていく。野田秀樹さんは、なかなかに稀有な存在だと思っている。自ら演じることでご自身の伝えたいことがより鮮明になって、公演の回数を重ねるごとに、舞台そのものが進化していくんじゃないだろうか。

それにしても、『フェイクスピア』での野田秀樹さんは、舞台上でものすごくエネルギッシュだった。セリフの量も多い。いったいどうしたらあれほどの熱量を書くことに注ぎ、かつ演じることにも注げるのだろうかと感心してしまう。よほど、伝えたいことがたくさんおありなのだろう。

だからこそ毎回、パンフレットを買いたくなってしまうのだ。何が書かれているのか、いつも楽しみである。

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劇場の空気が変わる瞬間

5月末と7月初めの2回、東京芸術劇場を訪れた。

最初の観劇の時には、とにかく言葉の洪水に溺れ、物語そのものが持つ圧倒的なエネルギーに、押し流されるままに終わった。終盤に行くにしたがって、涙が頬を伝った。

その後、『新潮』7月号記載のフェイクスピア戯曲を何度か繰り返して読んでから、2回目の観劇に臨んだ。あの圧倒的な言葉たちがどこでどう、パズルのピースとしてつながっていくのか、ある程度頭に描きながら観ることが出来た。

冒頭、高橋一生さんのセリフに始まり、白石佳代子さんが登場してからの前半は、笑いが多くなる。恐山のイタコ見習い・皆会アタイ(白石佳代子さん)を前に、突然リア王が始まり、オセローが始まり、マクベスが始まる。アブラハム(川平慈英さん)がセールスマンとして売りに来るものが、全部インチキ臭くて思わず笑ってしまう。

2回目の観劇の際は、物語前半の笑いが1回目の観劇時より多かったように思う。野田秀樹さんのファンが多かったのかもしれない。数々の言葉遊びと、野田さんの芝居エネルギーとを目の当たりにして、笑いがそこここで起きていた。

後半、フェイクに紛れて「マコトの葉」が何であるか、徐々に明らかになっていくにしたがって、明らかに会場の空気が変わっていった。背すじがゾクゾクした。1階席中央後方にいた私は、その不思議な空気の変化のど真ん中にいて、あんなに笑っていた周りが静寂に包まれ、観客の視線が舞台に集中していくのを、肌で感じていた。こんなことを体感できる舞台作品には、めったに出会えるものではない。あの場に居合わせることが出来て、本当に幸せだった。

役者・高橋一生の躍動

さて、念願の高橋一生さんのお芝居を生で観られてどうだったか。

結論から言おう。やはり高橋一生さんは、舞台で輝く人だった。
映像作品ではダメだという意味では、決してない。

映像作品では伝わり切らない、淡々としているようで熱量のこもったお芝居や、滑舌が良くまっすぐに届く声。何より、テレビや映画で見るより体格が良く、大人の男の色気がダダ洩れている。直接目にしなくては伝わらないものが、全身からあふれている人だったのだ。

高橋一生さんと私との出会い、ハマっていく過程については以下のnoteに書かせてもらった。

前回の『天保十二年のシェイクスピア』の時は、気が付いたときにはチケットの優先予約期間が過ぎていて、当然人気者の高橋一生さんと浦井健治さんが出る舞台のチケットなど、取れるはずもない状況だった。

そんなこんなで、期待値が随分上がっていたこともあるけれど、NODA・MAPは基本的に脚本が面白いので、高橋一生さんが絡んで面白くならないはずがないと思っていた。結果、期待を上回るものを魅せてもらえたと思っている。

特殊な形状の舞台上を、軽々と動き回って見せる身体能力。スローな動きになる数々の場面。滴る汗。「動」のお芝居でも魅せてくれる。新しい発見だった。

特筆すべきはやはり、「声」だろう。
これからまもなく、東京公演は千秋楽を迎えて、公演の舞台は大阪に移る。だから詳しいネタバレは避けるけれど、この作品において、フェイクとリアルを分ける大きな要素の一つは、声だ。高橋一生さんの滑舌良くまっすぐに観客に届く声は、この演目においてすごく重要だったのだ。

また、ドラマ『天国と地獄』で話題になった女性との入れ替わりだが、『フェイクスピア』の中では時にコーディリアになり、デスデモーナになり、マクベス夫人になる。しかも、一瞬で。

声が女性らしくなるのはもちろんだが、コーディリアとデスデモーナとマクベス夫人は、ちゃんと全て別の女性であることが感じられて、素晴らしかった。
特に、マクベス夫人になった時の高橋一生さんは、声だけではなく、一瞬でマクベスを焚きつける野心家の女性に変わる。どこかにスイッチがあるのだろうかと疑いたくなる。

加えて、物語後半ではあふれ出す父性を見せてくれた。父が紡いだマコトの葉を、息子に手渡す。涙なしには観られなかった。いったい、一つの物語の中で幾つの顔を魅せてくれるのだろう。

こんな役者、他にいるだろうか。

橋爪功・白石加代子が魅せる熟練

橋爪功さん。

素晴らしい俳優さんだとは思っていたが、本作で改めてそのすごさを再認識した。リア王になり、オセローになり、マクベスになったかと思ったらハムレットにもなり。

そうこうしているうちに、幼い子どもになっていく。まもなく80歳にならんとする橋爪功さんが、舞台の上ではまるで本当の子どものように見えた。心が震えた。

白石佳代子さん。

毎度毎度、舞台で拝見するたびおどろおどろしさに背すじがゾクゾクしたり、感心したりしているのだが、今回はコミカルさが前面に出ていた。また新しい白石加代子さんの魅力を発見できた気がしている。

本作の舞台となる恐山。イタコが認識する「存在」とは。わたしたちが見ている「リアルな存在」と、イタコが認識する「リアルな存在」の違い。白石加代子さんもまた、この作品になくてはならない俳優で、唯一無二の存在であることを改めて感じた。

女優・前田敦子への期待

正直、前田敦子さんのお芝居をちゃんと観たことがなかったので驚いた。彼女は、元アイドルという色眼鏡をかけずに観るべき女優だと思う。

発声の仕方、役としての存在感。そして1回目に観た時より2回目に観た時のほうが格段に良くなっているお芝居。熟練の俳優さんたちに囲まれて、すごい勢いで舞台女優としていろいろなものを吸収されているのだと思う。

これからも、舞台で輝いてほしい。野田さん、ぜひまたNODA・MAPに彼女を呼んでほしい。

前田敦子さんの出演する映像作品も、チェックしてみたくなった。

終わりに

しかし、よくこんな複雑なジグソーパズルを作り上げるよな・・・と野田秀樹さんの脚本にいたく感激した。加えて、そのピースを協力してくみ上げる役者さんたちの配役の妙にも唸ってしまう。橋爪功さんも、白石加代子さんも、高橋一生さんも、他に同じ役を演じ切れる役者さんが思いつかない。

特に高橋一生さんの演じた役は、他の役者さんが演ったとして、あれほどの説得力を持って観客を魅了することが出来るものだろうか。もしかして、一生さんへの当て書きではないのか?とすら思ってしまうほどの素晴らしさだった。

高橋一生さんは、映像のお仕事でも人気者なので、あっちこっちで引っ張りだこだと思う。お忙しいとは思うのだが年に1回で良いので、これからも舞台に上がっていただけないだろうか。

稽古の期間が必要となる舞台に上がるには、十分準備のための時間が要ることは分かっている。テレビや映画に多く出たほうが、事務所が短時間で潤うであろうことも、想像に難くない。分かっているけれども、舞台の高橋一生さんに魅了されてしまったものとしては、どうしてもまた、舞台で躍動する高橋一生さんの魅力に触れたくなってしまうのだ。

他のお仕事との兼ね合いがあって、難しいとは思うのだがぜひお願いしたい。

そして、野田秀樹さんへのお願い。

高橋一生さんを、ぜひまたNODA・MAP公演に呼んでほしい。野田さんの脚本で、高橋一生さんが観たい。切に願う。

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