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引退を翻意した北海道でのラストチャレンジ 戦友とJFL昇格を掴む 本塚聖也(BTOPサンクくりやま)

現大卒3年目に当たる、1997世代が今、サッカー界で大きな存在感を示している。

まずは彼ら世代が中心となり編成された2019ユニバーシアード・サッカー日本代表のメンバーを見てみよう。

GK 阿部航斗(新潟)、オビパウエルオビンナ(横浜FM)
DF 田中駿汰(札幌)、中村帆高(東京)、山川哲史(神戸)、本村武揚(北九州)、山原怜音(清水)、角田涼太朗(横浜FM)
MF 森下龍矢(名古屋)、三笘薫(ブライトン)、紺野和也(東京)、金子拓郎(札幌)、山本悠樹(G大阪)、高嶺朋樹(札幌)、明本考浩(浦和)、児玉駿斗(徳島)
FW 林大地(シント=トロイデン)、旗手怜央(セルティック)、 小柏剛(札幌)、上田綺世(サークル・ブルッヘ)

大半の選手が所属クラブでレギュラーを担い、世代のトップランナーといえる、三笘薫は先日発表されたカタールW杯2022の日本代表にも選出された。
また、田中駿汰・金子拓郎・高嶺朋樹の札幌同期トリオはコンサドーレで押しも押されぬ主力選手として活躍を続ける。

だが、そんな高嶺と札幌アカデミーや選抜チームで共に戦った男達が、北海道で新たな歴史を創るべく、今、奮闘中なのをご存知だろうか?

監督 西野虎太郎(1997/11/29)
コーチ 杉山雄太(1997/6/23)
選手 本塚聖也(1997/5/20)、按田頼(1997/5/7)

後列左から 本塚聖也・前田海・杉山雄太・按田頼 
前列最右 高嶺朋樹

チーム編成から僅か半年で北海道リーグ優勝。そして、全国社会人サッカー選手権で北海道勢として24年ぶりの準優勝に輝くなど、現在、サッカー界で話題沸騰中、BTOPサンクくりやまの中軸を担う彼らも揃って、道産子の1997世代なのである。

今回、2022北海道リーグMVPを受賞し、チームのキャプテンとして大車輪の活躍を続けるBTOPの本塚聖也選手に話を聞いた。

昨年オフ、J2ツエーゲン金沢から契約満了を告げられ、「24歳でしたが、もうサッカーを辞めようと思いました。悔いはもうないなと。」との決意を翻意し、BTOPで現役続行を決断した理由とその先に描く未来。

そして、金曜日に迫ったJFL昇格を懸けた戦い(全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2022)への決意を聞いた。

本塚聖也の歴史

小学1年の頃、4つ上の兄の影響で札幌大谷地サッカースポーツ少年団でサッカーを始めた本塚。技術の高さとスピードを活かし、FWやトップ下で得点を重ね、中学年代から、コンサドーレ札幌U-15にスカウトされた。

その後、北海道コンサドーレ札幌U-18に昇格し、FWやSHを主に、センス溢れる左足を活かしたエレガントなプレーで活躍。同期の高嶺朋樹(北海道コンサドーレ札幌)、一学年下の菅大輝(北海道コンサドーレ札幌)らと切磋琢磨しながら、コンサ入団を志し、地元の札幌でプレーを続けたが、「高卒で、トップチームに昇格できる力はない」と自分自身を評価し、高校3年の4月には大学進学を決意した。

進学先として、当時の四方田監督(現横浜FC監督)に進められたのが、金沢星稜大学。だが、入学早々の春先に第5中足骨骨折で長期離脱するなど苦難のスタート。

1年の後期からチームでレギュラーを掴んだものの、デンソーカップの本メンバーからは、選考漏れが続くなど、理想通りの日々とはならず、大学4年の就活時期には、目標としていたプロ入りも諦めかけた。

「大学4年になった時でも、プロになれるとは全然思っていなくて。北信越選抜には選ばれるけど、その先のデンソーカップのメンバーには選ばれないというのを、1-3年生で繰り返して。3年の時にここで選ばれなかったら、プロ入りは諦めようと思ったんですが、そこでも選ばれず。。ほぼ、一般就職に心はシフトしていましたね。」

だが、転機は予想だにしないタイミングでやってくる。
「大学最後のデンソーカップメンバーから落ちて、プロ入りは厳しいと思ったら吹っ切れたようにプレーできるようになったんです。最後の年は、目の前の試合で結果を残すことに集中しようと」

そんな、迷いが消えた本塚のプレーぶりを、練習試合で対決したJ2のツエーゲン金沢が高評価。練習参加を経た後、大学4年の7月に正式オファーを受け、逆転でのプロ入りをつかみ取ったのだが、その余韻に浸る時間もなかったという。

その背景にあるのが「本当に大きな出会いだった」と語る、金沢の柳下正明監督との出会い。一つのエピソードがある。

「内定直後に、新潟と試合があったんです。そしたらその時の守備を柳下監督に〝砂糖に、はちみつを掛けたくらい守備が甘い。甘過ぎる〟と指摘を受けて。。。自分ではやっているつもりでしたが、もっとやらないとなと思わされました。柳下監督からは、その後も徹底して守備の意識を植え付けて貰いましたし、浮かれてる暇なんてなかったですね。」

若手育成に定評のある、柳下監督の下、守備強化に励む日々。元来の攻撃センスに加え、対人面も強化されると、1年目の夏からボランチやSHでレギュラーに定着。2020シーズンはJ2で29試合に出場するなど順調な船出を飾った。

だが、プロ2年目の2021年は、始動直後にコロナに掛かってしまうと、その後も負傷を繰り返し、ピッチ外での活動時間が長くなる。

「筋肉系のケガを何回もしてしまって、治っても、ケガをして2・3か月離れるといったことを2・3度繰り返してしまって。ろくにサッカーをすることができないシーズンで、ケガの怖さを改めて感じたシーズンでした」

すると、2021年のシーズンオフに待っていたのは、プロとして厳しい現実。契約満了の通告だった。その時の本塚の心境は?

「2年目は、離脱続きで、試合に全然絡めていなかったですし、当然かなという気持ちが真っ先に来ました。ただ、自分の中で、下のカテゴリーに落として続けるという考えはなくて、そうなったら自分の中でケジメをつけようと思ってやっていたので。J2内で移籍して、上を目指すか?下に行くなら引退して、違う道を探すか?との指針の中、J2のクラブから、中々話がなかったので。それまでかなと。
辞めても悔いはもうないなと。」

24歳でのプロサッカー選手引退。
決断の針はそちらに大きく傾いたが、その考えを覆えさせたのが、かつてコンサドーレや選抜で共に戦った同郷で同期の仲間たちだった。

「コタ(西野虎太郎-BTOP監督)とライ(按田頼-BTOP)から連絡があって、北海道に新しいチームを作ろうと思っていると話してもらって。チーム構想や自分が必要な理由などのビジョンを聞いている間に、このチームで上を目指せるなら、考えを変えてチャレンジしていいかなという思いが芽生えてきて。BTOPが、自分のサッカー選手としての最後だと思って、チャレンジしようと決めました。地元・北海道のチームでのチャレンジというのも大きかったですし、本当に話のスケールが大きくて、このチームだったらJリーグを目指せるんじゃないかなと思えたんです。」

北海道から2つ目のJクラブ誕生を目指し、かつての仲間たちと動き出したプロジェクト。これは面白い!と直感で感じたものの、壮大な構想と現実の狭に揺れた1年でもある。

「初年度で、難しいことが多くて、構想通りにいかない部分も多かったです。正直今だから、言えますけど、最初は、ほぼ全部にこれじゃJ入りなんて無理だなと感じました(苦笑)始動も当初の予定より、どんどん遅れて、始まりましたし。メンバーも若い選手が多かったので、プロの基準を分かる人がもっといてくれないと、どうにもならないなというのを感じて。。伝え方が難しかったり、練習以外の練習なども当初は全然無かったので、これじゃやばいという不安を最初から感じましたね。」

実力あるメンバーが集まったからといって、すぐにチームとして上手く循環する方が稀なこと。前年まで、J2でプレーしていた本塚が、5部相当の北海道リーグに籍を移し、ギャップを感じるのも無理ないことであろう。

だが、目標のJFL昇格に向けて留まる時間も無かった。オンザピッチ、オフザピッチの両面における課題解決に奔走しつつ、手探りながらも走り始めたBTOP。そんなチームの初代キャプテンに就任した本塚を軸に戦って、北海道リーグ前期7試合は4勝3分の無敗。優勝大本命の北海道十勝スカイアースに次ぐ2位で折り返した。

「今、思ったら、すごい奇跡だったかなと思います。なんか分からないけど、負けずに勝ち点を積み重ねられたなと。前期のスカイアース戦なんて、正直負けてもおかしくない試合だったので。よく耐えた前期という印象ですね。」

少しずつチーム好転の兆しは見えたものの、JFL昇格という目標に向けて、もう一段レベルアップする事が求められるのは明白な状況だった。

「ここからギアをあげていかないとならないとは、コタ(西野監督)とも話していて。それはずっと毎試合・毎試合感じてはいたんですけど、戦術や選手の意識面も変えないといけないなと思ってました。そんな中、夏に加わった選手たちの存在は大きかったなと。彼らは気づいたことをどんどん自分たちから発信してくれるので、それでチームがよくなる感じがあって。そこでぶつかることがあれば、自分がちょっと話したりとか。コミュニケーションの部分がうまくいくようになったなと思います。彼らの存在は本当に大きかったなと。沢山助けて貰いましたね。」

夏に、上米良柊人や宮城雅史・轡田葵左らJリーグでも実績のある選手らが加わるとチーム内の競争やコミュニケーションも活性化。プロ意識の高い選手が若手に経験を伝授。若手も彼らに負けじとチーム内競争も過熱し、チームは好循環のサイクルへと動き出す。

NEWBTOPは後期初戦のスカイアースとの直接対決を3-0で制すると、後期リーグは7戦7勝。得点40、失点0の圧巻ぶりで北海道リーグを優勝。本塚個人の出来を見ても、元来から持ち合わせる華麗なテクニックと柳下監督に鍛えられた守備面含めて、異色の出来。ボランチとして、チームのタクトを振るい、大会の最優秀選手賞も受賞した。

「道リーグ優勝はめちゃくちゃホッとしましたが、次の日にはJFLにまずは昇格しないといけないので、すぐにそこに向けてという感じでしたね。」

チームが始動1年目の至上命題に掲げるJFL昇格の為には、各地域王者を中心とした12チームがしのぎを削る全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2022(11/11~)で上位2チームに入る必要がある。

今大会の前哨戦ともいえる全国社会サッカー選手権で決勝進出を果たしたBTOPに対する各チームのマークは確実に高まっているが、

「うちの攻撃は止められないと思います。どこが来ても自分たちのサッカーをやるだけだと思っていたので、抽選もあまり見ていなかったです。繰り返しますが、自分たちのサッカーができれば、勝てると思っているので。相手はあまり気にしてないですね。」と自信を示す。

「北海道から2つ目のJクラブ誕生は、近づいているというより、ならないといけない。使命だと思っています。始動当初とは違い、今のチームには自信があります。僕らは個人の能力が凄い高いチームだと思いますし、お互いの特徴が分かり合えるようになって、引き出しあえるようになりました。後は全社の時に似た失点が何個かあったので、そこの対策だったりは、明確にあるので改善しつつ、攻撃では自分たちのサッカーを出来ればいいかなと。」

昨年の契約満了から、チーム共々激動の1年を過ごしてきた本塚聖也。一時はプロサッカー選手としてのピリオドを打ちかけたが、愛する地元で信頼する仲間たちと歩んできた2022シーズン。
地元・北海道に吉報を送れるか?

「北海道リーグで試合をした時も、色々なところから駆けつけて応援してくれて、すごい力になってますし、これからも自分たちの挑戦・チャレンジをぜひスタジアムで応援して頂けると嬉しいです。

自分の仕事は、チームを勝たせることが一番なので。周りを見て冷静にプレーする事と、行く所は行く。勝負をかける所は勝負をかける。それと数字に残るプレーを心がけていきたいと思ってます。JFL昇格を最初から目標に立ててやっているので、絶対に昇格できるように頑張っていきます。北海道で2つ目のチームになります。」

「サッカーもそうですけど、サッカー以外の面でもすごい充実していて、毎日楽しくやれています。他のJクラブと比べても形がしっかりしてない分、選手が主体的にかかわって、みんなで作り上げている感はすごいあるなと。そして、今が一番アイデアを出し合ってます。」

最後にニヤリと微笑んだキャプテン。決戦の舞台で、彼の左足からどんな音色のリズムが奏でられるのか?

プロ入りを掴んだ大学4年の頃のように、全てに吹っ切れた本塚聖也の姿が観れた時、北海道のサッカー史が動く。そんな予感がする。BTOPサンクくりやま、始動1年目の終着点に注目してみようではないか。

全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2022
1次ラウンド日程
2022年11月11日13:30 アースケア敷島サッカー・ラグビー場
FC延岡AGATA VS BTOPサンクくりやま

②2022年11月12日13:30 アースケア敷島サッカー・ラグビー場
FC刈谷 VS BTOPサンクくりやま

③2022年11月13日10:45 アースケア敷島サッカー・ラグビー場
栃木シティFC VS BTOPサンクくりやま

日本で最も過酷な大会と呼ばれる、地域CL。
激戦必死の熱い戦いが今週末よりスタートする。

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