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人前プチ極意


ここ数年人前に立つ機会が一気に増えた。
察して欲しいのだが、とある行事の行程の一部で
私が一人で5分程度踊るのだ。

こういうと、主役っぽいかもしれないが決してそうではない。

しかし、やはりその5分程度は私の方に視線は一応向けられるのだから、それなりに緊張もする。
間違えても私しか知らない動きだから、気づかれないかもしれないが、「見られる」を意識すると
色々新鮮だ。

まあ、せめて前日はパックをしたり、少しは髪の毛をサラサラにしちゃおうかなだとか意気込む。

みんなが私を見ている、私は見られている…。

半分間違えではないのだが、当時はそれで頭がいっぱいだった。超・自意識過剰になった。

だけど、そんなんでいいパフォーマンスはあまり出来ないし、なんだか大事なことを忘れている、と。
何かというと、私は一部だという考え方だ。
あくまでも私はこの行事を遂行するための一部。
式典の一部でしかない。
私が主役ではないのだ。

そう考えるとかなり楽になった。

他のことでもそうだが、自分にばかり意識が向いて
「私私」になってしまうと、本質を忘れそうになる。
何のためにそれをやっているのか。
みんなでこの式典を成功させるため。やり遂げるため。
冠婚葬祭でもいい。
緊張とかそんなのは一旦置いといて。
お世話になったその目の前の人を弔ったり祝ったりする気持ちを私にできる形で表す。
それが、身だしなみだったりマナーにも通じるものがあるのだと思う。

いい意味で私は脇役で、
全体を引きでみて、それを補填していくための役割だと割り切ることが大事だし、その理解が必要なのだと思った。特に人前に立つときには。



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