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人生の旨み

今日は久しぶりにとても尊敬する人に会ってきた。
また、色んな話をきいてきてまだ消化が追いついていない。感動したことはたしかなのだが。

その人は半分程度スピリチュアルの世界を生きている人だった。かくいう私も、学生の頃はどっぷりスピリチュアルにハマっていた。が、現実現実!と思い、
いつの頃かスピリチュアルのことは考えないようにするようになっていた。

別に今日会ってきたその人もスピリチュアル一色という訳ではない。特に印象に残ったのはパートナーシップの話だった。

その人は既存の生き方や、社会常識にとらわれず、自由に人生を生きているかのように見えた。
パートナーとも籍を入れなかったり、そこにこだわりがなかったり。夢を見たり、予感していたことが現実になったり。
前世のカルマが見えたり。話を聞いていると、不思議な事象が起きているようなのだ。周波数や波動という言葉は聞き飽きたとも思っていたけれど、
実際に大人がこういう話を確信を持って言うと、
たしかになんだかもっと偶然や必然を信じてみてもいいのかもと思う。

その人にも色んな人生の苦労や生きることが嫌になった時期があったみたい。
だけれど、今すごく感謝の気持ちでいっぱいだと言っていた。今のパートナーや子供と会うために自分の人生はあったんだな、と。そう考えると、苦しみにも感謝できるしあんなに嫌だった人生もこの二人に会う為なら何十回だって繰り返していいと言っていた。

ちょっと伝わるかどうかわからないし、熱量高めかもしれないけれど、結局スピリチュアルを避けたって
人生だとか意味だとか感謝だとかどうしたってそういうことを考えさせられる。
分岐点で人生やパートナーシップについて迷っていた時に図らずも向こう側から助け舟が来た気分だった。

まあ、会いに行ったのはこちらだったのだけどね。

プラグマ型(実利主義?)のように生きるだけではなく、
感覚を大事にしたり不思議なことを受け入れたり、縁を感じたり運命ってあるのかもなぁとか
成り行きを信じたり、意味をどう持たせるのかは人の自由なのだけれど、その辺のセンスがなんだか素敵なのだ。
そこをそう受け取るんだ!とか、
そう展開していくのね!だとか。普通だったら冷めた目でバッサリするところを、もっと深みを持たせたり相手をよく見てよく知って自分の人生とうまいこと融合させていく感じ…。

ドラマティックに楽しく上手に人生に旨みを加えていけたら愉しいですよね、

昨年はなんだか活動的にダイナミックに生きた。
今年は自分を内観して、内側で学びを深めて、
来年はもう一回スピリチュアルにハマってみるのもいいかも。

まあ身近にいる人って確かにただの人って言えばそうなのかもしれないけれど、意味があって出会っているような、自分の内側を反映させているような
あるいは出会う人は全て周波数の違う自分って話もきいたことがあるし、なんだか面白いな〜ほんと。

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